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エベーヌ四重奏団によるベートーヴェン弦楽四重奏曲第15番イ短調Op.132

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エベーヌ四重奏団が2019〜2020年に録音した全集から。 この曲は、全集の最後、2020年1月に録音。 ワールド・ツアーで世界の主要都市を回り、各都市での最終公演をライヴ録音したようだ。 それで、ジャケットに都市名が印字されている。この録音は、パリ公演のもの。 ちなみに、この全集の第一弾が録音される1ヶ月ほど前に、ヴィオラ奏者が入れ替わっている。 発表が直前になったというだけで、交代の準備を進めていたのだろうけれど。 エベーヌ四重奏団は、1999年にフランスの学生たちによって結成されたグループ。 ジャンルにとらわれない幅広い活動が注目されているらしい。 -+-+-+-+-+-+-+-+-+-+- 室内楽を聴くようになったのはここ数年で、そうすると、現役の演奏団体のほとんどは未知の存在だ。 聴いてみると、うまいグループが多い。わたしでも名前を聴いたことがある、60〜70年代にトップクラスとされていた団体にヒケをとらないグループがザラにある。  エベーヌ四重奏団もそんな感じ。技術的に上手いのは当然として、グループとしての個性も確立されていて、そして洗練されている。 -+-+-+-+-+-+-+-+-+-+- 場面場面の表情をきめ細かく作り込んでいて、あらゆる場面がくっきりと鮮やか。 作品像として、特殊という印象は受けないけれど、第三楽章は21分くらいかけている。長くなりがちな楽章だけど、20分を超えるのは珍しいと思う。 それだけ引き伸ばされながら、間延びを一切感じさせない。一音一音の余韻に至るまで念入りに磨かれている。すみずみまで鮮やか。 -+-+-+-+-+-+-+-+-+-+- 響きの発色がよく、耳障りも良い。親しみやすい演奏。 そのかわり、良くも悪くも屈託がない。楽曲の美しさに意識がフォーカスされいて、そこは十全に表現されているけれど、祈りとか陶酔感みたいな感覚はほぼ感じさせない。この演奏の静けさに、感情のゆらぎみたいな要素は含まれていない。 第5楽章の展開部のような箇所も、耳あたりよくスムーズに推移させている。響きが厳しく交錯するような処理とは対極的。 高度な洗練と、気取らない親しみやすさが、音楽の味わいにも浸透している。

アリサ・ワイラースタインによるバッハ無伴奏チェロ組曲第6番

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2019年セッション録音の全曲盤から。 彼女は、 1982年米国生まれのチェロ奏者。 過去のレコーディングの中では、ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲の録音を聴いたことがあった。 しかし、曲自体をよく知らないので、その録音でもってどうこう言うのは無理だった。 では、バッハの無伴奏だったら、チェロ奏者について語れるかと言われると、それも厳しい。 この組曲集の中で、6番を偏愛しており、これを聴けば、自分なりに演奏者の傾向をつかむことはできる。 ただ、それでチェロ奏者を評価するのは難しい。 バッハの無伴奏は多くのチェリストが録音しており、レベルが高い。いつ頃からかはわからないけれど、知る限りここ30年くらいの録音は、カザルス並の演奏ならザラにある。 その中で好き嫌いを言うことはできるけれど、優劣を言うのは手に余る。 本人は優劣を言っているつもりでも、単に好みを語るだけになってしまいそう。 -+-+-+-+-+-+-+-+-+-+- ワイラースタインの表現は幅広いけれど、全体にテンションは抑え気味。力強さは控えめ。 そのかわりに、 滑らかで能弁。 というか、この滑らかさは、単なる傾向ではなく、技巧が巧拙を云々される次元を超えて、音楽表現に昇華されているようなレベルのもの。 表現にも音にも雑味がない。 とても高いレベルの技巧とセンスで演奏されいるのはまちがいなさそう。 -+-+-+-+-+-+-+-+-+-+- ただ、1曲めから多少落胆したことは否定できない。 この曲では、 一挺のチェロで演奏しているとは思えないような、雄渾な広がりを期待するのだけど、そういうのは無い。 こじんまりとして線の細い演奏というのではないけれど、技巧的にも表現としても、洗練させることが最優先。 1曲1曲の味わいを堪能させる、みたいな趣向ではない。  もっとも、バッハの無伴奏はさんざん聴かれてきた楽曲なので、今さら曲の持ち味に軸足を置くアプローチは取りにくいだろう。 ワイラースタインらしさを発揮することに軸足を置くのは、適切な選択なのだろう。他の演奏を見渡しても、そういうのが多いし。 とはいえ、 かなりワイラースタインの持ち味に寄せた音楽にはなっている。