小澤、ノーマンの、R.シュトラウス楽劇『サロメ』

この音源、頭からの3分の2くらいは、聴いていて気持ちがノッていかない。
ハズレかな・・・と決め付けかけていたら、終盤のサロメの一人語り~幕切れは、のめりこんでしまった。
べつに、前半は演奏が不調で、後半盛り返した、ということではないだろう。
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極彩色の官能性、みたいものがこの楽劇の持ち味だとしたら、小澤の編み出す音楽は、方向性が違っている。
ヒロインのサロメは、内に狂気を宿した少女という設定のようだけど、ノーマンの歌声や歌唱は、いくらなんでもかけ離れている。
この楽劇は、ヨカナーンの首が差し出されるあたりまでは物語が進行し、その後サロメが狂気を撒き散らしてショッキングに幕切れる。
物語が進行中は、官能性を微塵も感じさせない小澤らの管弦楽と、ノーマンの女丈夫なサロメ像のおかげで、入っていけなかった。
演奏としてのすごさは納得できるだけれど、気持ちがついていかない感じ。
この楽劇のもっとも異色な解釈のひとつというか、異色というより、単に間違った方向を向いているだけかもしれない。
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ところが、物語が止まって、サロメの長い一人語りに入ると、こちらの感じ方が変わる。
物語の進行中は、舞台で繰り広げられる物語と、音楽のタッチとのマッチングを意識してしまう。
しかし、モノローグに入ると、物語の設定とか背景より、歌詞に歌われる抽象的な世界が前面に出てくる。
そうなると、音楽のタッチより、演奏者の表現力そのものが感銘を左右し始める。あくまでも、わたしの場合は・・・
ノーマンの力強くて彫りの深い歌唱はもちろん聴き応えがある。「こんなのサロメじゃない」という違和感を、力でねじ伏せる大きな表現力。
そして、小澤とシュターツカペレ・ドレスデンが生み出す、迫真のアンサンブルにしびれた。
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すべての音をクリアに浮き上がらせながら、かつダイナミックに音楽を展開させる。
やや余裕を感じさせるテンポで、畳み掛けることはしない。緊張感がむき出しになることは無いけれど、緩むことは無く、雄弁に迫ってくる。
音楽が緊迫してくると、ダイナミックに切り込んでくるけれど、響きは濁らないし、アンサンブルは鋭敏でスムーズ。
そこに美意識のようなものを感じさせるけれど、味わいよりはクォリティを強く打ち出したアプローチだと思う。
そして、クォリティはものすごく高い。練られた演奏様式、響きを制御する技、オーケストラに対する統率力。
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