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小澤によるマーラー交響曲第8番

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好感度 ■■ ■■■ 小澤征爾指揮、ボストン交響楽団。 1980年のセッション録音。 1973年から2002年にかけてボストン交響楽団の音楽監督を務めた。 小澤は1980~1993年にかけて、マーラーの交響曲全集を録音している。 この音源はその第一弾だが、もともとはボストン交響楽団創立100周年の記念として、単発で制作された音源とのこと。 :::::::::: この当時、小澤は40代半ばだけど、血気に逸ることなく、大人数を安定してコントロールしながら、己の美意識を隅々まで行き渡らせている。豊かで清潔な質感。 落ち着きのある足取りに、構えの大きな造形。盛り上がる場面でも、荒ぶることなく、冷静沈着。 たとえば、終盤の山場でも、ティンパニの連打に圧力を感じないし、全奏の当たりはソフト。 見事な手綱さばきに感心しつつ、もう少し攻めて欲しい気持ちも抑えられない。 :::::::::: 癖を感じさせない滑らかなフレージング。流暢であるかわりに、表情の彫は浅く、陰影に乏しい。 表面的な演奏ではないけれど、慎みとして楽想に深く立ち入らない感じがある。一人の日本人として、楽曲との距離の置き方に何となく共感するけれど、もどかしくもある。抑制的というか淡彩。 そのせいか、長大な第二部は、いささか変化の乏しさを感じる。楽曲自体にそういう面があるけれど。

プレートルによるベルリオーズ幻想交響曲(1985年)

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好感度 ■ ■ ■■ ■ ジョルジュ・プレートル指揮ウィーン交響楽団。 1985年のセッション録音。 プレートル(1924~2017)はフランスの指揮者。 1986年から1991年までウィーン交響楽団の第一客員指揮者を務め、その後終身名誉指揮者となっている。 また彼は、同曲を1969年にボストン交響楽団とセッション録音している。 :::::::::: かなり自由にテンポを動かしながら、濃くて厚みのある音楽を繰り広げている。 とは言っても、基本のペースを逸脱しないので、造形感はまずまず安定している。 ドラマティックに進行させながら、しかし流れに身を任さずに、局面毎に、独特のインスピレーションを交えつつ、楽譜の音のひとつひとつを生々しく浮かび上がらせていく。 スマートで美しい幻想ではない。 個々のパートの表情は明解で、指揮者の耳の良さとか統率力は伝わってくる。でも、響きに雑味が混じっていて、洗練を感じさせるところまでは届いていない。 ヴァイオリンとか木管とかは、しなやかでそんなに粘らない。だから、一昔前のドイツ系の巨匠指揮者が聴かせたような、ゴツゴツとした感触ではない。 でも、響きの全体としては、少々重苦しい。 :::::::::: 第四楽章までは、プレートルのやりたいことが、ほぼ実践されているように聴いた。好むか好まないかは別として、狙い通りに仕上がっている感じ。 第五楽章も、全体としては悪くないけれど、不満が残った。 とりあえず、ヴァイオリンが急速に動く局面のたびにテンポを煽るのだけど、上滑りしている感じで具合が良くない。 楽章全体としては堂々として運びだけに、違和感がある。好みの範疇かもしれないが。 そして、楽章後半はやや腰砕け。 金管がドスを効かせて迫力を出しているけれど、それに比べて弦が弱い。各パートが激しく交錯する聴かせどころで、弦の腰が軽くて弱くて、めくるめく感じにならない。 全曲の中ではごく一部分に過ぎないけれど、オーケストラの実力が問われる勝負どころで弱さが出たのは残念。

デュトワによるベルリオーズ幻想交響曲

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好感度 ■■ ■■■ シャルル・デュトワ指揮、モントリオール交響楽団。 1984年のセッション録音。 デュトワは、1936年スイス出身の指揮者。 1977年にモントリオール交響楽団の音楽監督に就任し、1980年録音のラヴェルの『ダフニスとクロエ』全曲を皮切りに、数々の録音を世に送り出した。 ちなみに、デュトワには、2017年にセクハラ疑惑が持ち上がり(本人は否定)、活動を自粛している模様。 :::::::::: 指揮者の美意識がすみずみにまで行き渡っていて、よく磨き上げられている。 軽快でしなやか。そして、柔らかくて艶のあるサウンド。 力強い場面になると、軽やかさを保ったまま、キレの良さや瞬発力を聴かせる。 場面ごとの表情がクリアで、洗練された耳あたり。そういう方向で徹底的に磨かれている。 不気味さとか生々しさは乏しいので、後半の2つの楽章は薄味。弱々しくはないけれど。 オーケストラの自発性みたいなものは聴かれないかわりに、デュトワの楽器として、その美意識を体現している。必要十分に巧い。 というより、ここまで仕上げたデュトワの手腕を称えるべきか。 :::::::::: サウンドは明解なので、木管の動きもよく聞き取れるけれど、イニシャティブはヴァイオリン群を初めとした外声部にある。 ヴァイオリンや金管のような、音の大きなパートで表情の枠組みを作って、その他のパートはそれの肉付けとか彩りとして機能している。 音楽の表情はビシッと決まりやすいけれど、聴き進めるうちに、単純化された表現が物足りなくなってくる。もう少し、アンサンブルに密度感が欲しい。 ある程度長い曲に、こういうアプローチをすると、こうなるのは避けられない。 分かりやすいけれどコクは乏しいという、よくも悪くも初心者向けの音源だと思う。 わたしの耳はさほど優れていないけれど、初心者ではないので、ちょっと物足りない。

マーツァルによるマーラー交響曲第9番

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好感度 ■■ ■■■ ズデニェク・マーツァル指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団。 2007年のセッション録音。 マーツァルは、1936年チェコ出身。2003〜2007年にかけて、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めた。 この音源の録音時期は、退任直後にあたる。 :::::::::: 緩急とか強弱の振れ幅は最小限度に抑えられ、端整にきめ細かく作り込んでいく。 音の出し方は、どの場面でも、薄っすらと湿り気を帯びたような透明な響き。丁寧で細やかなアンサンブル。 低音パートは、柔らかく広がるように、全体を支える。 安定した足取りで、造形はそりなりに大きい。 緊張と弛緩、高揚と沈潜、集中と解放というような、コントラストは至って控え目。 たとえば暴力的に表現するように楽譜に指示されている場面でも、アンサンブルの美観を優先し、控えめな暴れ方。 また、ディテールの描写に重きが置かれていて、フレーズを連ねて大きな流れを作り出す、みたいな気配は乏しい。 目指すアンサンブルの佇まいを実現するために、いろいろ切り捨てているようにも聴こえる。意地悪な見方をすれば安全運転。 地道で丁寧なアプローチのようだけど、楽譜に書き込まれた作曲者の細かな指示より、自分の美意識を優先しており、こだわりは強そう。 :::::::::: いずれにしても、マーツァルは自分の欲するところを自覚し、それを高いレベルで具現化している。高品質の演奏。 名門オーケストラの、精緻でありながら、しっとりとしたアンサンブルも素晴らしい。 特に、第四楽章の独特の心地よさは印象的。 ただ、ドラマティックな要素はかなり薄まっているし、表現のコントラストが弱いから、長丁場を楽しめとは限らない。