バレンボイムによるブラームスのピアノ協奏曲第1番(1967)

ダニエル・バレンボイムのピアノ、ジョン・バルビローリ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団。1967年のセッション録音。

バレンボイム27歳の録音。

ところで、EMIというと、音質に不満を感じることが多いけれど、1960年代後半は、特に酷かった時期の一つ。
この音源も例外ではなく、響きが塊状になっていて濁りがある。

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バレンボイムは、激しい表現を遠ざけて、じっくりと丹念に明晰に弾いている。
知的にコントロールされているけれど、方向性としては、楽曲の抒情的な面を、彫り深く浮き彫りにしている感じ。

たとえば、第一楽章のトリルの不協和音を、これだけ念を押すように響かせる演奏は、珍しいと思う。

第二楽章は、腰を据えたスケールの大きな表現で、聴き応えを感じた。粘っこさは好き嫌いが分かれるかもだが、バレンボイム流が曲調ともっとも合致しているように聴こえる。

両端楽章では、丹念さの反面、壮烈さとか、畳みかける勢いなどは、ほぼ失われている。
また、バルビローリの管弦楽が、起伏のある幅広い表現力を聴かせるのに比べると、バレンボイムの演奏は頭でっかちに聴こえる。

終楽章の、クライマックスに向けての追い込みの場面でも、それなりに力強いけれど、珍しいくらいにワクワクしない。

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バレンボイムの描く作品像にすっかり賛同できるわけではないし、いくぶん堅さを感じさせられる。でも、音のつながり方、重ね方のニュアンスには、耳をそばだてさせられる場面が多々ある。

自分のやりたい音楽があって、それにシリアスに向き合っていることが伝わってくる。野心的であり、ひたむきでもある。そして、自分の音楽を表現できる技術センスがある。
そういう種類の聴き応えはある。

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バルビローリは余裕をもって、バレンボイムを盛り立てている。

この演奏では、取り立てて自己主張をしてないように聴こえるけれど、この指揮者の、アンサンブルを親密に響かせ、音楽の空気感を自在に操る手腕は、ここでも感じ取ることができる。

明るサウンドは、ブラームスっぽくないかもだが、これはオーケストラの持ち味なので、しかたがないだろう。

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