投稿

9月, 2017の投稿を表示しています

ダニエーレ・ガッティによる、ベルリオーズの幻想交響曲

イメージ
ダニエーレ・ガッティ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団。2016年ライブ録音。 ガッティは、2016年9月にロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の第7代首席指揮者に就任。その半年ほど前のライブ録音。 ガッティは、バイロイト音楽祭での『パルジファル』の放送音源を聴いたことがある。 ただでさえ長大な『パルジファル』を、遅いテンポで、コッテリと仕上げていた。そのときは、食傷した。 :::::::::: コッテリとした音楽は、この音源でも共通している。これがこの指揮者のテイストのようだ。 フレーズを深く息づかせているから、遅めのテンポに必然性はある。 もともと、このオーケストラ(コンサートホール?)の持ち味の一つが豊かな響きだから、ディテールの表現を浮き立たせるのに、ふさわしいテンポと感じられる。 作り込まれた濃い表現。入念に艶めかせ、しなを作る。とりわけ、高弦のしなやかさが印象的。 そこにはガッティの嗜好が色濃く反映されていて、常に濃厚な空気が立ち込めている。 曲調の変化にかかわらず、演奏の持つ佇まいは一定しているというか、どちらかというと変化は乏しい。 :::::::::: 第2楽章のしなやかな軽快感は心地よい。 第3楽章は、ややもたれ気味だけど、聴き応えは大きい。この演奏の山場と言えそう。 それに続く、第4、5楽章は、はじけないどころか、コッテリ艶やかに塗りたくられた。 楽曲の味わいが、指揮者の美意識で覆いつくされたような印象。 指揮者の確固たるスタイルと、それを実現できる力量は確かなものだけど、演奏者のエゴが強く出ているので、聴き手を選びそう。

シェリング、ハイティンクによるブラームスのヴァイオリン協奏曲

イメージ
ヘンリク・シェリングのヴァイオリン独奏、ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団。1973年のセッション録音。 シェリングの、この協奏曲のセッション録音は、モントゥーとの協演(1958年)、ドラティとの協演(1962年)の2つがある。他に、クーベリックとのライブ録音(1967年)があるようだ。 ここでとり上げている、ハイティンクとの協演盤は、シェリング54歳の録音。ソリストとして、若くはないが、耄碌するほどでもない、という微妙な年齢。 :::::::::: この音源は、シェリングに焦点を当てると、彼の最善ではないかもしれない。端正で品位があるけれど、軽めで淡白。 練られていて心地よいけれど、聴いていてテンションが上がる演奏ではない。 一方のハイティンクは録音当時44歳。1980年代に入って風格を増すけれど、この録音の頃は、まだ押し出しが弱い。 特にこの音源では、名ヴァイオリニストとの共演ということもあってか、良くも悪くもお行儀よく振る舞っている。 :::::::::: 老成の気配が漂い始めたシェリングに、若輩ゆえの押しの弱さがあるハイティンクと、個々に聴くと、この二人の最善の姿ではないかもしれない。 しかし、この組み合わせが、絶妙な味わいを生み出している。 古き良き欧州の香り、みたいなものが色濃く漂ってくる。演奏自体は軽めのタッチだけど、その根底に練り込まれた技と美意識を感じる。 :::::::::: かつては1980年より前のハイティンクの音源を軽視していたけれど、最近は、好みが逆転している。巨匠風の空気をまとう前のハイティンクの方が好ましい。 力のあるオーケストラと、ポテンシャルは高いけれど余計なことをしない指揮者の組み合わせって、しっくりくる。 ここでの伴奏は、自己主張控えめだけど、楽曲を整ったフォルムで描き出しつつ、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の持ち味を引き出して、品良く、耳あたり良く、端整に仕上げている。