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ピエール・フルニエによるバッハの無伴奏チェロ組曲(1960)

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好感度  ■ ■ ■ ■ ■ ピエール・フルニエの独奏。 1960年のセッション録音。当時54歳。 他に、1959年のライブ録音、1972年のライブ録音があるようだ。 :::::::::: 響きの量感は控えめ。フレーズの線の流れを浮き上がらせ、それを端整に連ねていく感じ。 そういう演奏スタイルであっても、表現力が大きければ、聴き進むうちに楽曲の多様性に引きこまれてしまうはずだけど、この音源にそこまでの力を感じない。 良く言えば、お行儀が良くて控えめなのだけど、それで終始している。 でも、滑舌のキレが微妙だし、かと言って、流暢というほどでもない。音色の変化も多彩と言えるほどではない。 端整で落ち着いた方向性にしても、他にもっと魅力的な演奏が複数見つかりそう。 技術的にこれと言えるような破綻はなさそうだけど、小さくまとまっている風なので、頼りなく聴こえてしまう。 :::::::::: フルニエには他の曲でお世話になっていて、好感度が高い。だから、少々物足りなくても、美点を意識しながら聴き通した。 しかし、彼の演奏であるという事前情報抜きで聴いたら、途中で投げ出していたかもしれない。 いずれにせよ、これより魅力的な音源は、いくらでもある。

クナッパーツブッシュによるワーグナー楽劇『ワルキューレ』(1957)

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ハンス・クナッパーツブッシュの指揮。 歌手は、ホッター、ヴァルナイ、アルデンホッフ、ニルソンなど当時のオールスターたち。 1957年バイロイト音楽祭でのライヴ録音。 クナッパーツブッシュはバイロイト音楽祭で、1951年、56年、57年、58年に指環を指揮している。ただし、『ワルキューレ』の録音が残っているのは1956〜1958年。   ::::::::::   1956〜1958年の3種の『ワルキューレ』の中で、人様に勧めるとしたらこれ。 圧倒的な感銘を与えてくれる演奏ではないけれど、揺るぎない安定感になんとも言えない居心地の良さを感じる。 悠々とした指揮ぶりで、オーケストラや歌手たちを煽る感じはない。スケール大きな鳴りっぷりだけど、大きなうねりは感じられないし、迫力もさほどではない。 場面に応じたしなやかで柔軟な表現が際立つ。ディテールが鮮明に、ニュアンスたっぷりに描き出されていく。歌手たちとの細やかなコンビネーションを楽しめる。 ただ意識してそのように演出している感じではない。余裕のあるテンポで密度のあるアンサンブルをやっ繰り広げたら、なるようになっただけ、みたいな感触。 結果として舞台上の出来事を支配しているけれど、君臨するのではなく、歌手たちを支え、包み込むような指揮ぶり。 1956年や1958年の音源には、クナッパーツブッシュの自己主張が聴かれたが、この音源はあるがままにやっている感じで好ましい。   ::::::::::   この楽劇を、激しく濃い情念の物語と捉えるなら、クナッパーツブッシュの指揮ぶりは物足りないかも。 1956年の方がより力強いけれど、ゴツくなった感じで、情念が渦巻く感じとは違う。そして、1958年の方は、この音源よりもっと淡白になっている。 一連のバイロイトでのライブ録音を聴く限り、大指揮者の存在感みたいな要素を除外して、楽曲の面白さを堪能させてくれるという意味で、決定的な演奏は見当たらない。

クナッパーツブッシュによるワーグナー楽劇『ワルキューレ』(1956)

