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ティーレマンによるブルックナー交響曲第5番(2004年録音)

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 クリスティアン・ティーレマン指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団。 ティーレマンは2004~2011年にかけて、同オーケストラの音楽総監督を務めた。この音源は、音楽総監督就任披露演奏会でのライブ録音を編集したもの。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-* 現代のブルックナー像としては重厚長大型と言えそうだけど、前世紀の往年の巨匠たちを基準にすると、正統派のアプローチとも言える。 もっとも、大柄で引き締まった造形、堂々とした足取り、量感豊かな鳴りっぷりなどは前世紀的かもしれないが、感情や空気感の表出より、滑らかなサウンドやアンサンブルの精度を優先しており、本質的には今っぽいやり方。まあ、ティーレマンは現代の指揮者だから当然か。 質実剛健風だけど、アンサンブルのキレや練り具合は上質。指揮者の統率力とかオーケストラの機動力を感じさせる。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-* 総じてよくできた演奏だけど、どうもディテールが雄弁に響いてこない。そのせいか、音楽はあっけらかんと流れていく感じ。 考えられる原因の一つが、ホモフォニックなアンサンブルの作法。各声部の掛け合いよりも、全体の骨太な流れを優先している。アンサンブル自体は精緻だけど、こういうバランスのとり方だと、彫が浅く聴こえる。 もう一つの原因が、響きの色彩感の乏しさ。 ミュンヘン・フィルのブッルクナーというと、ケンペとチェリビダッケの録音が印象深い。スタイルは全く違うけど、どちらもサウンドの色彩感が魅力的だった。 それからすると、期待を裏切られた感じ。演奏者ではなく、DGの録音のせいかもしれない(重厚さを重視しすぎ?)。

ハンス・スワロフスキーによるワーグナー楽劇『ワルキューレ』

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ハンス・スワロフスキー指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団およびプラハ国立歌劇場管弦楽団の団員からなる録音用オーケストラ。 1968年の『ニーベルングの指環』セッション録音から。少し古い録音ながら、音質は良好。 スワロフスキーは1899年ハンガリー出身の指揮者。1975年没。指揮法の指導者としても名高い。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-* 音質は鮮明ながら、オーケストラサウンドはかなり奥まっていて、不自然なバランス。それでも、スワロフスキーがやっていることは明瞭に伝わってくる。 臨時で編成された混成オーケストラのようだが、指揮者の徹底されていて、響きとして明確に聴き取ることができる。統率力の高さを感じさせられる。 低音パートをスッキリと響かせることで、各パートの表情が鮮度高く表出されている。そのかわり、ドイツ風の厚みや広がりは薄弱。幕ごとのクライマックスでも、サウンドの圧力は軽め。 そのうえで、瞬間瞬間のパート間のバランスに徹底的にこだわっている。前に出す音、引っ込める音をメリハリよく切り替えて、しばしば独自のニュアンスを作り出しており、ハッとさせられる。 ただし、そのわりに雄弁とは感じられない。 主な原因は、平板な呼吸感だろう。音楽の振幅が激しい場面でも、呼吸感の変化は乏しい。 たとえば、「告別」の入りでも、集中から解放に切り替わる感覚が乏しい。物理的に音量がアップしているだけのようにも聴こえる。本来なら、ハッと息をのむような瞬間にしてほしい場面だ。  ワグナーの楽劇には、こういう決定的な瞬間が散りばめられている。そこでの演奏効果が今ひとつ。それ以外の場面はいい感じなのだけど。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-* わたし自身は歌手の歌いっぷりについて感度が低いというか、要求レベルは低いつもりだが、このジークリンデは音程が揺れる感じで聞き苦しい。 また、ブリュンヒルデは、声の威力はあるけれど、少々粗いかもしれない。微妙にところだけど。

