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メータによるサン=サーンス交響曲第3番『オルガン付』(1970)

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ズービン・メータ指揮、ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団。 1970年のセッション録音。 メータは、後に、1995年にベルリン・フィルと、2007年にイスラエル・フィルと正規録音している。 ということは、得意な楽曲ということだろう。 この音源は、40代半ば頃の、実力派若手指揮者として注目を浴びていた時期の録音。 :::::::::: 第一楽章前半とか第二楽章は、キビキビとして機能的。 一方、第一楽章後半は、弦を濃い目に、じっくりと歌わせる。静けさとか穏やかさより、粘りのあるフレージングで歌い上げる。  熱気と推進力が強いけれど、前のめりにはなっていない。アンサンブルはコントロールされていて、オーケストラの技術は高い。しなやかさと機能美を印象付ける。 サウンドとしても、量感はたっぷりだけど、見通しは良くて、内声部の動きは明瞭。 交響曲としてガッチリ造形するより、演奏効果本位の自在な表現。 :::::::::: 指揮者の統率は確かだし、オーケストラの技術は高い。そして、熱っぽい表現と、アンサンブルの洗練を両立させていて、やっていることのレベルも高い。 しかし、サウンドとして迫力はあるけれど、 アンサンブルの機能性が前に出過ぎていて、音楽そのものは大味に聴こえる。 対位法的に音が交錯する場面でも、スルスルとひたすらスムーズに進行するので、音楽の細かな凹凸みたいなものが見えてこない。 第二楽章後半とか、キビキビとした進行の中で、オーケストラは多彩に表情を変転させていく様は見事。 だけど、その一つ一つのきらめきが弱くて、あっけなく通り過ぎていく感じ。 結局、耳に残るのは、金管の生々しい響きとかだったりする。

ミュンシュによるサン=サーンス交響曲第3番『オルガン付』

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シャルル・ミンシュ指揮、ボストン交響楽団。 1959年のセッション録音。 古いステレオ録音で、音質の抜けとか透明度はイマイチだけど、オーケストラの表現は細かなところまで聴き取れるし、ダイナミックな音響が生々しく捉えられている。 ミュンシュは、クリュイタンスの前に、パリ音楽院管弦楽団の首席指揮者を務めていたくらいなので、少しくらいは本場のテイストを期待してしまうかもだが、そういうのは乏しい。 基本的には、豪快でパワフルで明朗な、アメリカンなテイスト。 ただ、各パートのフレージングは、けっこうしなやかなで、それをフランス風と言うつもりはないけれど、曲想には似つかわしく聴こえる。 :::::::::: 親しみやすい曲想に派手な音響効果が目につくだけに、オーケストラを派手に掻き鳴らすタイプの演奏が少なくない。 この音源は、レコーディングとしては、そうしたアプローチの原点の一つだし、現状においても存在感は大きい。 ミュンシュの、オーケストラをドライブする能力が、専ら良い方向に作用している。 描かれる作品像自体は、至って素直。 ことさらの演出めいたものは見当たらない。テンポの設定はやや速めだけど、煽り立てるほどではないし、足取りは安定している。 サウンドは厚くたくましいけれど、造形もアンサンブルも終始一貫して明快に保たれている。 楽曲には自然体で向き合い、明快さを確保しつつ、オーケストラを一体としてうねらせて、躍動させている。 :::::::::: 録音の影響があるのかもだが、陰影のようなものは乏しい。あくまでも明朗でたくましい。 繊細さとか、淡い色合いの変化みたいなものを求めると、あてが外れそう。 ただし、表現の幅はそれなりに広い。曲調の変化に自然に反応していて、穏やかさ、崇高さだって、十分に表出している。 第二楽章の、前半から後半に移行する場面での、上昇する音型がもたらす静けさとか、堂に入ったものだ。

プレートルによるサン=サーンス交響曲第3番『オルガン付』(1963)

