ドホナーニのブルックナー交響曲第5番

1991年のセッション録音。

ドホナーニというと、ウィーン・フィルと録音したR.シュトラウスでの精密なオーケストラ・コントロールに、強烈な印象を受けた。

このブルックナーも精密な演奏だけど、少し印象は違う。
オーケストラはクリーヴランド管弦楽団だから、ウィーン・フィルよりさらに精密感が上がりそうな気がするけれど。

この印象の違いは、たぶんオーケストラの技術とか持ち味とは別のところにある。
ドホナーニに意志によるのだろう。

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感情面で入り込むことはなく、ドホナーニの尺度で楽曲の書法とか構造を端正に明瞭に浮かび上がらせる。

ただ、サウンドの響かせ方はけっこう豊か。耳をそばだてると精密さを聞き取ることはできる。でも、個々のパートの輪郭をそれほどクッキリとさせていないから、耳の当たりは柔らかい。
おかげで、聴き通しやすいし、けっこうなスケール感が出ている。

各奏者に、力を抜いて、柔軟に、鋭敏に奏でさせている感じ。豊かで広がる響きの中に、繊細な表情が浮かび上がる。
豊かさと細やかさを両立させている。ただし、響きに芯の強さみたいなものは感じ取れない。

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ブルックナーの音楽に、宗教を連想させるようなテイストがあるとして、馥郁とした響きがそれに関係しているとしたら、この演奏の音響は、大きくは外れていないように感じる。

あるいは、聖歌の朗唱を連想させるように歌いまわすことが、それに関係しているとしたら・・・ドホナーニの歌いまわしは軽くて薄いので、外れているかもしれない。

ドホナーニがクリーヴランド管と残した他の録音からも、同じような傾向を覚える。ブルックナーだから、このように演奏しているというより、これがこの時期のドホナーニのスタイルなのかもしれないし、あるいはオーケストラやホールの特性との間に見出した一致点なのかもしれない。

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耳の当たりは柔らかくてドギツイところのない演奏様式だけど、この指揮者の美意識が隅々まで浸透している。少なくとも堅牢な構成美が魅力の第5番については、面白い仕上がりになっていると思う。

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