カラヤンとウィーン・フィルによる、ドヴォルザークの交響曲第8番

1961年のセッション録音。

 カラヤンは、存命中絶大な人気を誇っていたが、わたしには独特の演奏様式のように感じられた。

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造形はいたってキッチリとしている。音楽の息遣いを感じさせないくらい、カッチリとしている。
フレーズのつなぎ方なんかは、いたってシステマティック。間とか呼吸感のようなものを差し挟まない。

一方、それぞれのフレーズの流し方には、曲線的なつながり方を徹底させている。
そのために、カッチリとした造形をやっているのに、機械的な、鋭角的な、硬質な感触は皆無。

総合的には、音楽の流れは静的だけど、部分部分は多彩に色づく感じ。

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艶やかで、甘口な響き。耳障りであったり、刺激的であるような響きは抑え込まれている。
ウィーン・フィルの持ち味のせいか、ヴァイオリンの甘美さ、木管の繊細さが際立つ。

そして、中低音以下を厚く響かせる、下膨れなバランスで、厚みとスケール感を生み出している。
厚みは十分だけど、ゴリゴリとした響きはないから、演奏全体の品位が損なわれることはない。

繊細な木管と分厚い低弦とが重なり合う場面では、室内楽的な意味でのアンサンブルの親密さ、みたいな感触はない。とは言え、響きのバランスはコントロールされていて、互いが邪魔をしあうことはない。

木管など内声部が前に出る場面では音量控えめで繊細に、盛り上がる場面では厚く響くので、サウンドの強弱の幅は広い。
それを活かしたダイナミックな演奏が展開されている。

もっとも、造形感は静的で、呼吸感を感じさせない。よって、音楽が盛り上がる場面で、感情的な高揚や躍動を連想させない。
素っ気なくも、機械的でもないけれど、あくまでも音響の物理的な高まりに止まっている。

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考え抜かれ、磨き上げられたような演奏様式。

ただし、こういう取り合わせは、わたしの感性にはスムーズに入ってこない。それで、人工的というか、ときにはキメラ的に聴こえてしまう。

他にも違和感を覚える人気演奏家は複数いるから、そんなことで騒ぐことは無さそうだけど、帝王と称されるくらいに支持を集めた指揮者だけに、感性のズレが気になってしまう。

カラヤンがどうのと言うより、カラヤンを支持していた人たちと私自身の感性のズレということだけど。

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文句なく賞賛できるのは、オーケストラを響かせる手腕の非凡なこと。

ウィーン・フィルは響きの美しさで知られるオーケストラだけど、カラヤンはオーケストラの持ち味を引き出すだけでは終わらせない。自身の美学で磨き上げて、カラヤンならではの発色の良い響きを生み出している。

カラヤンと同じくらい耳が良くて、統率力ある指揮者は、他にもいたかもしれない。でも、好き嫌いはともかく、この響きはカラヤンだけのものだったと思う。

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