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レーピンによるブラームスのヴァイオリン協奏曲

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2008年8月のセッション録音。 ヴァイオリン独奏はヴァディム・レーピン。伴奏はリッカルド・シャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。 レーピンは1971年ロシア出身。 * * * * * ここでのレーピンは、すごいポテンシャルを聴かせる。技巧として優れているというにとどまらず、それが表現力に昇華されている。 全曲通して一貫した調子を保ちながら、絶えず細やかに表情を変転させていく。その細やかさ加減が、他のヴァイオリニストよりレベルが高くて、繊細な震えとかおののきみたいなニュアンスまで、完全なコントロールの下で繰り出すことができる。変幻自在の表現力だ。 だからと言って、この曲の演奏として満足できるかというと、難しいところ。細部の作り込みの徹底した細やかさの反面、マクロ的な起伏とかうねりが見えてこない。 そのために、一歩ひいて演奏全体を俯瞰すると、いささか平板に聴こえてしまう。 起承転結みたいな展開無しで、ひたすらに精巧な部分が連なる、みたいな音楽になっている。 この演奏家が目指しているものと、わたしが期待していることにズレがあるのだろう。 * * * * * シャイーの管弦楽は、自らの美意識を響きとして体現できてしまう水準に達していて、素晴らしい。全体としては渋めの落ち着いたサウンドながら、色彩感が豊か。また、アンサンブルは軽快かつ鋭敏だけど、全体の響きはほどほどに恰幅が良い。 一昔前に比べると、けっこう腰の軽いカラフルなブラームスだけど、上質感は高い。

ヴェンゲーロフによるブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番

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1993年の録音。伴奏はクルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。  ヴェンゲーロフを聴くのは初めて。ヴェンゲーロフは1974年生まれなので20歳前後の録音。 ちなみにこのヴァイオリニストは、肩の故障で2008~2011年にかけて、活動を停止していたらしい。 * * * * * 線の太いシットリ系美音が一貫している。 この協奏曲はそんなに大規模ではないけれど、曲想は力強い。このくらい線が太い方が、しっくりとくる。 表現としてはいたって中庸。高度で安定した技術と、線の太い美音で、ストレートに聴き手に迫ってくる。激しい表現とかはないけれど、濃く太い響きを繰り出し続ける腰の強さを感じさせる。 ただ、この協奏曲ならではの楽しみは弱いかも。 この協奏曲は、同じ音源に収録されているメンデルスゾーンの協奏曲あたりと比べると、中身が薄い。できれば、そこのところを演奏者に補強してほしいところなのだけど、 その種のあざとい演出はない。良くも悪くもストレート。地力でグイグイと迫ってくるやり方。 結果として、 ヴェンゲーロフの表現力を堪能したけれど、楽曲を満喫した手ごたえはほどほど。 * * * * * マズアは、いかめしい風貌だけど、その音楽は平明。メインのフレーズを前面に出して、いたってシンプルな流れを作り出す。そして、その流れを豊かな響きで彩る。 管弦楽のみの楽曲だと、わかりやすい反面、平板に感じさせられることが多々ある。 この音源では、 ヴェンゲーロフが音楽に芯を通しているから、そうした不満はなく、むしろマズアのうまさを意識させられた。

チョン・キョンファとケンペによるブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番

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1972年のセッション録音。管弦楽はルドルフ・ケンペ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団。 チョン・キョンファの存在はずいぶん前から知っていたけれど、ちゃんと聴いた記憶がない。これが初めてかも。 * * * * * 聴いたことはなくても、昔読んだ音盤評の影響で、先入観を持っている。 少なくとも若い頃は、集中度の高い演奏をするヴァイオリニスト、という先入観を。 アクの強い表現を予想して聴き始めたのだけど、少し様子が違って戸惑う。 チョン・キョンファのヴァイオリンは、テンポの伸縮や歌いまわしに思い入れを漂わせつつも、弾きっぷりは一貫して端正で、響きは細身。 全体的に小作りな印象の音楽。もっと雄弁に迫ってくるようなヴァイオリンを想像していたけれど、そういうのではなかった。 とは言え、技術は高いし、気持ちが入っているし、表現は練られているから、この曲を鑑賞するうえで、欠けているものはないと思う。 * * * * * ケンペは、サウンドの趣味は渋めだけど、オーケストラからスケール感と色彩感を併せ持った響きを引き出す名手だと、常々思っていて、ここでもその手腕は発揮されている。 オーケストラの持ち味のせいだろうけど、サウンド傾向は明るくてカラフル。 伴奏の名手でもあり、盛り立て役としての務めを果たしながら、自分たちの持ち味をしっかりと打ち出していて、うまいものだと思う。

