ネルソンスによるショスタコーヴィチ交響曲第7番(2017年)

アンドリス・ネルソンス指揮ボストン交響楽団。
2017年の録音。

ネルソンスは1978年ラトビア出身の指揮者。
この録音当時は、30代の終盤。
2014年からボストン交響楽団の音楽監督を務めている。

ちなみに、彼は2018年からライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスターにも就いている。スター街道を驀進中。

なお、ネルソンスは、2011年にバーミンガム市交響楽団と、この曲を正規録音している。


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ネルソンスの持ち味はアクの強いものではないけれど、かなりハッキリしていて、曲やオーケストラが変わっても、一貫したトーンがある。

それでも、ベートーヴェンの交響曲のような堅牢な音楽なら、演奏者による侵食を簡単には許さない。
しかし、同じドイツの交響曲でも、ブルックナーあたりになると、演奏者の振る舞い方によって、印象は大きく変わる。

では、ショスタコーヴィチの交響曲はどうかというと、わたし自身の思い入れが弱いので、何とも言いづらい。

少なくともこの曲のことは、芝居がかった演奏効果重視の音楽と捉えている。さしあたって、気持ちよく盛り上げてくれたら、そんなに不満を感じない。


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ネルソンスのアプローチは、几帳面、生真面目なもの。
昔流行った形容のしかたをすれば、純音楽的なアフプローチ。良くも悪くも、芝居っ気を表に出さない。

彼の録音を聴いていて、いつも感心するのは、大規模なオーケストラをスケール豊かに響かせながら、同時に繊細感とか細やかさを強く意識させる、耳の良さとか統率力。

それは、この演奏でも遺憾なく発揮されているというか、スタイリッシュと言いたいくらいビシッと決まっている。

第一楽章の中間部のような場面を聴いていても、音楽の高まりに興奮するより前に、その鉄壁の統率とオーケストラの性能に感心する。

逆に言えば、この楽章に期待する狂気とか興奮といった成分は基準値を下回っており、聴いていて面白くはない。


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しかし、楽曲自体が冗長になる分、第二楽章以降は、ネルソンス流の有効性が際立ってくる。

とくにその真価を実感したのは終楽章。

全曲中もっとも締りを欠く不出来な楽章に、ネルソンスとボストン交響楽団が締まりとメリハリをもたらして、いつになく男前に聴こえる。

この指揮者が本格派であることを、思い知らされた。

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