バーンスタインによるショスタコーヴィチ交響曲第7番(1988年)
当時バーンスタインは70歳。
同じ年の大曲の録音としては、シベリウスの7番、チャイコフスキーの5番、ドヴォルザークの新世界とチェロ協奏曲、マーラーの6番、モーツァルトのレクイエムがある。
また、彼はこの曲を1962年にニューヨーク・フィルハーモニックと録音している。
ちなみに、彼が正規録音を残したショスタコーヴィチの交響曲は、1番、5番、6番、7番、9番、14番で、14番以外は2回ずつ録音している。
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バーンスタインというと、死後も生前もマーラー指揮者として名高いけれど、わたしの中では、彼はマーラーに向いていない指揮者。
というか、独墺系の音楽全般に向いていないと思っている。その理由は、彼のサウンドについての感性。
バーンスタインは、複雑なオーケストレーションの音楽でも、各パートを徹底して分離して、それぞれから生々しい表情を引き出す。
整然とクールにまとめるのではなく、生々しくやれるところが彼の非凡さだと思っている。
ただ、このやり方だと、ハーモニーの彩りや豊かさが発揮されないず、響きの彩度が低下する。
また、濃く息苦しい空気感が常時発動しているので、集中と解放みたいな演奏効果を発揮できない。
これでは、管弦楽法の大家であったマーラーの作品はもちろん、ベートーヴェンだって、ブラームスだって、曲の魅力を引き出しきれない。
それに対して、ショスタコーヴィチの音楽との相性はいいと思う。
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堂々としているけれどもたれない足取り、歪みのない安定した造形。そして、濃密な表情とサウンド。
ただ、濃密さの裏返しとして息苦しい。
この作品をシリアスな大曲として聴きたいなら、理想的ではないかと思う。
他の演奏だとハリボテっぽく聴こえることが多い楽曲だけど、この演奏で聴くと、全編濃密でリアル。
ちなみに、爆演ではない。緊張感と密度感ゆえに、聴き手に対する圧は強いけれど、クライマックスでも各パートの制御は緩まない。
音の大きなパートを威嚇的に鳴らして盛り上げる、みたいなやり方とは一線を画している。
胸のすくような盛り上がりを求めるなら、他をあたったほうが良いと思う。
中身の詰まった一途な音楽で、サービス精神は乏しい。
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