ヴァントの、ブルックナー交響曲第8番(1990年東京ライブ)

ヴァントのブルックナーは、生前はずいぶんともてはやされていたように記憶する。
もしかしたら、今でももてはやされているかもしれない。
わたしにとっては、ヴァントは、感心するけれど、感動できないタイプの指揮者だった。
久しぶりにヴァントのブルックナー演奏を聴いて、そうした印象自体は変わらなかったけれど、大きな感銘を受けた。
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まあ、存命中最高レベルの評価を得ていた人だから、感心するのは当然だろう。一方、感動というのは、個人の感受性のあり方によるところが大きいので、基準は厳しくなる。
ただ、個人の感受性とか嗜好とは別のところで、ヴァントには表現力の狭さを感じる。わたしが思う偉大な指揮者の基準からすると、使える絵の具の色数が少ない。
ヴァントに関して漠然と感じているのは、基本的に気品があって清潔な質の音楽をやる人だ、ということ。狙ってやっているのではなく、にじみ出てきたものかもしれないけれど。
素朴だとか、粗野とか、野卑とか、ドロドロとか、エロイとか、そういうタイプの表現は苦手というか、そもそも彼の辞書には載ってなさそう。
優れた演奏家なら、自分の持ち味を確立しているのは当然だろう。とは言え、ヴァントの場合、それにしても表現の幅が狭いような気がする。
たとえば、この演奏において、ブルックナーの第八交響曲の持ち味の、どのくらいを表出できているのだろうか?
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この演奏を聴いていると、もともとのキャパシティは大きくないかもしれないけれど、自分の音楽をとことん突き詰めて、独自の演奏様式を確立した指揮者であることは、思い知らされる。
あくまでも清潔な質の音楽の中で、繊細さと巨大さ、明解さと豊かさ、キレ味と伸びやかな歌等々の要素を、これ以上は無理なんじゃないかと思えるスケールで並び立たせている。
頑固オヤジ風だけど、聴くものを寄せ付けないような音楽ではない。硬派一辺倒ではない。伸びやかで端整なフレージング、豊かな響きなど、十分に心地よい。
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