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エステル・ニッフェネッガーによるバッハの無伴奏チェロ組曲

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演奏はエステル・ニッフェネッガー。1971年のセッション録音。 ニッフェネッガーは、スイス出身の女性チェロ奏者。 1988年に同曲を再録音しているようだ。 この録音では、曲に合わせて、3つのチェロを使い分けているらしい。 :::::::::: 落ち着いたテンポで、素直に丁寧に弾いている。技術的にも、堅実で安定している。 主たるフレーズを伸びやかに際立たせて、それらを流暢につなげていく。ただし、フレージングは清潔で、造形はキチッとしている。 穏やかな曲調の楽曲は、丁寧かつスムーズ、そして品の良い歌いっぷりが心地よい。 ただし、活気のある楽曲でも同じ調子で、良く言えば落ち着いているけれど、表現の彫りは浅めで、いきいきとした精彩は乏しい。 響きのニュアンスはコントロールされているけれど、総じてくすんでいる。音色については、録音のせいかもしれない。 誠実で好ましいタッチだけど、演奏者の表現力が追いついていない印象を拭えない。 :::::::::: かつて、カザルスとかロストロポーヴィチとかマといった有名どころを聴いてもサッパリだったのが、この音源の第6番を聴いているときに、ハッとさせられた。 この音源を聴いて、無伴奏チェロ組曲の魅力に開眼させられた身としては、粗略に扱えない。恩人のようなものだ。 あらためて聴き返すと、思っていたほどの名演奏ではなかったようだし、もろにオールドスタイル(オリジナル楽器復興前のスタイル)だった。 一般論として、この曲の膨大な数の録音の中で、古臭いこの音源の存在意義が大きいとは考えにくい。

クレンペラーによるブルックナー交響曲第5番(1968)

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オットー・クレンペラー指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。 1968年ライブ録音。演奏当時、クレンペラーは83歳。 彼は、この前年に、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団と、同曲をセッション録音している。 :::::::::: 作品の捉え方は、前年のセッション録音と共通しているけれど、クレンペラーなりに、聴衆の嗜好やオーケストラの持ち味に合わせている印象。動機によって、テンポの設定を切り替えたり、歌い回しに緩急を施したり。 頑固者というイメージが強い指揮者だけど、欧米のオーケストラを転々としていた期間が長かっただけに、このくらいの融通は利くのだろう。 セッション録音の堅固な芸風に抵抗を感じる聴き手には、こちらの方が近づきやすいかも。 ただ、クレンペラーらしさ重視で聴くと、やや崩し気味の演奏。  さすがに、1950年代のライブ録音のような精悍さはない。ただ、演奏当時も、耳や統率力は健在だったようで、客演だけど、この指揮者らしい明解なアーティキュレーションを引き出している。 各パートの輪郭をクッキリと響かせて、明確なコントラストで彫り深く歌い回す。 :::::::::: クレンペラーの演奏スタイルは理知的、明解、的確。オーケストラを煽るようなやり方ではない。 ただ、興がのると、強めのリズムの刻みとか彫りが深くて芯の通ったフレージングのせいか、演奏の外観とは裏腹な、濃い表情が溢れ出してくる。 楽曲に理知的にアプローチしながら、作品の構造や書法だけでなく、情緒的な部分まで如実に浮かび上がらせる、 クレンペラーの芸風を伝える興味深い記録。

クレンペラーによるブルックナー交響曲第5番(1967)

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オットー・クレンペラー指揮、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団。 1967年のセッション録音。  知っている範囲で、クレンペラーの同曲の録音は他に、1957年アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団とのライブ、1967年ニュー・フィルハーモニア管弦楽団とのライブ、1968年ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのライブがある。 :::::::::: 全曲通して、もたれない程度に悠然とした歩調が一貫している。 その上で、次々繰り出される多彩なモチーフを、リズム感とか歌い回しの変化で描き分ける。 そして、密度感のあるサウンド。低音厚めのサウンドバランスだけど、リズムの刻みを聴き取れる明確な低音。 アンサンブルの明晰さが重視されており、幻想的だとか、宗教的だとかの雰囲気作りはやっていない。 作品造形としては、滅多にないくらい堅固で硬派。ただし、息苦しさのようなものは感じられない。 たぶん、乾いた感触ながら、広がりと見通しの良さを兼ね備えた響きのおかげ。 :::::::::: 曲調の変化に反応しない歩調などは、武骨な印象につながりやすいけれど、アンサンブルはきめ細かくコントロールされている。それぞれの線の動きは明瞭で、音のつながり方や重なり方は念入りに表出されている。 明晰さだけなら、他に優れた演奏はいくらでもある。 クレンペラーの真骨頂は、明瞭な発音で、個々のフレーズを彫り深く、陰影深く形作るところ。一定した歩調で淡々とした進行だけど、アンサンブルは雄弁。 そのせいで、もっばら理詰めで作品にアプローチしているようでありながら、感情表現を強く意識させられる。 そうした作法は、ブルックナーの交響曲の中でも、特にこの曲と相性が良いようだ。