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7月, 2017の投稿を表示しています

キーシンによるラフマニノフのピアノ協奏曲第2番

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エフゲニー・キーシンのピアノ、ワレリー・ゲルギエフ指揮ロンドン交響楽団。1988年のセッション録音。 キーシンが16歳の頃の録音。 個人的には、ラフマニノフのピアノ協奏曲の中では、第3番の存在感が圧倒的。2番の協奏曲には、これといった思い入れはなく、特別に愛聴する音源もない。 ただ、2番第一楽章の展開部はスリリングで、この曲を聴く動機の半分以上は、ここを聴くためだったりする。 :::::::::: キーシンのピアノは、巧くて、タッチが綺麗で、自然なスケール感を作り出している。緩急の幅のある表現だけど、音楽の展開に即していて、一切の無理を感じさせない。 レベルの高いピアノだけど、ハッとさせられるような技芸みたいなものは乏しいかも。 この音源の魅力は、キーシン個人のピアノより、ピアノとオーケストラが一体として作り上げる、バランスの良い作品像だろうか。 :::::::::: この演奏から、ゲルギエフが出しゃばっている印象を受けないけれど、キーシンのピアノが薄味な分、ゲルギエフのうまみが前に出ているように聴こえる。 どちらが主導しているのかは判断できないけれど、ゲルギエフが、この曲の俗っぽさを、品良く、恰幅よく聴かせて、キーシンのクリアで華やかなピアノが、 さらに彩度とか鮮度を高めている。 楽曲を楽しむという目的には、好適な音源だと思う。

モッフォ、マゼールによるビゼー歌劇『カルメン』

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ロリン・マゼール指揮のベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団と合唱団。 主な歌手は、アンナ・モッフォ、フランコ・コレッリ、ピエロ・カプッチッリとか。 1970年のセッション録音。 数あるこの歌劇の音源の、一部しか聴いていないけれど、ステレオ録音では、もっともしっくりくる。 :::::::::: 録音当時40歳くらいだったマゼールが、ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団から、カラフルで、鮮烈で、キレのある音楽を引き出している。小気味よくて爽快。 引き締まったサウンドで、各楽器から生々しい表情を引き出している。でも、軽快かつ俊敏に展開させるので、とげとげしさとか息苦しさは感じない。 どちらかというと軽めのタッチで、ミュージカル調。鑑賞するというより、楽な気持ちで楽しめる演奏。そういう方向で成功していると思う。 それでも、エンディングは、もう少し厳しくにやってほしかったけれど・・・ :::::::::: 歌手たちも、それぞれの役柄のキャラを強く打ち出している。アンサンブルの調和より、お芝居っぽさが前に出ている。 おそらく、モッフォとコレッリの組み合わせは、歌声も良いけれど、映像とともに鑑賞する方が、より威力を発揮するのでしょうね。

小林研一郎によるベートーヴェン交響曲第5番

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小林研一郎指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団。2010年のライブ録音。 交響曲全集の1つ。 この指揮者を聴くのは初めて。 厚くて激しい演奏をする指揮者というイメージを持っていたけれど、この音源に関しては、熱さや激しさを強調するような演奏ではない。 :::::::::: 描き出される作品像は、現代オーケストラの厚い響きを活かしつつ、キビキビとして、勢いがある。 ただ、勢いに任せることはなくて、造形は手堅く整っている。場面ごとの、前に出す音、後ろに引く音の切りかえも、スムーズで自然に聴こえる。 煽るようなところは無いけれど、ボルテージは一定以上のレベルで一貫していて、小気味が良い。 :::::::::: ただ、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団という、かなりのポテンシャルを持つであろうオーケストラの合奏力を、どこまで引き出せているのだろう。 そもそも、わたしは、最近のチェコ・フィルを知らない。アンチェルとかノイマンの頃のイメージしかなく、あの頃はポテンシャルの高いオーケストラだったと思う。 現在も、当時と同等か、近い水準を保っているとしたら、この音源の合奏は物足りない。 悪くはないけれど、響きの肌理を楽しめるほどの純度・精度は無い。聴き進めるにつれて、表情の凹凸の乏しさが気になってくる。これは指揮者の腕によるものだろう。 小気味良い演奏なので、気持ちよく聴けるけれど、ハッとさせられるような場面とか、後になって反芻されるような場面は無い。 観客席で聴いたら楽しめそうだけど、音源として繰り返し聴くには弱い。