ユリア・フィッシャーによるブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番

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2012年の録音。 管弦楽はデイヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団。 フィッシャーは、1983年生まれのドイツのヴァイオリン奏者。この人の音源を聴くのは初めて。 * * * * * 楽曲をいったん解体して、その一つ一つを磨きあげ、キレイに整形して、 丁寧に組み立てなおしたような演奏。 技術が安定していて、センスが良くて、丹念な演奏ぶり。すごく洗練されいるけれど、洗練させることに意識が向きすぎて、音楽の呼吸感が伝わってこない。 というか、音楽を息づかせることが乱れにつながる、という思考の演奏と言うべきか。 極端に頭でっかちなアプローチで、作り物臭がきつい。 * * * * * ジンマンらの伴奏は、タップリとしながら、見通しの良い響きで、フィッシャーのヴァイオリンを包み込む。 ジンマンは、オーケストラの響きを整え、色づかせることに長けた指揮者と思う。ただ、それ以上の何かは期待できない。 だから、交響曲とかでは食い足りないことが多いけれど、伴奏者としては良いかもしれない。 この音源に関しては、フィッシャーもジンマンも、音楽を綺麗に整えることを最優先するスタンスなので、相性がいいとも、悪いとも言える。

オイストラフとセルによるブラームスのヴァイオリン協奏曲

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1969年のセッション録音。 オイストラフは1974年に66歳で、セルは1970年に73歳で亡くなったので、どちらにとっても晩年の録音。 オイストラフは、1960年にクレンペラーとこの曲をセッション録音しているので、どうしても比較してしまう。 オイストラフの持ち味と作品を味わうなら、こちらのセルとの協演の方が良さそう。 クレンペラーとの録音は、どうしてもクレンペラーの個性が目についてしまう。 * * * * * セルは終始自然体。 もともと奇をてらうような音楽をやる人ではないけれど、研ぎ澄まされたアンサンブルとか張り詰めたような緊張感とかに、彼らしさを主張することが多い。 でも、ここでのセルは、闘志をギラつかせないで、オイストラフと協調し、盛りたてることに専念している感じ。 結果として、何も足さず、何もひかず調の仕上がり。 室内オーケストラよりやや大きいくらいの響きのボリューム感で、息苦しくない程度に引き締まったアンサンブルが、オイストラフのヴァイオリンに鋭敏に追従する 。 刺激は薄めだけど、模範的という意味では最右翼と思う。 * * * * * オイストラフは、クレンペラーとのセッション録音では、指揮者の深い息遣いに則って、彫りの深い表現をやっていた。 一方、こちらのセッション録音では、表現の幅は狭くなっているけれど、表情の付け方はより自在な感じ。演奏のスケールとしては小ぶりになったけれど、むしろクレンペラーとの音源が規格外であって、こちらの方がオイストラフの自然体に近いと感じられる。 フレーズの線を際立たせるよりも、音の濃淡のコントラストで歌い上げるスタイル。 * * * * * 録音のクォリティに関してとかく評判の悪いEMIだったけれど、1960年代後半は特に酷かった時期だと思う。 この音源は、不明瞭感は仕方ないとしても、強音でビリつくのはいただけない・・・