サイモン・ラトルによるワーグナー楽劇『ワルキューレ』

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サイモン・ラトル指揮バイエルン放送交響楽団他。 2019年1月~2月の、コンサート形式での上演を編集した音源。 ラトルは、このオーケストラと2015年に『ラインの黄金』を録音している。4年ぶりというゆったりペース。 ちなみに、ヴォータン等配役が一部変わっている。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-* オーケストラから、精妙で機能的なアンサンブルを引き出しているけれど、柔らかい音の出し方、粘らないフレージング、明るく開放的なサウンド、ゆとりのある足取りなどがあいまって、明朗で豊かな『ワルキューレ』が構築されている。 たとえば各幕の序奏からして、豊かさ柔らかさが優勢で、切迫感めいたものは乏しい。 全曲通して、ワーグナーのオーケストレーションを、豊かに美しく響かせることに、重きが置かれている。 無限旋律的で柔和なサウンドは心地よく、神話的な物語というより、妖精の物語のようにも聴こえる。 管弦楽が歌手たちを威圧する場面は皆無で、柔らかく包み込み、自在に引き立てている。 だから、歌手たちはことさらに力むことなく、余裕をもって表現している。聴く方も、いつになく落ち着いて向き合うことができる。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-* ラトルは、一般的にワーグナー音楽の特質と言えそうな劇性や説明的な表現(=ライトモティーフの強調)を排除している。 独自の『ワルキューレ』像を提示すべくこのようにやっているのか、それとも音楽的な嗜好の発露に過ぎないのか、これだけでは判断できない。 このやり方に共感できるかはともかく、その音楽の上質感や洗練度は、とてつもなく高い。 いくらオーケストラが高性能とは言え、編成の大きなオーケストラを精妙に響かせるラトルの手腕は、比類ないレベルにあると思える。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-* 当代の優れたワーグナー歌手たちが起用されているようだ。 ブリュンヒルデを歌うテオリンは、たまに鼻にかかって音程が揺れるように聴こえるのが気になったし、ヴォータンを演じるラザフォードは、そのテオリンに押され気味だったりするけれど、他の歌手たちを含めて大きな不満はない。

アクセル・コーバーによるワーグナー楽劇『神々の黄昏』

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アクセル・コーバー指揮、デュイスブルク・フィルハーモニー管弦楽団他。 2019年に一気に録音された『ニーペルングの指輪』全曲から。公演を編集した録音。 コーバーは、1970年ドイツ出身の指揮者。今のところ、劇場指揮者としての活動が主のようだ。 2009年からはラインドイツオペラの音楽監督を務めている。デュイスブルク・フィルハーモニー管弦楽団は、ラインドイツオペラの下部組織らしい。 ちなみに、コーバーは2013年にバイロイト音楽祭デビューしている。これまでのところ、主としての“歌劇”を担当しているようだ。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-* ブリュンヒルデを歌うのはリンダ・ワトソン。録音当時60歳かその直前。自己犠牲では、声の安定感は微妙ながら、滑ったり転ぶことはなく、最後まで地に足の着いた歌唱。 一方ジークフリートを歌うコービィ・ウェルチは(まったく知らない人)、たぶんこの役を歌うには声が軽くて弱いのだろうが、無難な仕上がりと感じた。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-* 管弦楽パートは、ワーグナーの素晴らしいオーケストレーションを、ひたすらプレーンにフラット聴かせる地味なアプローチだけど、精度が高くて流暢なアンサンブルは心地よい。 柔らかく広がる低音が自然なスケール感をもたらしているけれど、アンサンブル自体は端整で機能的。葬送行進曲あたりも、煽りなしで整然とまとめている。 決めるべき場面でのパンチ力はもうひとつだし、陰影みたいな要素は乏しいから、ドラマ性を期待して聴くと肩透かしになるかもしれない。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-* コーバーの指揮ぶりは、ドラマを雄弁に描きあげるより、もっと抽象的に、声と管弦楽の有機的なアンサンブルを編み上げることに専念している感じ。 舞台上の出来事を無視しているわけではない。そういう違和感はないけれど、指揮者のドラマへの関与はかなり控えめ。 この指揮者の表現力の限界なのかもしれないが、やっていることに関しては高水準なので、こういう作品との距離感も悪くないと感じられる。 少なくとも、創造主のように作品世界を自分の色に染め上げる剛腕タイプよりは好ましい。