バレンボイムによるブラームスのピアノ協奏曲第1番(1967)

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ダニエル・バレンボイムのピアノ、ジョン・バルビローリ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団。1967年のセッション録音。 バレンボイム27歳の録音。 ところで、EMIというと、音質に不満を感じることが多いけれど、1960年代後半は、特に酷かった時期の一つ。 この音源も例外ではなく、響きが塊状になっていて濁りがある。 :::::::::: バレンボイムは、激しい表現を遠ざけて、じっくりと丹念に明晰に弾いている。 知的にコントロールされているけれど、方向性としては、楽曲の抒情的な面を、彫り深く浮き彫りにしている感じ。 たとえば、第一楽章のトリルの不協和音を、これだけ念を押すように響かせる演奏は、珍しいと思う。 第二楽章は、腰を据えたスケールの大きな表現で、聴き応えを感じた。粘っこさは好き嫌いが分かれるかもだが、バレンボイム流が曲調ともっとも合致しているように聴こえる。 両端楽章では、丹念さの反面、壮烈さとか、畳みかける勢いなどは、ほぼ失われている。 また、バルビローリの管弦楽が、起伏のある幅広い表現力を聴かせるのに比べると、バレンボイムの演奏は頭でっかちに聴こえる。 終楽章の、クライマックスに向けての追い込みの場面でも、それなりに力強いけれど、珍しいくらいにワクワクしない。 :::::::::: バレンボイムの描く作品像にすっかり賛同できるわけではないし、いくぶん堅さを感じさせられる。でも、音のつながり方、重ね方のニュアンスには、耳をそばだてさせられる場面が多々ある。 自分のやりたい音楽があって、それにシリアスに向き合っていることが伝わってくる。野心的であり、ひたむきでもある。そして、自分の音楽を表現できる技術センスがある。 そういう種類の聴き応えはある。 :::::::::: バルビローリは余裕をもって、バレンボイムを盛り立てている。 この演奏では、取り立てて自己主張をしてないように聴こえるけれど、この指揮者の、アンサンブルを親密に響かせ、音楽の空気感を自在に操る手腕は、ここでも感じ取ることができる。 明るサウンドは、ブラームスっぽくないかもだが、これはオーケストラの持ち味なので、しかたがないだろう。

バレンボイムによるブラームスのピアノ協奏曲第1番(2014)

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ダニエル・バレンボイムのピアノ独奏、グスターボ・ドゥダメル指揮シュターツカペレ・ベルリンの管弦楽。2014年のライブ録音。 録音当時、バレンボイムは71歳。指揮者としてはともかく、ピアニストとしては、衰えがでそうな年齢。 老巨匠の枯れた味わいには興味がないけれど、当時33歳のドュダメルとの協演に興味を感じて聴いてみた。 :::::::::: バレンボイムのピアノは、ゆったりとして、軽い打鍵で、キレは無いけれど、タッチの使い分けは丁寧で適確。細やかにニュアンスを描き分けている。 練れた、円熟した演奏だけど、良くも悪くも手慣れた感じが濃すぎて、ひたむきさは感じられない。むしろ、余裕があり過ぎて、小手先の芸と感じられる場面もある。 ピアニストとしてのバレンボイムが健在であることは、この演奏を通して確認できるけれど、それ以上の何かが、この演奏にあるかというと・・・ :::::::::: ドュダメルの指揮ぶりは、バレンボイムに合わせているような印象。 相手のバレンボイムは巨匠だし、オーケストラの総監督でもあるわけで、外様であるドュダメルの立場でそうなるのは、しかたがないのかも。 いずれにしても、巨匠と若手が火花を散らす的なノリとは正反対の、円満な演奏。 第一楽章の冒頭も、激しさや重厚感は控えめ。落ち着いていて、丁寧なアンサンブル。 ピアノ独奏のサポートに徹しつつ、洗練されたオーケストラのさばきを聴かせる。 彼としてはやるべき仕事をきっちりこなしているけど、有能な若手の音楽性を楽しむ、みたいな体験にはならなかった。