ショルティによる、R.シュトラウスの楽劇『サロメ』

1961年のセッション録音。

記事のタイトルは「ショルティの~」としたけれど、この音源の売りは、ショルティより、ニルソンとウィーン・フィルかもしれない。

この楽劇の最大の魅力は、魔術的な管弦楽法だと思うので、わたしはオーケストラ中心に聴く。

ただ、この楽劇が成立するためには、この豪奢で多彩な管弦楽とつりあう歌手が必要で、その点でニルソンは心強い存在。

ニルソンの強い歌唱は、サロメの役柄のイメージとは一致しないかもしれない。
ただ、腰の弱い歌いっぷりでは、ショルティの繰り出す剛毅な管弦楽と渡り合えないだろう。

* * * * *

1960年代前半のショルティというと、各パートをむき出しにするような硬質なサウンドと、荒ぶるような表現が目についた。

そういうやり方が、しっくりくる曲目は限られていると思う。サロメの音楽にしっくりきているかというと、聴き手によって判断は分かれるかもしれない。官能性とかは微塵も感じられないから。

個々のパートを浮き彫りにするために、弦パートの露出を抑えていて、そのぶん流動感とかうねる感触は後退している。金管を、強いアクセントで、野太く鳴らしがちなので、トゲトゲしさが付きまとう。

ただ、このめまぐるしく響きが錯綜する音楽において、ショルティの並外れた耳の良さと統率力には、目を瞠るものがある。
精密であることと荒々しいことが両立していて、そのことが、作品の特徴を引き出す方向に作用していると思う。濃密な管弦楽をわかりやすく聴かせるし、この作品に内包される狂気じみたものを、生々しく感じさせてくれる。

* * * * *

ウィーン・フィルに特別に思い入れはない。ただ、ショルティの過激な演奏様式を程よく緩和して、しなやかさと艶を加味しており、この音源の魅力を高めるのに、大きく貢献している。

また、ショルティとの協演のおかげで、ウィーン・フィルの機動性の高さが如実に表れている。

相性が良い、というのとは違うけれど、この音源に関しては、お互いにメリットのある組み合わせのような。

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