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ジョルジュ・プレートル指揮パリ音楽院管弦楽団。1963年のセッション録音。 ちなみに、オルガンを演奏しているのは、作曲家としても知られるモーリス・デュリュフレ。 なお、プレートルは、1990年に、ウィーン交響楽団と再録音している。 :::::::::: 雄渾でドラマティックな表現。 単に激しい演奏というのではなく、音による戦記の一大絵巻みたいなノリで、骨太に音楽をうねらせる。演奏空間に音響が充満し波打つ。 そして、オーケストラがパリ音楽院管弦楽団だけに、華やかで開放的な響きが一貫している。技術的な巧拙とは別次元の、雄弁さを感じる。 盛り上がる場面での、力強くも柔軟な金管セクションの表現力は聞き物。また、穏やかな場面での、ブレンドされた美しいアンサンブルも印象的。 録音も、ホール全体の響きを捉えている。ただし、録音に関しては、成功していないようだ。サウンドの混濁感が強すぎる。 :::::::::: 場面場面で、前に出す音、ひっこめる音のメリハリがはっきりしていて、痛快なくらい思い切りがいい。 アンサンブルの精度より、動的な息遣いを重視する流儀。荒っぽく聴こえるけれど、要所要所は押さえられているので、繰り返し楽しめる。 探さなくてもいくつも粗は見つかるけれど、他の音源では味わえない魅力や面白さが複数あって、外せない音源。パリ音楽院管弦楽団の実力を偲ぶ記録としての価値もある。

ポール・パレーによるサン=サーンス交響曲第3番『オルガン付』

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ポール・パレー指揮デトロイト交響楽団の演奏。1957年のセッション録音。 古いステレオ録音ながら、音質は鮮明。 パレー(1886~1979)はフランス人。自らが育て上げたデトロイト交響楽団との音源が多数。 :::::::::: 確固とした自分のスタイルを持った指揮者。明晰さへの飽くなきこだわり。そして、手兵を鍛え上げて、己の美意識を実体化してしまう手腕。 スッキリと切り詰められた造形と、透明度が高くて開放的なサウンド。軽快で歯切れ良いアンサンブルが、スムーズに運動しながら、楽曲の構成とか書法を、すみずみまで浮き彫りにしている。 面白いのことに、明晰さにとことんこだわりながら、合奏の精度にはところどころ緩みがある。根っこのところはとことんこだわるくせに、仕上げはおおらか。 :::::::::: こういった特徴は、パレーの他の音源でも感じられたことだし、この音源でも顕著。 空間に音響が飽和する、みたいな状況は皆無。空間的な広がりを感じさせながら、響きは曇りなく晴れ渡っているかのよう。 裏を返すと、音響がうねったり、漂ったりみたいなのも期待できない。響きの陰影とか、色彩感とかも乏しい。 安定したテンポをベースに、多彩な表現を歯切れよく繰り出し続ける。締めくくりも、豪快さより、切れの良さで盛り上げる。 デトロイト交響楽団は、抜けの良い乾いた音色で、機能性が際立っている。 :::::::::: パレーの明晰さは、音響美とか愉悦を実現する手法としての明晰さではなく、明晰であること自体が目的のように聴こえる。 むき出しの明晰さであり、それを心地よく感じない人もいるだろう。 個人的には、頑固一徹の辛口度合いが楽しい。

アンセルメによるサン=サーンス交響曲第3番『オルガン付き』

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エルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団。1962年録音のセッション録音。 アンセルメは、デッカ・レーベルの看板指揮者のひとりとして、1950年代から60年代にかけて膨大な数のレコーディングをおこなった。 デッカは、録音のクォリティの高さをアピールしていて、ショルティの『指輪』の全曲録音がその典型だけど、アンセルメもレーベルの戦略に乗って名声を高めた一人。 このサン=サーンスの音源は、発売当時、迫力ある録音で話題になったらしい。 :::::::::: アンセルメは、やや遅めのテンポを設定し、一つ一つのパートの動きや表情を、明晰に聴かせる。 他の複数の演奏の後に聴いても、何かしらハッとさせられる瞬間がある。 フレージングは、しなやかにクッキリとしている。硬くならず、かといって気分に流れることもない。 曲が曲だけに、低音には厚みがあるけれど、あくまでも豊かに広がる質の低音。広々とした空間を感じさせるけれど、濁りや鈍さを感じさせない。 金管がやや強いものの、平明なサウンドバランスで、楽曲の構成とか書法が、透けて見えるように演奏している。 :::::::::: こういうアプローチの場合、オーケストラがかなりうまくないと、面白くならない。あいにくと、オーケストラの魅力が今ひとつ。 アンサンブルの精度はそれなりに高いけれど、緊張感は全体的に緩め。色彩が豊かということもなく、スリリングだったり軽快ということもなく、パワフルということもなく。全体におとなしくて、やや平板に聴こえる。 たとえば、多彩に展開する第二楽章後半にしても、オーケストラの表情そのものに魅せられる瞬間は無かった。