バレンボイムによるブラームスのピアノ協奏曲第1番(1967)

バレンボイム27歳の録音。
ところで、EMIというと、音質に不満を感じることが多いけれど、1960年代後半は、特に酷かった時期の一つ。
この音源も例外ではなく、響きが塊状になっていて濁りがある。
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バレンボイムは、激しい表現を遠ざけて、じっくりと丹念に明晰に弾いている。
知的にコントロールされているけれど、方向性としては、楽曲の抒情的な面を、彫り深く浮き彫りにしている感じ。
たとえば、第一楽章のトリルの不協和音を、これだけ念を押すように響かせる演奏は、珍しいと思う。
両端楽章では、丹念さの反面、壮烈さとか、畳みかける勢いなどは、ほぼ失われている。
また、バルビローリの管弦楽が、起伏のある幅広い表現力を聴かせるのに比べると、バレンボイムの演奏は頭でっかちに聴こえる。
終楽章の、クライマックスに向けての追い込みの場面でも、それなりに力強いけれど、珍しいくらいにワクワクしない。
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バレンボイムの描く作品像にすっかり賛同できるわけではないし、いくぶん堅さを感じさせられる。でも、音のつながり方、重ね方のニュアンスには、耳をそばだてさせられる場面が多々ある。
自分のやりたい音楽があって、それにシリアスに向き合っていることが伝わってくる。野心的であり、ひたむきでもある。そして、自分の音楽を表現できる技術センスがある。
そういう種類の聴き応えはある。
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バルビローリは余裕をもって、バレンボイムを盛り立てている。
この演奏では、取り立てて自己主張をしてないように聴こえるけれど、この指揮者の、アンサンブルを親密に響かせ、音楽の空気感を自在に操る手腕は、ここでも感じ取ることができる。
明るサウンドは、ブラームスっぽくないかもだが、これはオーケストラの持ち味なので、しかたがないだろう。
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