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MX Linuxを旧型ThinkPadに導入

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現在、持ち運び用のノートパソコンは、ThinkPad T410sという、古いモデルを使っています。 2010年発売のモデルです。CPUはi5-540Mです。 これをあえて使っている理由は、いくつかありますが、14.1 インチで解像度1440x900のディプレイです。 ThinkPadのT4○○シリーズは、この次のT420から、14.0インチで解像度最大1600x900に改定されてしまいました。 ディスプレイのサイズが微妙に小さくなって。横長に。 表示性能は上がっているのでしょうけれど、作業効率とか眼の負担を考えると、14.1 インチで1440x900の方が、しっくりきます。 個人的には、もっと正方形に近づいてほしいですが、無いものねだりです。 ただ、旧式であることとは別に、T410sにははっきりとした欠点が複数あるので、人様にはお勧めできません。 :::::::::: このT410sをLinuxで動かしたかったのですが、予想外に難航しました。このたびようやくMX Linuxに落ち着きそうだという、わりとどうでもよい話題です。 最後まで引っかかったのは、次の3点でした。 xgammmaコマンドが効く。 ハードウェアの明るさ調整が効く。 ストレスのない処理速度。 初めに、Linux Mint Cinnamon19.2を試しました。Cinnamonは重いと聞いていましたが、SSDなので何とかなるかと。 標準でインストールしたところ、xgammaコマンドもハードウェアの明るさ調整も効きません。 ガンマと明るさを調節できるアプレットがあることを知り、これをインストールしました。これは動作しましたが効きが悪い。望むような表示になりません。 はたと気がついて、nVidiaのドライバーをインストール。T410sには古いGPUが組み込まれているので。 nVidiaドライバはインストールできて、自動的にnouveauを無効化してくれました。 それで、ハードウェアの明るさ調整は使用可能に。 ただ、xgammaコマンドの方は、相変わらず効きません。 それと、Linux Mint Cinnamonには、もう一つ困ったことが。 全体的に動作速度はスムーズでしたが、ブラウザでの文字入力のときに、...

ズヴェーデンによるワーグナー楽劇『ワルキューレ』

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ヤープ・ファン・ズヴェーデン指揮香港フィルハーモニー管弦楽団ほか。 2016年のライブ録音(演奏会形式)。 2015〜2018年にかけて毎年1作ずつ録音された、ニーベルングの指環全曲録音の第2弾。 ズヴェーデンは、2012年よりこのオーケストラの音楽監督を務めている。 :::::::::: ゆったりとした量感をベースにしつつ、端整でスッキリとしたアンサンブルが繰り広げられている。 ゆとりのあるテンポ設定で、旋律線をキレイに丁寧に浮かび上がらせる。音楽がよく整理されていてわかりやすい。 スケール感はあるが、馬力とかダイナミズムは乏しいし、彫りが浅くて陰影は薄い。 そのために、管弦楽パートに関しては、情感もドラマ性も極控えめ。当たりの柔らかいおとぎ話のようなタッチ。 ただし、音楽の息遣いはしっかりと活かされていて、集中と解放とか、沈潜と高揚とかの、呼吸の切り替えは的確。 よって、柔和なタッチとか明るいサウンドとかに抵抗を感じなければ、スムーズに同調できる。 :::::::::: わたしは詳しくないけれど、歌手たちの顔ぶれは豪華らしい。 管弦楽は、歌手たちを紳士的にエスコートしている。丁寧かつ安定しており、かつ自然な呼吸感なので、歌いやすそう。 高まる場面でも、歌唱と管弦楽とが対峙することない。終始協調的。 そういうこともあってか、歌手たちはのびのびと歌っている印象で、不満はほとんど感じなかった。 :::::::::: ズヴェーデンの他の音源を聴いても、量感たっぷりのサウンドと端整かつ細やかなアンサンブルの取り合わせを聴くことができる。 ただし、欧米のオーケストラとの音源の方が、より厚みを感じさせる。 それらに比べると、このワルキューレの管弦楽はカロリー控えめ。そこがこのオーケストラの、今のところの限界なのかもしれない。 仮にそうだとしても、それが弱点と聴こえないような演奏スタイルが選択されている。

