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フルトヴェングラーによるワーグナー楽劇『ワルキューレ』(1950年ミラノ・スカラ座ライブ)

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  【演奏プロフィール】 バイロイト音楽祭が戦後の再開されたのが1951年。これは、その前年にイタリアのミラノ・スカラ座でおこなわれた公演のライブ録音。 名歌手フラングスタートのブリュンヒルデを聞けるのも、この音源の魅力。 古いモノラル録音だけど、聞きやすくなるように加工された音源が色々と出回っているようだ。 ガチの臨場感を期待すると厳しいが、気軽に聴き通すくらいなら、なかなか快適。 【感想】 フルトヴェングラーの音楽はいささか大味だけど、明快でドラマティック。録音の古さを気にしなければ、楽曲をわかりやすく楽しませてくれる最右翼の演奏だと思う。 フルトヴェングラーは、場面ごとにメインのパートを前面に強く押し出して、くっきりとした表情を作り出す。とくにヴァイオリンは能弁で、存分に歌いまくる。そのおかげで、表情はひときわ明快になり、反面で大味にもなっている。この指揮者のライブ音源でありがちな、単純化の美学。 そこにイタリアの劇場オーケストラの明るく生々しいサウンドがあいまって、なにやら劇画風のタッチに仕上がっている。巨匠的な格調とか風格より、ドラマティックな面白さが前に出ている。 もし本場のオーケストラだったらどうだったろう・・・と考えなくはないけれど、ミラノ・スカラ座管弦楽団の演奏ぶりはうまくて聴き応えがある。歯切れがよくて、歌いっぷりも気持ちいい。 平穏な場面ではそうでもないけれど、熱を帯びる場面になると、管弦楽がモリモリと高まって歌唱をふっ飛ばしてしまう。当時のトップレベルの歌手をそろえているはずだけど、歌唱の印象は弱め。雄弁すぎる管弦楽に埋もれがち。 歌と管弦楽を一体として盛り上げるという意味では、模範的な演奏ではないかもしれない。また、このことが、大味な印象を強めているかもしれない。 たとえばケンペのバイロイト・ライブを聞くと、オーケストラを激しく煽りながら、声の演技を盛り上げるみたいなケンペの芸が随所で聞かれる。劇場指揮者としてのセンスは、ケンペの方が上かもしれない。好き嫌いは別として。 もっとも、フルトヴェングラーのやり方は、ワーグナーの管弦楽曲集とかに魅了されて全曲鑑賞に足を踏み入れた、という人たちにとっては、むしろ好ましいかもしれない。わたしもそういう一人だけど。

ケンペによるワーグナー楽劇『ワルキューレ』(1961年バイロイト音楽祭)

