クナッパーツブッシュによるワーグナー楽劇『ワルキューレ』(1956年バイロイトでのライブ)

 

【演奏のプロフィール】

クナッパーツブッシュは1951年、1956年、1957年、1958年とバイロイト音楽祭で『ニーベルングの指環』を上演。

これは1956年の録音(バイエルン放送協会所有の音源)。


【感想】

1956年、1957年、1958年のリングの全曲録音が手元にあるけれど、その中では音質が最も良い。

それでも、DECCAのセッション録音で聞けるクナッパーツブッシュの精妙な芸を味わうのは難しい。まあ、楽曲を鑑賞できる水準にはあるけれど。

ときどきこの音源のクナッパーツブッシュの指揮ぶりを礼賛するレビューを目にするけれど、ちょっと怪しいかも。この指揮者の堂々たる芸風(の片鱗)は味わえるけれど、凄演のたぐいではないと思う。「昔クナッパーツブッシュという偉い指揮者がいて、こんな立派な演奏をやっていました」という事実を確認できる記録、みたいな位置づけになると思う。

クナッパーツブッシュは、歌唱陣と一体になって燃え上がるとかではなく、冷静着実に作品の世界観を構築している感じ。全編骨太な表現なので(ORFEOによる味付けかも?)、薄かったり弱く感じることはないけれど、鬼気迫るような感じはない。


放送局の録り方のせいもあるのだろうけど、クナッパーツブッシュは常に歌手たちを包み込むように管弦楽を鳴らしている。厚みを感じさせるサウンドだけど、歌手を押しつぶすことはない。フルトヴェングラーあたりだと、ときどきモリモリと高まる場面で歌唱を蹴散らしたりするのだけれど、クナッパーツブッシュにそれはない。たぶん、クナッパーツブッシュの方が(オペラの振り方としては)正統なんだと思う。

フルトヴェングラーの演奏に限らず、ワーグナーの楽劇では、管弦楽が雄弁に語り手として振る舞うことが多いと思う。まあ、ワーグナーの管弦楽があまりに素晴らしいので、指揮者はついついやりすぎてしまうのかもしれない(妄想です)。

そういうのと比べると、クナッパーツブッシュは決してやりすぎない感じ。たぶん、歌唱も含めたサウンドが常に念頭にあって、管弦楽は作品の世界観を体現する役割に徹している感じ。だからこそ、映像がなくても、聞いているうちに荒涼とした空間が広がっているような気がしてくる。

そして、クナッパーツブッシュの意図がなんとなくでもつかめてくると、聞き手の方にも安心感が芽生えて、任せたい気分になってくる。そのあたりは貫禄のなせる業だろうか。


遅めのテンポゆえに、歌手たち歌いにくくしているように聞こえるかもしれないが、たぶんそれは聞き手がテンポに慣れていないだけだろう。
確かに、もともと声が弱い歌手たちや、調子が悪かった歌手たちには辛いテンポかもしれない。でも、テンポは終始安定しているし、オーケストラにかき消されないように必要以上に声を張り上げることもないわけで、それに見合った実力持ち主であれば、案外歌いやすいような気がする。

実際、この当時の声に力のある歌手が揃っているし、のびのび歌っているように聞こえる。
この音源の最大の聴きモノは歌手たちだと思う。 

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