ズヴェーデンによるブルックナー交響曲第6番

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好感度 ■■■ ■■ ヤープ・ファン・ズヴェーデン指揮、オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団。 2012年のセッション録音。 この指揮者は、2006~2013年にかけて、ブルックナーの交響曲全集を録音している。 ズヴェーデンは、1960年生まれのオランダ出身の指揮者。 2005~2012年の間、オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めた。 :::::::::: 堂々とした足取り。 厚みのある低音をベースとしつつ、流暢で機能的なアンサンブルが繰り広げられる。 全体を包み込むような柔らかい低音だけ聴くと、素朴なタッチのブルックナーかと思わされるが、そんなことはない。 洗練された機能美を聴かせるアンサンブル。 特定のパートが露出することなく、マスゲーム的な整然とした秩序がある。 ただし、静的な表現ではなく、楽章のテイストの違いをハッキリと意識させる。 たとえば、第二楽章でじっくりと歌わせた後の、スリリングな第三楽章とか。 スリリングと言っても、安定した歩調を保ちつつ、キレのある表現で盛り上げる。 厚めのサウンドなので、見通しの良さを維持するために、テンポを煽る感じはない。 :::::::::: 個々のパートの表情とか、複数パートの掛け合いとかにハッとさせられることは少ない。 スムーズな機能美の副作用だろうか。 ただし、この交響曲の荒々しさや奔放さに抵抗のある人には、この整然としたタッチは好ましいかもしれない。 いずれにしても、指揮者はオーケストラを掌握して、望むイメージを高いレベルで具現化できている。 そういう意味での聴き応えはある。

サヴァリッシュによるワーグナー歌劇『ローエングリン』

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好感度 ■■■■■ ウォルフガング・サヴァリッシュ指揮、バイロイト祝祭管弦楽団その他の演奏。 1962年のライブ録音。 サヴァリッシュ(1923年生 - 2013年没)38歳頃の録音。 彼は1957年〜1962年にかけてバイロイト音楽祭に出演。『オランダ人』『タンホイザー』『ローエングリン』『トリスタンとイゾルデ』を指揮した。 :::::::::: サヴァリッシュは好んで聴く指揮者ではないけれど、これは数少ない例外。 この指揮者らしい、楽曲の構造や書法を明晰に聴かせるアプローチだけど、後年のスタイルに比べると、もっと飾り気がない。素材の質感をそのままにしている。耳あたりを良くするための加工を施していない。 まだクナッパーツブッシュが出演していた時代だから、この方がサヴァリッシュのキャラはより鮮烈に映ったかもしれない。「ありのままの音楽をやっています」感が強い。 この飾り気のなさが、この音源ではとりわけ新鮮に響く。 それに加えて、多彩と勢いの絶妙のバランス。 颯爽として推進力が優勢だけど、各場面の情景はきっちり描き出されている。あっさりだけど、味付けはしっかりしている。 もっとも、耽美を求めるなら他を当たったほうが良いだろう。 サヴァリッシュは、そういう色の付いた作品像とは一線を引いて、指揮をしている。 :::::::::: サヴァリッシュは、自分のスタイルの核心部分をオーケストラに徹底するけれど、細かく統制すのではなく、程よく解放し、ときに煽るような統率ぶり。 伝統ある音楽祭の中の若手指揮者という状況が、そういうやり方を彼に強いたのかもしれないが、この音源では、すべてが良い方向に向いている印象。 “分析的”なタッチをベースにしつつ、そこに熱気とか勢いとかが違和感なく相乗している。 明解さと熱気が噛み合って、何度聴いても爽快に仕上がっている。

ティーレマンによるブラームス交響曲第3番

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好感度 ■■ ■ ■ ■ クリスティアン・ティーレマン指揮、シュターツカペレ・ドレスデンの演奏。 2012年10月のライブ録音。 なお、2012〜2013年にかけて、交響曲全集を完成させている。 ティーレマンは2012年よりこのオーケストラの首席指揮者を務めている。 :::::::::: 名門シュターツカペレ・ドレスデンの演奏であることを考慮しても、艷やかに磨き上げられたサウンドは魅力的。毎度のことながら、サウンドへの鋭敏さと統率力は凄いものだ。 ティーレマンがサウンドの美しさを特に重視しているのはあきらかで、盛り上がる場面であっても、その純度は保たれている。妥協がない。 だからと言って、線の細い弱々しい表現ということではない。 オーケストラを煽って高ぶらせるようなマネはしないけれど、音量とか量感をコントロールして、大きさや力強さの演出も手抜かりはない。 圧倒的な高揚を期待すると、スカされることになるだろうが、ティーレマンとしては、やることをやりきっている。 :::::::::: テンポの楽想に合わせて自在に変化する。 第一楽章の冒頭なら、一節一節のニュアンスの変化にもれなく反応している。 ただ、両端楽章は、入念な演奏として楽しめる範囲にとどまっている。 それに対して、中間の2つの楽章では、彼の癖が立ち込める。ときには、途切れる寸前くらいまでテンポを落として、繊細の限りを尽くす。 ここまでやられると、曲想の変化を捉えているというより、それを逸脱して己の趣味に走っている感が濃厚。好き嫌いは分かれそう。 ティーレマンその人の芸を堪能するために聴くには向いていかもだが、楽曲を味わうつもりで聴くと、かえって冷めてしまうかも? もっとも、これだけの磨かれた響きをオーケストラから引き出せる人は、同じ時代にそう多くはいない。