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【演奏のプロフィール】 ルドルフ・ケンペは、 1960〜1963年に、バイロイト音楽祭で 『ニーベルングの指環』を指揮。 ここでとりあげる音源は1961年のもの。 バイエルン放送所蔵のオリジナル・テープからのマスタリング。モノラル録音。楽曲を堪能できる音質ではないけれど、演奏者がやっていることはある程度わかりそうな水準。 【感想】 バイロイト音楽祭では、1958年まで3年連続でクナッパーツブッシュが 『ニーベルングの指環』を指揮。1959年はお休みで、1960年からケンペに交代。 この当時のケンペは50代の初め。戦後バイロイトの大立者クナッパーツブッシュの後ということで、プレッシャーもただ事ではなかっただろうけど、素晴らしい仕事をしていると思う。 狙ってやっているのか、自然にやっているのかはわからないけれど、アプローチはクナッパーツブッシュと対象的。管弦楽の主張は控えめ。 歌手がメインで、管弦楽は伴奏に徹している。歌を邪魔しないように、注意深くコントロールされている。 ワルキューレの騎行の場面でも、歌があるときは管弦楽はあくまでも支え役に徹している。歌が切れたときには、ダイナミックに切り込むけれど、歌が入る直前にササッと引いてしまう。 そんなスタイルにもかかわらず、ケンペの存在感はすこぶる大きい。若々しくとかっこいい。そして洗練度が高い。 管弦楽に注目して聞くと、スムーズに流れながら、その中で細やかな表現が繰り広げられていく感じ。こういう言葉遣いをすると軽量級のように思われるかもしれないけれど、 たとえば重苦しい第2幕では、管弦楽が歌唱に奥行きをもたらしていて、シリアスなドラマがじっくりと描きあげられている。 激情が爆発する場面では、簡潔な表現だけど、とにかく歯切れがよくて 瞬発力に富んでいる。その瞬間のエネルギーと切り込みは凄いけれど、サッと引き上げるので、円滑な進行を歪めることはない。トゲトゲしさやゴツゴツ感もない。 ケンペには、この曲のコヴェントガーデン・ライヴ(1957年録音)があるけれど、今回取り上げている演奏の方がずっと尖っている、と思う。 そんな感じで、冒頭からフィナーレまで、テンションと精度が一貫している。聞き進むうちに、ただごとではなくなってくる。 ヴォータンの告別の導入部前後はしびれた。ブリュンヒルデを歌うヴァルナイは、気合十分で凄みのある追い込...

クナッパーツブッシュによるワーグナー楽劇『ワルキューレ』(1956年バイロイトでのライブ)

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  【演奏のプロフィール】 クナッパーツブッシュは1951年、1956年、1957年、1958年とバイロイト音楽祭で『ニーベルングの指環』を上演。 これは1956年の録音(バイエルン放送協会所有の音源)。 【感想】 1956年、1957年、1958年のリングの全曲録音が手元にあるけれど、その中では音質が最も良い。 それでも、DECCAのセッション録音で聞けるクナッパーツブッシュの精妙な芸を味わうのは難しい。まあ、楽曲を鑑賞できる水準にはあるけれど。 ときどきこの音源のクナッパーツブッシュの指揮ぶりを礼賛するレビューを目にするけれど、ちょっと怪しいかも。この指揮者の堂々たる芸風(の片鱗)は味わえるけれど、凄演のたぐいではないと思う。「昔クナッパーツブッシュという偉い指揮者がいて、こんな立派な演奏をやっていました」という事実を確認できる記録、みたいな位置づけになると思う。 クナッパーツブッシュは、歌唱陣と一体になって燃え上がるとかではなく、冷静着実に作品の世界観を構築している感じ。全編骨太な表現なので(ORFEOによる味付けかも?)、薄かったり弱く感じることはないけれど、鬼気迫るような感じはない。 放送局の録り方のせいもあるのだろうけど、クナッパーツブッシュは常に歌手たちを包み込むように管弦楽を鳴らしている。厚みを感じさせるサウンドだけど、歌手を押しつぶすことはない。フルトヴェングラーあたりだと、ときどきモリモリと高まる場面で歌唱を蹴散らしたりするのだけれど、クナッパーツブッシュにそれはない。たぶん、クナッパーツブッシュの方が(オペラの振り方としては)正統なんだと思う。 クナッパーツブッシュは決してやりすぎないというか、歌唱も含めた全体像を常にイメージできているのだと思う。管弦楽は、作品の世界観を構築する一方で、歌手たちを活かしながらそれぞれのキャラや心情をこってりと修飾していく。だからこそ、映像がなくても、聞いているうちに荒涼とした空間が広がっていくような感覚にとらわれる。 そんなクナッパーツブッシュの流儀に馴染んでくると、聞き手の方にも安心感が芽生えて、任せたい気分になってくる。 遅めのテンポは、声が弱い歌手たちや調子が悪い歌手たちには辛いかもしれない。しかし、この演奏では、 当時トップクラスだったワーグナー歌いが揃っているし、実際のびのび歌っているように聞...