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ヤンソンスによるシューベルト交響曲第8(9)番「グレート」(2018年ライブ)

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マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団。 2018年2月1〜2日のライブ録音。 ヤンソンスは、1943年にラトビアで生まれ2019年に亡くなった指揮者。 2003年から亡くなるまで、このオーケストラの首席指揮者の地位にあった。 バイエルン放送交響楽団も、またヤンソンスが2004〜2015年にかけて常任指揮者を務めたロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団も、彼の在任中に自主レーベルを立ち上げた。 たまたまなのか、ヤンソンスが推進役だったのか知らないが、この音源はそんな中の一枚。   *-*-*-*-*-*-*-*-*-* ヤンソンスは、その特徴を言葉にしにくい指揮者。 わたしが知る範囲のヤンソンスは、自分の個性をひけらかさず、もっばら楽曲とオーケストラの持ち味を引き出すことで耳を楽しませる指揮者。 個性が薄いということではないけれど、譲れない確たる美意識があって、共演者をその世界に引き込んでしまうというタイプではない。 こういうアプローチで、世界のトップに居続けられたというのは、基本的な能力がすこぶる高いのだろう。   *-*-*-*-*-*-*-*-*-*    ヤンソンスの平明な造形感が、楽曲の古典的に側面とマッチしていることもあって、模範的かつ爽快な仕上がりになっている。 足取りは軽快だけど、恰幅の良いサウンドバランスのせいで、腰の軽さは感じられない。 オーケストラの機能性と明るくて柔らかいサウンドが十分に引き出されて、本場っぽいテイストも随分と醸し出されている。厚みを感じさせるけれど、重厚さより豊かさが勝っている。 本場風を気取っている感じもオーケストラに譲る感じもなく、ともに演奏することを満喫しているような自然体。 亡くなる前年とは思えないくらい推進力とか力感があるけれど、むちろん強引さはない。    *-*-*-*-*-*-*-*-*-*   完成度の高い魅力的な演奏だけど、好みを言わせてもらえば、この曲ではもっと締まりのある響きで、個々のパートを鮮度高く聴かせてほしい。 とくに木管パートの音色の色彩感をもっと楽しませてほしかった。そのあたりもこの曲の聴きどころと思っているので。

サロネンによるベートーヴェン交響曲第3番『英雄』(2018年ライブ)

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好感度 ■■■■■ エサ=ペッカ・サロネン指揮シンフォニア・グランジュ・オ・ラック。 2018年ライブ録音。 サロネン1958年生まれの、フィンランドの作曲家・指揮者。 録音当時はフィルハーモニア管弦楽団の首席指揮者。 ちなみに、フィルハーモニア管弦楽団との契約は2021年までで、その後はサンフランシスコ交響楽団の音楽監督が予定されているらしい。 一方のシンフォニア・グランジュ・オ・ラックは、毎夏フランスで開催される音楽祭「ランコントル・ミュジカル・デヴィアン」専用オーケストラのようだ。 この音源は、それの結成記念コンサートとのこと。 -+-+-+-+-+-+-+-+-+-+- 響きの良いホールの中での、編成の小さなオーケストラによる演奏。そのことが、本質的な影響を及ぼしているようだ。 サロネンらしい軽快で颯爽とした演奏スタイルだけど、ロス・フィルやフィルハーモニア管との録音とは、印象が異なる。 ロス・フィルやフィルハーモニア管との録音を聞くと、サロネンはオーケストラから、端整で機能的なアンサンブルを引き出していたようだが、推察されるだけで、実感として感じ取りにくかった。 というのは、この指揮者は、機能美と同じくらい、彼は力感とかボリューム感も重視するので、しばしばディテールが糊塗されてしまうから。 個人的に、精細さと力感とのバランスの難しさを、この指揮者の演奏スタイルから感じていた。 それが、演奏空間とオーケストラが小さくなったことで、この音源では解消されている。 -+-+-+-+-+-+-+-+-+-+- オーケストラが小さくなったために、音響の圧力が弱くなる。それを埋めるように、表現の振幅を強めている。 第一楽章では、もともとスポーティなくらい颯爽とした歩調だったが、展開部の頂点に差し掛かると、さらにテンポを追い込む。 第二楽章は緩急の幅が大きく、場面に応じて個々のパートを浮き上がらせる。 ベースがスッキリ爽やか路線なので、濃厚風味にはならないが、かなり雄弁にやっている。 第四楽章でも、変奏ごとのタッチの違いを明確に描き分ける。 -+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-  この指揮者の演奏は、そこそこ好んでいたけれど、なんとなく「指揮界のイケメン枠...

ネルソンスによるベートーヴェン交響曲第7番

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アンドリス・ネルソンス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。 2017年ライブ録音。 2020年はベートーヴェン生誕250年に当たるそうだ。それに向けて制作された全集からの一枚。 ネルソンスは、1978年ラトビア出身の指揮者。ということは、この録音の頃は30代終盤。 この若さで、現在ボストン交響楽団の音楽監督とライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長(カペルマイスター)を務めている。 しかも、 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とも良好な関係を築いているようだ。     これは期待を上回る好演。 ネルソンスという指揮者の“らしさ”はあって、本場の味わいそのまんまではないけれど、正攻法のアプローチで、過不足なく楽曲の持ち味を引き出している。  これまで、彼のショスタコーヴィチとか(ボストン交響楽団)、ブルックナーとか(ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団)を聴いたときは、上手さに感銘したけれど、心を動かされることはなかった。  まっとうで丁寧な音楽をやる人だけど、サウンドとかアンサンブルに対する意識の強さが剥き出しで、生気とか色彩が乏しい印象だった。 でも、バイロイトでのライブ録音(ローエングリン)は、もっと好ましかった。ベースの部分はネルソンス流だけど、神経質にならないで、音楽の自然な勢いを引き出していた。 歴史ある音楽祭という状況が何か影響していたかもしれない。   このベートーヴェンは、端整な弦の動きとかほのかに清涼感を帯びたサウンドあたりにネルソンスらしさを感じさせるけれど、自然な勢いや流れとか、伝統的な楽曲イメージなとじも十分に尊重されている。  たとえば、第二楽章あたりでは、コクとか粘りより、涼やかな繊細感が勝っていて、ヨーロッパの寒い国の香りがする。 しかし、後半2楽章になると、オーケストラのコクと厚みを活かしつつ、沸き立つような爽快な演奏に仕上がっている。キレの良さはネルソンスの持ち味だろうが、それも含めてとにかく良いバランス。 そして、精度と勢いや力感とを両立させるネルソンス手綱捌きは素晴らしい。 指揮者としてのキャラの表出は控えめだけど、控えめながら彼らしさは隅々にまで浸透していて、アンサンブルを掌握している。少なくとも、オーケスト...