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好感度   ■■ ■ ■ ■ 1956年バイロイト音楽祭の『ニーベルングの指環』ライブ録音から。 歌唱陣は、ヴィントガッセンとか、ヴァルナイとか、ホッターとか、当時のトップスターたち。 この年は、ヴィントガッセンがジークフリートとジークムントの2役を受け持ったので、『ワルキューレ』にも出演している。 ちなみに、クナッパーツブッシュは、1951,1956,1957,1958年とバイロイトで『ニーベルングの指環』を指揮したようだ。 :::::::::: この音源で彼がやっている音楽は、堂々としているし、素朴で率直。 もちろん、個性は強烈。うねるような雄渾なサウンドとか、音楽が勢いづく場面での踏みしめるような足取りとか。特に後者はアクが強いというか、わざとらしいくらいだけど、手の込んだことをやっているわけではない。 むしろ、音楽による一大絵巻を現出させるための素朴なアイディアを、徹底的に実行している、というような感じ。 結果として、全編通して、あるがままに近い形で演奏されているように感じられて、安心して委ねられる。 音による壮大な叙事詩が描き出されている。 :::::::::: とは言え、オーケストラ演奏への感銘はほどほど。 特に盛り上がる場面では、雑然していて、ビシッと決まらない。濁った塊状の響きは、古い録音のせいだけではなさそう。スカッとできるほどの力感もないし・・・ いずれにしても、ワーグナーの楽劇で、節目節目でのクライマックスが決まらないと、物足りない。 かといって、細やかな感情表現が楽しめる、というほどでもない。歌唱陣のことではなくて、オーケストラの演奏に関して。 このあたりは、録音の品質との兼ね合いが大きいだろうから、断定はできないものの、逆に言うと、古びた音質を超えて訴求してくるものは乏しい。 演奏自体に、乱れはあっても、緩みは感じられない。ワーグナーの巨匠としての務めを、手堅くやり遂げるに留まっていて、プラスαの愉悦は乏しい。 クナッパーツブッシュが遺した、いくつかのワーグナーのセッション録音のような、陰影濃くかつ細やかな音楽を期待すると、裏切られる。 それでも、後期ロマン派の香気を濃厚に伝える音源という意味で、他にかえがたい価値はある。

クナッパーツブッシュによるブルックナー交響曲第4番(1955)

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ハンス・クナッパーツブッシュ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。 1955年のセッション録音。良質なモノラル。 録音当時、クナッパーツブッシュは60代半ば過ぎ。 彼の同曲の録音は、他に1944年のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とのライブ録音、1964年のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのライブ録音があるようだ。 :::::::::: ベースとなるテンポは、速くも遅くもなく、中庸に聴こえる。それを基調に、曲調に合わせて自在に動かされるけれど、振れ幅はほどほど。 個々の声部を浮き上がらせて、陰影濃く歌わせる。特に、弦の際立たせ方に、旨味を感じさせる。このオーケストラだから弦が良い、という以上のものを聴かせる。 他の演奏では何気なく通り過ぎる一節に、何度となくハッとさせられる。 盛り上がる場面でも、個々の声部の明瞭さは維持されていて、塊としてのサウンドのパワーで押すことはない。スケール感とか量感はごく標準的。 :::::::::: 作品書法の明瞭さは一貫して保たれているけれど、多数の声部が交錯するような賑やかな場面では、サウンドの質感は粗くなる。混濁はしないけれど、どこか雑然とした響き。特に、金管の野太さとか。 味はあるけれど、洗練度は低い、田舎料理のような演奏。

アントニオ・メネセスによるバッハの無伴奏チェロ組曲(2004)

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アントニオ・メネセスの独奏。2004年のセッション録音。   メネセスは1957年ブラジル出身のチェロ奏者。1993年にも、この組曲を全曲録音している。 良く言えば平明で中庸だけど、この演奏はそういうのを通り越して、平穏すぎるかもしれない。 入念だし集中力を感じる。そして、技巧は優れている。でも、終始、表情は平明で、耳のあたりが柔らかい。 たとえば、難度が高い第6組曲では、速めのテンポでかつメリハリが明確だけど、まったくアグレッシブに聴こえない。  聴き手に何らかの影響を及ぼそうとする“欲”を感じない。 「他人の耳にどう響くか」みたいな自意識を手放して、ただただ音楽とともにある、みたいな風情。 こういう気負いのない自然に風合いが魅力だけど、単に面白みが乏しいと片付けられかねず、紙一重だ。 軽めの音の出し方で、流暢に進める。メリハリはあって細やかだけど、いずれもほどほど。表情の彫りは深くないし、スケール感みたいなものは感じない。 しかし、技術の高さが、そのまま細やかかつスムーズな表現につながっていて、練られた上質感がある。 音色は、落ち着いた色調ながら、ほんのりと艶がある。 チェロでは、音の粒立ちを整えるに、ちょっとしたタメを挟むものらしいが、やり過ぎると歩調がギクシャクしてしまう。 メネセスは、そういうことを感じさせない。良くも悪くも、チェロらしさを必要以上にこちらに意識させることなく、音楽自体の自然な流れを聴かせてくれる。 そういうことのために、技術が駆使されているような演奏。