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11月, 2018の投稿を表示しています

ズスケ四重奏団によるベートーヴェン弦楽四重奏曲第15番

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1977年のセッション録音。1967~1980年に録音された全集から。 > このグループは、活動途中で名称を変更したため、まぎらわしい。 結成は1965年で、カール・ズスケを中心に、ベルリン国立歌劇場管弦楽団の首席奏者たちが、ズスケ四重奏団(Suske Quartett)を立ち上げたようだ。 その後、いつの頃からか和名は「ベルリン弦楽四重奏団」と変更されたようだが、その時期のジャケットには「Suske-Quartett  Berlin」と印字されている。つまり、ズスケ(Suske)の文字は残っている。 画像のジャケットはLPのもので(ちなみにLPは持っていない)、「Suske-Quartett 」と印字されている。 ということは、この録音時点=1977年には、まだ改称してなかったことになる。 結局、いつ改称したのだろう? :::::::::: 音色は均質で無味。全員で軽く柔らかく弾いていて、ひたすら穏当に親密にアンサンブルが展開される。 各パートとのバランスはほぼ均等。いずれも線は細いが、クッキリと明晰。 足取りは安定していて、造形は整っている。揺れは少ない。そのせいか、ダイナミックさは皆無ながら、芯はしっかりしているように聴こえる。 持ち味を発揮して主張するより、(彼らにとって)不要なものをいっさい寄せ付けないことで独自性を醸成する、みたいなアプローチ。 :::::::::: 一般的な意味での雄弁な演奏ではないけれど、そのペースに馴染んでくると、場面に応じた多彩な表情が染みてくる。 聴いていて緊張感のようなものは伝わってこないけれど、4パートのコンビネーションは精妙で、個が主張することなく一体感が堅持されている。 カルテットとしての力量をアピールするようなケレンは一切なく、穏やかな物腰で、しかし一点の曖昧さもなくベートーヴェンの書法を提示する。

クーベリックによるドヴォルザーク交響曲第8番(1976年ライブ)

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ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団。 1976年のライブ録音。 クーベリックは、1961〜1978年に渡って、同オーケストラの首席指揮者を務めた。 クーベリックは、この交響曲を、1966年にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とセッション録音している。 :::::::::: おそらく、オーケストラの編成はそんなに大きくない。 サウンド全体のボリューム感は控えめ。木管の輪郭が浮き彫りで、内声部が手にとるように明瞭。 華奢ではないし、こじんまりともしていないけれど、オーケストラサウンドのボリューム感はごく控え目。 個人的に、ドヴォルサークのオーケストレーションの妙を味わえる好ましいアプローチだけど、好き嫌いは分かれるかも。 :::::::::: 全編を緊張感が貫いているものの、テンションで聴かせるアプローチではない。 楽曲の書法を室内楽的な次元で浮き彫りにしながら、こだわりの表現を繰り広げている。緩急の揺れとか、細部の強調とかを自在にやっている。 造形を歪めるとか、特定パートを誇張するようなオーバーアクションはなく、一般的な意味でのアクの強さは感じないけれど、完全に自分の呼吸でやっているし、表情の付け方はこだわりに満ち満ちている。 たまたまクーベリックが端正な音楽を志向しているからお行儀良く聴こえるけれど、ご本人としては嗜好全開でやっているようにも聴こえる。 :::::::::: 弦セクションは、クーベリックの意志を体現するように、変幻自在の歌いっぷり。 金管セクションは、節度を保ちながら、歯切れよく他のパートに絡んでいる。 弦セクションに比べると、木管セクションはやや堅く聴こえる。弦がうますぎるのかも。 演奏のせいなのか、録音のせいなのかはわからないけれど、芯があって生々しいサウンド。ボヘミアの自然を連想させられるような音ではない。そういうのが不可欠な要素というわけではないけれど。

ティーレマンによるブラームス交響曲第1番(2012年)

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好感度 ■■■ ■■ クリスティアン・ティーレマン指揮ドレスデン・シュターツカペレの演奏。 2012〜2013年に録音された全集から。 ティーレマンは、2012年からこのオーケストラの首席指揮者を務めている。 なお、ティーレマンは、2006年にミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団と、録音している。 また、ドレスデン・シュターツカペレとDVDの交響曲全集も作っているが、そこでの交響曲第1番の演奏は、2012年東京でのライヴ収録のようだ。 :::::::::: 個々のパートの鮮度を侵さない範囲で量感豊か。重厚というのではないけれど、音楽の柄はそこそこ大きい。 その一方、一音一音を艷やかにしなやかに磨き上げている。もちろん、刺々しさや荒々しさは入念に取り除かれていて、とりわけヴァイオリン群のニュアンスあふれる歌い回しに耳を奪われる。各パートの発色も見事。とても洗練されている。 クライマックスでも、テイストは変わらないから、圧倒されるような力強さはない。でも、テンポの変化や呼吸感などを駆使して、それなりに盛り上げる。 第一楽章の展開部のクライマックスは難所だと思うけれど、力押ししないで、オーケストラのスリリングな合奏力で盛り上げる。指揮者もオーケストラも、抜群にうまい。 :::::::::: 終楽章はけっこうアクの強い演奏が繰り広げられている。 一定の推進力を維持しつつも、変幻自在の表現。テンポや音量や歌わせ方はわりとよく変化するし、強調するように変化させる。楽曲の展開に合わせた自然な揺らぎというのではない。 ゆったり広々とした序奏部に続いて、抑えめに始められる第一主題とか、再現部もしくは展開部が頂点に達する前段階での音量ダウンとか、コーダに入るときのたっぷりとしたタメとか。 まちがいなく作為的だけど、そうした試みのいくつかは面白い。ここでのティーレマンのアプローチに共感できるわけではないけれど、楽章の入り組んだ書法を、明快かつしなやかに解せている点は、好ましい。