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ヨッフムによるブルックナー交響曲第5番(1964)

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オイゲン・ヨッフム指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団。 1964年のライブ録音。ヨッフム61歳。 ヨッフムは、1961~1964年に、ハイティンクと共同で、同オーケストラの首席指揮者を務めていた。 オットーボイレンの聖ベネディクトゥス修道院の大聖堂での演奏。それだけに残響は多めだけど、そういう場所での録音のわりには、ディテールが聴き取りやすい録音。 :::::::::: 実直なオッサン然とした風貌とは異なり、研ぎ澄まされた鮮やかな演奏。 会場の残響で響きは豊かに聴こえるけれど、低音は薄く広がるように響かせていて、中高音パート主体に表現を作っている。 端正で歯切れの良いアンサンブルを、演奏会場の豊かな響きが包み込んでいる。快適なサウンド・イメージ。 個々のパートは線が細いし、それぞれのリズムの刻みも軽め。軽快で、鋭敏で、スムーズなアンサンブル。響きの鮮度は高く色彩的。 とても洗練されていて、オーケストラもうまいし、指揮者のオーケストラをハンドリングする能力も、際立っている。 細かなテンポの変化はあるけれど、第二楽章を除いて、颯爽とした足取りで一貫している。 :::::::::: 軽快で歯切れ良いタッチだけど、ほど良い恰幅の音響。ただし、クライマックスの手ごたえは軽量級。 また、場面ごとの色調の変化はあるけれど、軽快でキビキビした足取りもあって、あっさりとしたタッチ。表情の動的な展開みたいなものは控えめ。

シューリヒトによるブルックナー交響曲第5番(1963)

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カール・シューリヒト指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。 1963年のライブ録音。良質なモノラル録音。 シューリヒトのこの曲の音源は他に、1962年のシュトゥットガルト放送交響楽団とのライブ録音、1959年のヘッセン放送交響楽団とのライブ録音がある。前者はここでも取り上げている。後者は未聴。 :::::::::: 個々のパートをくっきりと鳴らしわけながら、そのコンビネーションの妙味で聴かせる。 妙味と言っても、控えめな隠し味的なものではなく、大胆不敵。 音の重ね方やバランスの作り方に創意工夫が凝らされ、テンポは自在に伸縮する。 大胆にやっているけれど、気ままな印象はしない。楽曲を知り尽くした人が、味わい尽くし、楽しむような手つき。そういう楽しさを、聴き手と共有するような。 同じテンポを動かすにしても、フルトヴェングラーのような、楽曲の構成に則って緩急や起伏を強調するというやり方ではない。 シューリヒトのは、個々のフレーズに込められているニュアンスを強調する感じ。 そういうやり方なので、ガッチリとした造形感みたいなものは感じられないけれど、かと言って散漫に流れることはない。 大胆に揺さぶりながら、全曲通しての一貫性を聴かせるところに、この指揮者の技を感じる。 ブルックナーだからと言ってことさらに厚く響かせることはない。 しかし、フレーズの線は、しなやかでありながら、ほどほどに粘りとか芯の強さがあって、密度濃く連動させるから、腰の軽さはない。 いかにも大曲というタッチではないけれど、手ごたえは十分にある。 :::::::::: シューリヒトの大胆なアプローチに実体をもたらすウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のアンサンブルは非凡。 指揮者がこれだけ振り回しても、食らいつくというより、むしろノリ良く乗っかっている感じ。 暴れん坊な指揮ぶりを考えると、アンサンブルはよくまとまっている。 他の指揮者と一味違う角度からこの交響曲を聴かせると同時に、この指揮者の飄々とした凄みを見せつける音源。

ズヴェーデンによるブルックナー交響曲第8番

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ヤープ・ファン・ズヴェーデン指揮、オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団。 2011年のセッション録音。 この指揮者は、2006~2013年にかけて、ブルックナーの交響曲全集を録音している。 ズヴェーデンは、1960年生まれのオランダ出身の指揮者。 2005~2012年の間、オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めた。 :::::::::: 柔らかくて広がりのあるサウンドが展開される。ソフトフォーカス気味だけど、曖昧模糊とした響きではなく、個々のパートのやっていることを聴き取ることはできる。 量感はあるけれど、低音が分厚いわけではなく、重苦しさはない。 逆に、うねるような粘り強さも感じられない。 テンポは、終楽章はやや速めで、その他の3楽章は標準~やや遅め。第三楽章を全曲の頂点として全曲のまとまりを作っている模様。 :::::::::: 弦主体に表情が作られており、柔らかくてしなやかなフレージングで、心地よく歌い込まれる。 フレージングの陰影は豊かだけど、息継ぎは淡々としている。自在な息遣いで聴き手を引き込む、みたいな芸当はやらない。 そのせいか、ロマンティックな味付けのようでありながら、そこにのめり込むことはなく、楽曲と一定の距離感を保つ印象。良く言えば、節度とか清潔感が感じられる。 木管群は総じて線が細く、ときに埋没してしまう。第四楽章の展開部あたりは、快速テンポがあいまって、ピーヒャラとお囃子のような調子。 金管群はもちろん埋没することはないけれど、弦の豊かな響きにくるまれている。 オーケストラは、ズヴェーデンが狙っている音響を体感させてくれる程度には健闘しているけれど、全体的に響きが薄くてうま味に乏しい。 :::::::::: 弦にウェイトを置いて、表情を明確に出しながら、豊かな響きをもたらす作法に、徹底した自己演出を感じる。演奏のコンセプトが端的で、わかりやすい。 しかし、その見返りに内声部が薄められており、音楽の密度は薄まって聴こえる。楽曲を堪能する目的で聴くには、物足りない。

シューリヒトによるブルックナー交響曲第5番(1962)

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カール・シューリヒト指揮、シュトゥットガルト放送交響楽団。 1962年のライブ録音。モノラルながら、放送局の録音らしく極めて鮮明。 この曲のシューリヒトの音源としては、1963年のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との録音がある。 :::::::::: シューリヒトは1880年に生まれて1967年に亡くなっているので、演奏当時82歳。その年齢で、これほど鮮やかで活力のある演奏をできることに、とりあえず感嘆する。 ディテールを雄弁に響かせるための広々とした造形。 ただし、壮大志向ということではない。響きの量感は控えめで、個々のパートをクリアに響かせて、室内楽的と呼べるくらいの密度で、アンサンブルを制御している。 演奏のベースにあるのは、各パートの掛け合いによって音楽を編み上げる、言わば古典的なアンサンブルの作法。 幻想性とか神秘性みたいな気分・雰囲気も、音響の奔流みたいな効果も乏しい。 と言っても、枯れた印象は皆無。肩の力は抜けているけれど、活力とか張りは必要十分。 :::::::::: 素朴なくらいに正攻法なアプローチだけど、アンサンブルを操る並外れた力量が、この演奏を非凡にしている。 大筋では正攻法なアプローチだけど、ディテールの表現では、まるで作品と戯れるように、自在に遊んでいる。 フレーズを揺らしたら伸縮させたり、ワンポイントで特定のパートを際立たせたりみたいなことを、随所でやっている。 この曲をある程度聴いている人にしか伝わらないような小技中心に、楽曲のイメージを損なわない範囲で、思う存分やっている。 オーケストラは、ちょいちょい手探りで合わせている感じはあるけれど、老巨匠の意図をくみ取っている。 :::::::::: かなり自由な演奏だけど奇抜ではないから、楽曲を知る目的で聴いても支障無さそう。 でも、ある程度この曲を知っている人の方が、よりシューリヒトの芸を味わえて、楽しめるかもしれない。