オイストラフとセルによるブラームスのヴァイオリン協奏曲

オイストラフは1974年に66歳で、セルは1970年に73歳で亡くなったので、どちらにとっても晩年の録音。
オイストラフは、1960年にクレンペラーとこの曲をセッション録音しているので、どうしても比較してしまう。
オイストラフの持ち味と作品を味わうなら、こちらのセルとの協演の方が良さそう。
クレンペラーとの録音は、どうしてもクレンペラーの個性が目についてしまう。
* * * * *
セルは終始自然体。
もともと奇をてらうような音楽をやる人ではないけれど、研ぎ澄まされたアンサンブルとか張り詰めたような緊張感とかに、彼らしさを主張することが多い。
でも、ここでのセルは、闘志をギラつかせないで、オイストラフと協調し、盛りたてることに専念している感じ。
結果として、何も足さず、何もひかず調の仕上がり。
室内オーケストラよりやや大きいくらいの響きのボリューム感で、息苦しくない程度に引き締まったアンサンブルが、オイストラフのヴァイオリンに鋭敏に追従する 。
刺激は薄めだけど、模範的という意味では最右翼と思う。
* * * * *
オイストラフは、クレンペラーとのセッション録音では、指揮者の深い息遣いに則って、彫りの深い表現をやっていた。
一方、こちらのセッション録音では、表現の幅は狭くなっているけれど、表情の付け方はより自在な感じ。演奏のスケールとしては小ぶりになったけれど、むしろクレンペラーとの音源が規格外であって、こちらの方がオイストラフの自然体に近いと感じられる。
フレーズの線を際立たせるよりも、音の濃淡のコントラストで歌い上げるスタイル。
* * * * *
この音源は、不明瞭感は仕方ないとしても、強音でビリつくのはいただけない・・・
コメント
コメントを投稿