オッテルローによるベートーヴェン交響曲第7番(1962年)

ウィレム・ヴァン・オッテルロー指揮ウィーン交響楽団(ただし、ウィーン音楽祭管弦楽団となっているものもある)。

1962年セッション録音(ステレオ)。


 

オッテルロー(1907-1978)はオランダの指揮者。

事故で亡くなるまで指揮者として活動していたが、レコーディングは1950年代から60年代半ばに集中している。その大半がフィリップス・レーベル。

ただしこの音源は、 コンサートホール・レーベルへの録音。

 

 

2014年に亡くなったドイツ人指揮者ゲルト・アルブレヒトによると、オッテルローは耳の良さでロスバウトやブーレーズを上回っていたらしい。

また、オーケストラが手兵だろうと客演先であろうと、徹底したリハーサルをおこなったらしい。

楽器ごとにグループ分けして練磨させた上で、全体のバランスを調整するアプローチだったそうだが、きちんとできない楽員には厳しかったようだ。

加えて、当時のウィーン交響楽団はカラヤンとの共演が多く(この年にリヒテルとチャイコフスキーピアノ協奏曲第1番を録音している) 、状態は良かったであろう時期。



ということで、期待値がかなり高まった心持ちで聴くと、かなりがっかり。ロスバウトやブーレーズと比較できる水準にあるようには聴こえない。

ロスバウトやブーレーズとの決定的な違いは、サウンドに対する美意識の差だろう。ロスバウトや若い頃のブーレーズは、色付けを感じさせないクリアな響きを聴かせていたが、見方を変えると、そういう響きに対する美意識が強く感じられた。心地よいかは別にして、純度を感じさせるサウンドを実現していた。

この演奏を聴く限り、 オッテルローのサウンドに、そのような意味での洗練はない。むしろ、力感をほどほどに出している裏返しとして、響きはしばしばくすんで聴こえる。
基本的には引き締まった響きだけど、わざわざ明晰というほどではない。

合奏の精度はそこそこ高いように聴こえるが、だとしても、そのことが聴く喜びに直結していない感じ。というより、演奏精度を“売り”にするつもりがないということか?



実際、この演奏で印象的なのは、節度あるロマン性というか、第二楽章では気持ちの入った歌が聴けるし、第四楽章では熱が入っている。
楽曲の展開を、音のドラマとして、素直にわかりやすく描きあげている。

第四楽章のクライマックスでは、響きの厚さより、アンサンブルのスリリングな掛け合いで盛り上げるタイプだけど、この方向性でけっこう成功している。

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