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ドホナーニのブルックナー交響曲第5番

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1991年のセッション録音。 ドホナーニというと、ウィーン・フィルと録音したR.シュトラウスでの精密なオーケストラ・コントロールに、強烈な印象を受けた。 このブルックナーも精密な演奏だけど、少し印象は違う。 オーケストラはクリーヴランド管弦楽団だから、ウィーン・フィルよりさらに精密感が上がりそうな気がするけれど。 この印象の違いは、たぶんオーケストラの技術とか持ち味とは別のところにある。 ドホナーニに意志によるのだろう。 * * * * * 感情面で入り込むことはなく、ドホナーニの尺度で楽曲の書法とか構造を端正に明瞭に浮かび上がらせる。 ただ、サウンドの響かせ方はけっこう豊か。耳をそばだてると精密さを聞き取ることはできる。でも、個々のパートの輪郭をそれほどクッキリとさせていないから、耳の当たりは柔らかい。 おかげで、聴き通しやすいし、けっこうなスケール感が出ている。 各奏者に、力を抜いて、柔軟に、鋭敏に奏でさせている感じ。豊かで広がる響きの中に、繊細な表情が浮かび上がる。 豊かさと細やかさを両立させている。ただし、響きに芯の強さみたいなものは感じ取れない。 * * * * * ブルックナーの音楽に、宗教を連想させるようなテイストがあるとして、馥郁とした響きがそれに関係しているとしたら、この演奏の音響は、大きくは外れていないように感じる。 あるいは、聖歌の朗唱を連想させるように歌いまわすことが、それに関係しているとしたら・・・ドホナーニの歌いまわしは軽くて薄いので、外れているかもしれない。 ドホナーニがクリーヴランド管と残した他の録音からも、同じような傾向を覚える。 ブルックナーだから、このように演奏しているというより、これがこの時期のドホナーニのスタイルなのかもしれないし、あるいはオーケストラやホールの特性との間に見出した一致点なのかもしれない。 * * * * * 耳の当たりは柔らかくてドギツイところのない演奏様式だけど、この指揮者の美意識が隅々まで浸透している。少なくとも堅牢な構成美が魅力の第5番については、面白い仕上がりになっていると思う。

ブラームスの弦楽四重奏曲第1番、アルバン・ベルク四重奏団

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全集(と言っても3曲しかないけれど)から。1991年のセッション録音。 そもそも、室内楽を聴くようになったのは、ここ2年くらいなので、語れるほどの経験値がない。 ブラームスの室内楽作品の中では、弦楽五重奏曲とか弦楽六重奏曲の方が聴きやすい。 特に気に入っているのは、弦楽五重奏曲第2番の第1楽章。良いのは第1楽章だけだけど。 弦楽四重奏曲は、渋いブラームスの室内楽作品の中でも、特に渋いジャンルの一つと思う。 もともと、魅力的なフレーズを作るのが不得手な作曲家と思うけれど、曲によっては、彼なりの親しみやすさとかサービス精神を発揮している。 でも、弦楽四重奏曲からは、そういう印象を受けない。彼なりの充実した音楽を作り上げることに、邁進している。人懐っこさではなく、手ごたえで押し切ろうとしているような。 ブラームスにとって、弦楽四重奏曲というのは、そういうジャンルなのだろう、と勝手に考えたり。 * * * * * 3曲の弦楽四重奏曲の中で、第1番は初めて聴いたときから好印象だった。 緊密な書法と全曲を貫く暗くシリアスなトーン。 特に第一楽章での、張り詰めた中での畳み掛ける展開はしびれる。 交響曲第1番なんかにも感じられる、傑作を作り上げようとする、過剰な気迫がこもっている。 この過剰さ、息苦しさは、音楽としては欠点にもなりうるだろう。 私見では、ブラームスは、大作曲家としては、楽想の豊かさとか、展開の大胆な面白さみたいところが弱い。 そんな中で、この曲のような、シリアスで激情的な表現は、比較的様になりやすいと思うのだ。 もっとも、べートーヴェンのように、暗い激情を解放のカタルシスに展開させるような芸当はできないから、終始閉塞していて、心地よい音楽ではないけれど。 まぁ、ブラームスはそれでいいと思う。それがいいと思う。らしいと思う。 * * * * *  ブラームスの音楽では、機能美みたいものは前に出てこない。でも、緊密で練れた書法は彼の特長。 優れて技巧的だけど、技巧のための技巧みたいになるのは嫌なのだろう。 演奏者には、作曲家が目指したであろう気分とかニュアンスとかを表出しながらも、その技巧の冴えを楽しませてくれる演奏を期待したい。 アルバン・ベルク四重奏団による演奏は、楽曲の機...