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アレクサンドル・タローの、バッハ『ゴルトベルク変奏曲』

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アレクサンドル・タロー(ピアノ)による、J.S.バッハの ゴルトベルク変奏曲 BWV988。 2015年のセッション録音。 タローは、1968年生のフランスのピアニスト。 この演奏は、75分かかっているので、たぶん作曲者指示の反復を励行しているのだろう(いちいち確認していない)。 * * * * * タッチのニュアンスを多彩に使い分けているけれど、ダイナミックな表現力とか、響きの量感とかはごくごく控えめ。 音の扱いは繊細だけど、極端な弱音は(強い音も)使わない。音の粒立ちをある程度そろえたうえで、響きのニュアンスで表現を作り上げる。 一音一音は、クリアでありながら柔らかみがある。それらが親密に噛み合って、淀みない流れを生み出している。 リズムは活き活きとしているし、キレもある。また、フレーズの歌い回しとかバランスの作り方などに独自の味付けが散見される。 しかし、全体の流暢な進行の中に、自然に溶け込んでいる。 * * * * * 手指の運動量はけっこうありそうな演奏ぶりだけど、品良くいくぶん淡々と進められる。ときに静けさすら感じさせる。 チェンバロ寄りではないし、かと言ってピアノの性能を積極的に引き出すような表現でもない。 どちらかというと穏やかな個性だけど、確固として美意識があって、ピアノを使ってそれを具現化している、という印象。 幅広い層にアピールするような持ち味ではないと思うけれど、この穏やかな純度は、心地よい。

クラークス・グループによる、オケゲムのミサ・ミ・ミ

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クラークス・グループは、1990年代にオケゲムのミサ曲を全曲録音した。 ルネサンスの音楽に入れ込んでいた頃は、まだそれらの録音は現役だったので、一通り買い揃えた。 それら一連の録音が廃盤になった後、主要なミサ曲に絞った5枚組みが、『オケゲム・コレクション』とかいう名前で販売されたけれど、今ではそちらも廃盤になっているようだ。 そうした現実を嘆くほど、オケゲムの音楽に通じているわけではないけれど、特別に愛着を持っている作曲家の一人ではある。 * * * * * ミサ・ミミは、オケゲムの代表作とされるのだけど、どちらかというと苦手な部類。 キリスト教に関心がなく、純粋に娯楽としてミサ曲を聴くときに、ポイントになるのはクレドだと思う。これは、あくまでもオケゲムが作ったような実用的なミサ曲の場合に限っての話だけど。 クレドは、ミサ曲のど真ん中に配置されていて、歌詞は長く多岐にわたっている。儀式としてのミサにおいて、中核をなす部分のようだ。 しかし、歌詞の内容は詰め込みすぎで、歌の歌詞としてはまとまらない。特に後半が。思い入れをもって一つ一つの詞を受け止められる聴き手ならともかく、単純に楽しみとして聴くには、冗漫に響きがち。 ミサ・ミミは、私見ではその典型。冗漫なりに、ときめくような瞬間があればいいのだけど、そうでもない。 などとケチをつけながらも、オケゲムっぽいニュアンスは好きなので、毎度期待を持って聴く。 しかし、今日も、クレドに入ってしばらくして、意識が音楽の流れから離れていることに気がついた。 * * * * * クラークス・グループの演奏は生真面目で端整。艶とか官能性みたい物はない。面白い演奏ではないと思う。 ただ、楽曲を飾り立てないで、ありのままを聴かせようというような姿勢がある。自己顕示の前に、楽曲そのものの魅力を伝えたい、みたいな意志が感じられる。 そして、その意志を実現できるだけの技を持ち合わせている、と感じる。 音楽家への賞賛の言葉として適当ではないかもしれないけれど、"信用できる"演奏集団であり、演奏だと思う。