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ワシリー・ペトレンコによるチャイコフスキー交響曲第5番

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ワシリー・ペトレンコ指揮、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団。全集から。 2014年のセッション録音。 ワシリー・ペトレンコは1976年ロシア生まれ。ということは、30代終盤の録音。 なお、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を2009年から務めているようだ。 * * * * * 若々しい推進力とか覇気が感じられる。でも、勢い任せではない。アンサンブルを明解に響かせ、作曲者が狙ったであろうオーケストレーションの効果を、颯爽と手際よく捌いていく。小気味よい。 サウンドは薄くて軽め。オーケストラの持ち味があるのかもしれないけれど、ペトレンコの作品解釈から判断して、厚ぼったい響きを求めていないだろう。 ただ、ドライなサウンドではない。一体感のある響きだけど、意識を向けると細部の表情が明解に聴きとれる、くらいのバランス。 力強さをキレと瞬発力で表現するタイプ。音量や量感で圧倒するという盛り上げ方ではない。 その意味で、小気味よいけれど、どちらかというと軽量級のようにも聴こえる。 テンションは高いけれど、押しつけがましくも息苦しくもない。 チャイコフスキーにある種の思い入れを持つ人には物足りないかもだが、わたしにはこのくらいが程良い。少なくとも、第5交響曲に関しては・・・ * * * * * よく知らないオーケストラなので、聴く前は不安があった。 個々のパートの聴かせる力みたいなものは感じられないけれど、十分な機動力があって、指揮者の要求に歯切れよく応えている、と思う。 ペトレンコのチャイコフスキー像を味わうには事足りる。

ヌヴーによる、シベリウスのヴァイオリン協奏曲

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ジネット・ヌヴーのヴァイオリン独奏。管弦楽は、ワルター・ジュスキント指揮のフィルハーモニア管弦楽団。 EMIへのセッション録音(1946年)の焼き直し。 とりあえず、録音の良さに驚く。さすがにオーケストラの響きは貧相だけど、ヴァイオリン・ソロだけなら、古い録音のハイディキャップをあまり感じない。 * * * * * テンポは遅め。一歩一歩表現を確かめるような足取り。 前提となっている作品観は濃くて情熱的だけど、演奏自体はじっくりと丁寧。 結果として、熱気にあおられるような場面は乏しい。作品をじっくり味わう系の演奏。 響きの濃淡や厚みの変化を際立たせて、雄弁に歌わせている。この濃さや粘りをシベリウスらしく感じるかは、聴き手との相性になるかも。 こういうやり方なので、第三楽章は湧き立たない。 * * * * * 管弦楽は、フレーズの折り目をきちんとして、各パートを明解に聴かせるアプローチ。パート間のバランスを細かくコントロールしながら、ニュアンスの変化を丁寧に表出している。 ゆっくりめのペースにも間延びしない。 盛り上がる場面でも、激しい高まりや音の大きさより、明解なアンサンブルを優先する。おかげで、ソリストを邪魔することは、一切ない。 * * * * * ちなみに、ジャケ写を見ると、ヌヴーとバルビローリの共演盤のようだが、収録音源に共演はない。両者のシベリウスの演奏が別々に収録されている。

テツラフによる、シベリウスのヴァイオリン協奏曲

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2002年のセッション録音。 クリスティアン・テツラフのヴァイオリン、管弦楽はトーマス・ダウスゴー指揮デンマーク国立交響楽団。 テツラフは、1966年生まれのドイツのヴァイオリン奏者。一方のダウスゴーは、1963年生まれのデンマークの指揮者。 * * * * * テツラフのフレージングは、緊張感があって、緩急の落差がある。これだけを取り上げると、ドラマティック指向。 しかし、響きはスッキリとシャープで、線の動きが明解。だから、ドラマティック風でありながら、暑苦しさや粘っこさは無い。 こういう持ち味の演奏家なのか、シベリウスだからこうしているのか、現時点では判断できない。 * * * * * シベリウスのいろいろな持ち味に目配りした表現ともとれるが、どこかしら中途半端にも聴こえる。 ドラマティックな演奏として聴こうとすると、攻め切れていないようにも聴こえてしまう。 たとえば、第二楽章は、想いの高まりを聴かせるような息遣いと、精妙な響きの組み合わせで、どちらの要素もこの楽曲らしいのだけど、どっちつかずになっているような。 * * * * * あるいは、テツラフ個人の表現が中途半端なのではなく、管弦楽との兼ね合いでそのように聴こえるのかも。 ダウスゴー指揮の管弦楽は、ごく素直に盛り上げている。伴奏としては十分な働きだけど、テツラフが精妙な表現に傾く場面でも、あんまり付き合わないで、自然体で進めてしまう。 * * * * * というように、聴き終えてスカッと喝采できる演奏ではなかったけれど、テツラフのヴァイオリン演奏そのものは好印象。 少なくとも、自分の力量をアピールするために楽曲を料理する式の演奏ではない。作曲者の意図とかに思いを至らせてくれる、まっとうなアプローチだし、それだけの表現力を感じさせる。