投稿

2月, 2017の投稿を表示しています

レーピンによる、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲

イメージ
ヴァディム・レーピンのヴァイオリンのソロ、管弦楽はリッカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。 2007年のセッション録音。 * * * * * 磨き上げられた技巧と、こだわりぬかれた作品解釈が、ある意味スタイリッシュに表現されている。 丹念に楽曲をトレースする、というレベルから一歩踏み込んで、作曲家が込めたであろう心の震えみたいなところまで洞察し、描き出していく。細やかな襞にまで光を当てる感じ。 当然、そこにレーピンの感性が入り込むので、賛否は分かれかねない。 ただ、彼の演奏能力とか表現力の高さは否定できないだろう。 他のヴァイオリン奏者が、何回かに一回しか成功できないような細やかな技を、余裕をもって計算通りにこなしているように聴こえる。 音楽の細かな襞に分け入るような演奏だけど、その手並みはあくまでもスタイリッシュ。演奏様式としての一貫性とか洗練が徹底されている。精密にコントロールされた技とか、くすみなく透明な響きとか。 * * * * * ムーティは、音楽の精気を削いでまでも、整えて磨き上げるスタイル。情動めいたものを感じさせない、無味無機質なタッチ。

ベル、イッサーリスによる、ブラームスの二重協奏曲

イメージ
ジョシュア・ベルのヴァイオリン、イッサーリスのチェロ。管弦楽は、ベルの弾き振りでアカデミー室内管弦楽団(アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ)。 2016年のセッション録音。 ベルのヴァイオリンを聴くのは初めてで、彼がアカデミー室内管弦楽団の音楽監督をやっていることを知らなかった。 * * * * * この協奏曲には、個々のソリストの見せ場はない。聴かせどころとしたら、息の合ったコンビネーション、ということになると思う。 ただ、わたしが聴いた範囲では、指揮者が出しゃばりすぎる音源が多くて、ソリストは霞みがちになることが多い。 その点、この音源では、ヴァイオリン・ソロを務めるベルがオーケストラをコントロールしているので、二人のソリストの表現や対話を堪能しやすい。音としてよく聴きとれるし、主導権をソリストが握っている。 逆に言うと、室内楽的な響きに近くなって、サウンドイメージはこじんまりとするけれど、個人的には、このあたりが適正なバランスのように感じられる。 この点が、わたしにとっての、この音源の魅力。 * * * * * ただ、管弦楽にはいささか疑問符が。 アカデミー室内管弦楽団というと、マリナーの演奏の印象しかない。マリナーがこのオーケストラから引き出すサウンドは、好みではなかったけれど、締まりがあって、指揮者の確かな統率が感じられた。 それに比べると、この音源の管弦楽には、イマイチ締まりがない。技術的な巧拙というより、芸を感じられない。表現したいサウンドイメージがはっきりとしない。 伴奏とは言え、この曲のオーケストレーションは、ブラームスの管弦楽法の最終到達点だから、指揮者にもオーケストラにも厳しい。

ヤンセンによる、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲

イメージ
ジャニーヌ・ヤンセンの独奏、管弦楽はパーヴォ・ヤルヴィ指揮のドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン(ブレーメン・ドイツ室内フィルハーモニー管弦楽団)。 2009年のセッション録音。 * * * * * ヤンセンのヴァイオリンは、よくコントロールされた繊細かつ上品なタッチだけど、歌い回しに控えめながら粘りとかしなりがある。だから、腰の弱い音楽にはなっていない。 あくまでもクールでスタイリッシュだけど、歌心を忘れていない、みたいな。気持ちよくこちらに入ってくる。 * * * * * 小編成のオーケストラによるオリジナル楽器風の伴奏とあいまって、こじんまりとしたサウンドイメージ。 聴き手の曲に対する思い入れによっては、違和感が湧くかもしれない。これはこれでバランスはとれていると思うし、個人的にはこういう方がしっくりくる。 いずれにしても、朗々としたスケールの大きな表現から、この音源のようなアプローチまでを受け入れてしまう、懐の広い楽曲だ。

チェルカスキーによる、ショパン練習曲集

イメージ
シューラ・チェルカスキーによる、ショパンの2つの練習曲集。 1955年のセッション録音(モノラル)。EMIへの録音と同一音源とのこと。 チェルカスキーは、1909年ウクライナ出身のユダヤ系アメリカ人。1995年に亡くなっている。 * * * * * チェルカスキーの音源を聴くのは初めてで、それが古いモノラル録音なので、これだけで判断するのは怖いけれど、小ぶりで流れの良い、おとなしめの演奏。 終始軽めのタッチで、音量の変化の幅は控えめ。もっぱら、メインのフレーズとサブのフレーズとの親密な掛け合いで聴かせる。 技巧性を前に出さず、各曲の味わいを手堅く聴かせる。良くも悪くも手慣れたような表現で、この曲集をフツーの小曲集という体で聴かせる。 ただし、マッタリと緩く演奏しているわけではない。指の回りの鈍さを味付けでごまかす、というのでもない。テンポよく、起伏もある。汗ばむことも、息を乱すこともなく、落ち着きと軽味が一貫している。 * * * * * ショパン弾きでも、練習曲集を録音していない人は何人もいる。演奏の難しさの点で、特別な位置を占める曲集。 そういうこちらの先入観を透かすような自然体風のテイスト。 古いモノラル録音であることを含め考えると、どうしてもこの音源を聴きたい、というほどの強烈な吸引力はないかもしれない・・・

小澤とベルリン・フィルによるチャイコフスキー交響曲第5番

イメージ
小澤征爾指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏。1989年のセッション録音。  ちなみに、小澤は1977年にボストン交響楽団と同曲を録音している。 * * * * * 日本人指揮者として、西洋の伝統的な音楽にどうアプローチしていくかというのは、この指揮者にとって重要なテーマだったと思う。 結果として、サウンドに対する鋭敏な感覚とオーケストラに対する統率力という、ごくまっとうな道を選んだ、とわたしは捉えている。 選んだというか、指揮者としての力量に恵まれていた故に、まっとうなクォリティ勝負に出られたというか。 明解で平明な響きとダイナミズムの両立が、高い次元で実現された演奏様式。 成し遂げることは難しいけれど、わかりやすいアプローチではある。 この音源は、そんな小澤と、機動力と馬力と色彩美を併せ持つベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との共演だから、期待は高まる。 しかし、聴いての印象は、けっこうがっかり。 * * * * * ダイナミックな表現は控えめ、というより、巨匠然とした腰の据わった演奏。 煽ることよりも、これまで培ったものを踏まえながら、より濃やかな表出を意図している感じ。 すべてのパートを発色よく響かせるところはいつも通りだけど、個々のパートに粘っこさと陰影が加味されている。 そういうコンセプトをくみ取ったのか、録音の質も、明解さよりオケ全体の響きに重きを置いているような。 演奏としては、狙った仕上がりになっているのだろう。 しかし、もっぱら音盤鑑賞の、わたしのような聴き手には、面白みの乏しい演奏・録音になってしまった。 音盤鑑賞専門の人間は、その演奏の絶対的な良し悪しもさることながら、累々と蓄積されてきた音源の中での存在感とか存在価値を考えてしまう。 そういう視点からは、この演奏に付加価値を感じにくい。こういう路線なら、もっと他に良いのがあるから・・・