ハイティンク、ロンドン交響楽団のブラームス交響曲第1番

2003年のライブ録音。 遅すぎず速すぎずのテンポ。安定したリズムの土台にして、画然としたブラームスが展開される。 恰幅の良い作品像ではあるけれど、特に巨匠風とか、スケール豊かというようなことは無い。 骨格はガッチリと、各パートの輪郭はクッキリとしているけれど、響き自体には軽み、柔らかみがある。 堅苦しいけれど、重苦しくはない。 個々のパートの線は画然として平明な動き。ケレン味をまったく感じさせない。 ただし、響きを重ねるバランスは融通無碍。音楽の推移や表情変化を、この上なく明解に描き出す。 このあたりの響きの制御とか、オーケストラを統率する手腕が、ハイティンクの見せ場のひとつと思うのだけど、派手なスタンドプレーは一切ない。 作品の仕組みを明解に鳴らしきることに徹するようなアプローチ。 終楽章の雄渾なフィナーレにおいてもあおりは一切なし。恰幅の良い造形なので、弱弱しいとか、線が細いとかはないけれど、高揚とか燃焼といった種類の表現とは無縁。作品書法を浮き彫りにすることに徹する。 オーケストラの技術は優れているし、表現力は高そう。というか、非力なオーケストラでは、ハイティンクの演奏スタイルは成立し無さそう。 残響の薄いホールの響きが、ハイティンクの表現をいっそうハードボイルドに聴かせる。 演奏者の美意識とか、思い入れとか、サービス精神みたいなものはまるで伝わってこない。 この音楽に演奏者の臭いがあるとしたら、楽曲を知り尽くし、演奏し尽くしたような、熟練の香りくらいだろうか。それだって、ごく控えめだけど。 演奏行為における演奏者の創造性の価値を、必要最小レベルにしか認めていないような演奏姿勢を感じる。わたしの好みからすると、ハズレになる確率が高そうだけど、この音源は例外。 なぜだろう。 この交響曲からは、力みとか息苦しさを感じる。そこを強調した演奏は、聴いていてしんどくなる。 かといって、軽やかに演奏されると、どこか空々しく聴こえてしまう。 この演奏は、作品の力みとか息苦しさを意識させるけれど、聴き手を圧迫することはない。そういう味付けが、今のわたしにはしっくりくるのかもしれない。