クレンペラーによるベートーヴェン交響曲第3番「英雄」
オットー・クレンぺラー指揮フィルハーモニア管弦楽団。
1959年のセッション録音。交響曲全集から。
クレンペラーのテンポ感の崩壊が見え始めたのが1950年代の終盤からで、ベートーヴェンの交響曲全集は、ちょうどその移行期に録音された。
そのためにこの全集は、興味深くも奇妙な仕上がりになっている。そんな中で「英雄」は崩壊後の方で、かなり遅いテンポ。
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もっとも、この演奏を聴いて「崩壊」という言葉を連想させられることはないだろう。数年間に起こったテンポ感の変化が、あまりに極端なので「崩壊」というくらい大げさな言葉を使いたくなるけれど、個々の演奏が崩壊しているわけではない。
むしろ、この「英雄」などは、滅多にないくらい堅固で明晰に仕上がっている。演奏として全く崩れていない。
むしろ、このテンポなのに、停滞感や粘着感が一切ないところに、この指揮者の非凡な特質が表れている。
録音当時すでに70代半ばだけど、彼の耳は健在だったようで(推測)、その統率力とあいまって、質のそろったクリアなサウンドに仕上がっている。
そして、特筆したいのがそのリズム感。クレンペラーに限らずワールドクラスの演奏家だったら、リズム感は良いに決まっているのだけど、クレンペラーはこのテンポで音楽全体を躍動させる。こういう感じは、他に記憶がない。
彼の演奏スタイルは、構造や書法から楽曲にアプローチする典型であるにもかかわらず、 その音楽に生命感の横溢を感じさせる源泉は、このリズム感にある。
このリズム感はたぶん生来のもので、狙ってやっているわけではないのだろうけど、テンポ崩壊後のクレンペラーの演奏様式では、遅い足取りと躍動するリズム感との取り合わせが、際立って特徴的。
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クレンペラーにとって得意曲だったようで、EMIへの正規録音は2つだけだが、ライブ音源が多数あり、映像も残っている。
EMIに残されたもう一つの音源は、1955年のモノラル録音で、 これでも堂々として聴こえるが、今回取り上げる音源より4分も短い。
EMIの音源なら、1955年の方が好みというか、クレンペラーにとって屈指の音源ではないかと思っている。
楽曲へのアプローチは1959年録音と変わりないけれど、テンポが速いこととリズムの力強さとに、圧倒された。何も特別なことはやっていないはずなのに、あふれる生命感に飲みこれてしまう、クレンペラーの持ち味を満喫できる音源だ。
それに比べると、この1959年録音は、あわてず急がず、終始地に足のついた表現が展開されている。
テンポが遅くなったこともあるけれど、リズム感の落ち着きによるものだろう。
しかし、不調だとか、気分が乗っていないということではないだろう。むしろ、全集にはこういう落ち着いた演奏が多いから、気分とか感興みたいなものが加味される前の、この指揮者としての“原型”がここにあるのだと思う。
どちらかというと、1955年録音のほうが、(レコーディングにおける)平常より入れ込み気味だったような。
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彼の「英雄」の録音は多いけれど、これだけ明瞭なステレオ録音となると限られる。
モノラル録音でも彼の魅力はある程度伝わるけど、この演奏スタイルからして、ステレオ録音のほうが望ましい。クレンペラーには技巧派指揮者としての一面があり、とりわけ対位法的な場面で、目覚ましい効果を上げることが出来た(両翼配置もそのための方便でしょう)。
この交響曲だと、終楽章は彼の魅力がもっとも発揮されるタイプの音楽。 それを良好なステレオ録音で聴けるのはありがたい。
ちなみに、クレンペラーの「英雄」が史上最高と思ったことはない。というか、この曲の作品書法は、まだ5番や6番のような精密さには達しておらず、そのためクレンペラーのようなアプローチだと、もう少し芝居っ気が欲しくなる。
ただ、終楽章に限ると、この指揮者のうまさは抜群だと思う。
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