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4月, 2017の投稿を表示しています

ツァハリアスによる、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番

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クリスティアン・ツァハリアスのピアノと指揮で、バックはローザンヌ室内管弦楽団。 2008年のセッション録音。 ツァハリアスは、1980年代に、いろんな指揮者との組み合わせで、全集を完成している。 ちなみに、23番はデイヴィッド・ジンマン指揮シュターツカペレ・ドレスデンとの組み合わせ。 未聴だけど。 ツァハリアスは、1950年生まれのドイツ人ピアニスト。すでに旧EMIにかなりの量の録音をしているけれど、聴くのはこれが初めて。 :::::::::: この曲の聴き所はいろいろあるけれど、演奏の好悪を左右するのは第2楽章。しみるような旋律美を持つシンプルな音楽だけど、こういう音楽の方が、演奏者と聴き手との相性が出やすい。 そして、個人的には、しっくりくる演奏に出会うのは、意外と難しい。 この録音は、気持ちよく浸れるものの一つ。 :::::::::: ピアノも管弦楽も繊細指向。弱音が数段階に使い分けられている感じ。 それでいて華奢にならずこじんまりしないのは、折り目正しく彫りの深い造形の賜物。 渋めの音色ながら、音の粒立ちは良好で、生き生きとしながら、格調を兼ね備えている。 そして、ピアノ独奏と管弦楽の一体感。 弾き振りだからと言うにとどまらず、オーケストラが良くコントロールされている。ピアノの念の入った弱音捌きに、オーケストラが的確に呼応している。 もちろんピアノが主役だけど、端正しなやかな弦のフレージングとか、管弦楽にも聴かせるところがあって、満足感は大きい。 ピアノとオーケストラの音量バランスもしっくりくる。

ルイージによる、シュトラウスのアルプス交響曲

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ファビオ・ルイージ指揮のシュターツカペレ・ドレスデン。2007年のセッション録音。 ルイージは1959年イタリア出身の指揮者。 個人的に、イタリア人指揮者の独墺系音楽の演奏は、何かしらの違和感を感じることが多い。 ルイージは、数少ない例外。汎ヨーロッパ的な持ち味だと思う。 :::::::::: パワフルで華やかなアルプス交響曲を期待する人だと、この演奏に裏切られるかもしれない。 ルイージのアプローチは、広々とした演奏空間の中で、楽曲オーケストレーションを、明晰かつ流麗に繰り広げることに重きを置いている。 音量そのものに圧倒されるのは、頂点での一撃くらい。 独墺系によくある重層的な響きの作り方とは違うけれど、フレーズの線を明確にしながら、それぞれの遠近感をきめ細やかにコントロールしている。 気持ちの良い見通しの良さと、シュトラウスらしい多彩さや奥行感が、見事に調和している。 :::::::::: オーケストラの統率も抜群。巧拙を云々する次元を超えて、美意識を感じさせるアンサンブルになっている。オーケストラ固有のトーンとか機動性が、ロスなく音楽的な官能につながっている。 上手い演奏なら他にもあるけれど、これは一段上にあるようだ。指揮者のセンスの良さと統率力の高さに感心するばかり。

シャハム、シリーポリによる、シベリウスのヴァイオリン協奏曲

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ヴァイオリン独奏はギル・シャハム、管弦楽はジュゼッペ・シノーポリ指揮フィルハーモニア管弦楽団。 1991年のセッション録音。 :::::::::: この曲らしさ、という角度から聴くと、賛否が分かれそうな演奏。 少なくとも、北欧の抒情的なテイストは、独奏にもオーケストラにもない。 シャハムのヴァイオリンはクッキリと明確な線だし、管弦楽は明るい色彩を振りまく。 :::::::::: それでも、ヴァイオリン協奏曲の演奏としては、ハイグレードな演奏だと思う。 そして、この演奏を他より一段上にしているのは、独奏と管弦楽のコンビネーションの良さ。 シノーポリの管弦楽は、ただ背景でソリストを修飾しているのではない。北欧の抒情とかそっちのけで、シベリウスのオーケストレーションのメカニズムを、白日の下にさらす。即物的に響く一歩手前くらいまで追い込んでいるけれど、明るく艶のあるサウンドのおかげで、無機質なタッチにはなっていない。 そして、シベリウスのこの曲のオーケストレーションは、そりなりに密度が濃いようで、シノーポリのやり方はそれなりに栄えている。 こんな伴奏だから、独奏が甘さや気分に流れては、様にならない。 その点シャハムは、管弦楽に見合う明解さと精度を聴かせつつ、そのうえで自分の存在感を発揮している。 張りのある流麗さの中に、彫りの深さを織り込んだ、訴える力の強いヴァイオリン独奏。

カルミニョーラ、アバドによるモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第4番

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ジュリアーノ・カルミニョーラのヴァイオリン独奏、伴奏はクラウディオ・アバド指揮のモーツァルト管弦楽団。 2007年のセッション録音。 カルミニョーラは、1997年に協奏曲の全集を録音している。これは、たぶん2度目の全集。 モーツァルトのヴァイオリン協奏曲は、ほとんど聴かないので、こだわりは乏しい。 何番の協奏曲でも、似たような感想になりそうなのだけど、比較的馴染んでいる4番の感想を書く。 * * * * * カルミニョーラの独奏は、快速で、しなやかで、鋭敏。 無機的な感触はまったくないけれど、優美だとか香り立つみたいな感覚的な心地よさは乏しい。 細やかに表情が織り込まれているようだけど、軽やかに流れていく感じ。 以前からこの曲になじんできた人の耳には新鮮に響くのかもしれない。 しかし、わたしのような不慣れな聴き手にとって、各協奏曲のテイストの違いを感得しやすい演奏ではないかも。 ただ、これらの楽曲を、思い入れたっぷりにやられても、それはそれで閉口してしまいそうなので、曲に慣れてくると、こういう方が聴きやすい。 * * * * * アバドとモーツァルト管弦楽団の伴奏は、ピリオド奏法を取り入れており、引き締まってきびきびとしている。 編成の大きなオーケストラを指揮しているときとは別人のようだけど、密度と張りのある響きは、この指揮者らしい。 独奏を邪魔することはないし、作為性は無いけれど、自己主張は強い。 そして、カルミニョーラの独奏と対比すると、けっこうゴツク聴こえる。ソリストと指揮者で、見ている方向が異なっているような違和感が付きまとう。