オイストラフとクレンペラ-によるブラームスのヴァイオリン協奏曲

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ダヴィド・オイストラフとオットー・クレンペラーによる1960年のセッション録音。 管弦楽をフランス国立放送管弦楽団が務めているのは、クレンペラーのセッション録音としては珍しい。 といっても、クレンペラー自身は、戦中〜戦後にかけて、欧米のオーケストラを渡り歩く生活をしていたようだから、勝手がわからないはずはない。 実際、この演奏では、オーケストラの柔らかくて明朗な響きと、クレンペラーの持ち味を、驚くほど融和させている。 * * * * * そういうことを含めて、わたしにとっては、クレンペラーの芸を楽しむ音源。 クレンペラーの伴奏物の録音(セッション録音でもライブ録音でも)を聴く限り、彼は決してソリストの音を塗りつぶすようなマネをしない。ソロと管弦楽が一体となって音楽を作り上げるという、いたって常識的なスタンスを堅持している。 ここでもその流儀は堅持されているけれど、とても彫りの深いスケールの大きな表現を展開していて、この管弦楽に見合うソロを務めるのは難事だろうと思う。 そういう意味で、オイストラフの骨太で伸びやかな美音と盤石な表現力があればこそ成立した演奏かもしれない。 だから、オイストラフの実力はしっかりと伝わってくるけれど、彼の自発性が強く表れた演奏かというと、微妙な気がする。 * * * * * 開放的な響きで壮大なサウンドイメージが繰り広げられる第一楽章。オーケストラの柔らかなアンサンブルを積極的に活かすクレンペラーをバックに、オイストラフがしっかりと歌い上げる第二楽章。 第三楽章は、やや感銘が落ちる。クレンペラーの方向性が曲想に合っていないような気がするけれど、それは置いておくとしても、肝心の主題のところでオーケストラが乱れる。オーケストラの性能がどうこうと言うより、録り直せば何でもないのに、それをしなかったような・・・

ジャニーヌ・ヤンセンによるブラームスのヴァイオリン協奏曲

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2015年の録音。伴奏はアントニオ・パッパーノ指揮サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団。 この音源に先立って鑑賞したブルッフのヴァイオリン協奏曲が好感触だったので、ブラームスも聴いてみた。 と言っても、2つの録音の間には9年もの隔たりがある。 演奏のやり方によっては(もちろんオケの協力が不可欠だけど)、大柄な交響曲風に響かせられる楽曲だけど、この演奏は、ヤンセンのヴァイオリンを軸に据えて、管弦楽は伴奏に徹している。まっとうな協奏曲としての響かせ方。 * * * * * ヴァイオリン独奏は、柔軟で繊細な表現が前に出ている。気合とか燃焼より、曲想を柔軟に、艶やかに、滑らかに歌い上げる。 優美で滑らかな方向性の中で、表現の彫はそれなりに深い。やっぱり"語り口"を感じさせる演奏家だ。 聴き手がこの曲に何を求めるかによっては、不満が出そうな演奏だけど、これはこれで一貫した作品観だし、彼女なりのやり方で曲の美質を聴かせていると思う。 * * * * * パッパーノらによる管弦楽は、響きの豊かさを保ちつつも、室内楽的な細やかさを聴かせる。 響きのボリューム感はコンパクト。基調は、乾いた感じのカラフルな色調。ヤンセンのソロとはいささか感触が異なるけれど、ヴァイオリン・ソロとの親和性は高い。 パッパーノという指揮者に詳しくないので、こういう持ち味なのか、打ち合わせてこのようにやっているのかはわからないけれど、見事な協調ぶり。

ジャニーヌ・ヤンセンによるブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番

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1978年生まれのオランダのヴァイオリン奏者。2006年の録音。 管弦楽は、リッカルド・シャイー指揮のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。 この曲は、ヴァイオリンのパートは聴き映えがするし、オーケストラのみの部分はかっこいい。 ただ、繰り返し聴くと、密度の薄さを感じさせられる。 とは言え、名だたるヴァイオリン奏者の多くが録音を残している名曲には違いない。 * * * * * ヤンセンの演奏は、技術的に優れていて、隅々までコントロールされていて、それでいて暑苦しくない程度に熱とか粘っこさがあって、とてもバランスが良い。 現代的なスタイリッシュさを持ちながら、音楽の流れにほどよい粘りがあるので、語り口めいたものを感じさせる。 演奏者の実力を誇示するだけでなく、ちゃんと楽曲の魅力も楽しめる。当たり前のようだけど、こういう演奏は、たぶんそんなに多いわけではない、と思う。 今のところ、そんなに身構えないでこの協奏曲を楽しみたいときに、手が伸びることの多い音源。 * * * * * シャイーのドイツ物は、交響曲あたりだとしっくりこないものは多いけれど、伴奏物はセンスの良さが光る。 音の出し方は軽くて、フレージングは柔軟。管弦楽全体としての豊かな響きと色づきの良さで楽しませる。洗練されていて、耳の触りは良いけれど、手ごたえみたいなものは乏しい。 いささか感覚的な心地よさに傾いているけれど、ヤンセンの伴奏としては、このあたりが程良いのかも。