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7月, 2020の投稿を表示しています

SparkyLinuxで音楽再生環境を整える

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SparkyLinuxをインストールした後、音楽再生に特化した環境のためにやったことを記録。 わたし自身は、何も見ないで使えるコマンドが数えるほどしかない、素人に毛が生えたような使い手。 ただし、音楽再生に特化するなら、限られたことさえできれば乗り切れるはず。 リアルタイムカーネルをインストール 以下を順に実行する。 sudo apt update sudo apt install linux-image-rt-amd64 ちなみに、音楽再生するだけなら、linux-headers-rt-amd64は不要。 音楽再生アプリをインストール aplayは、もちろんプレインストールされている。 シンプルという意味では理想的だけど、わたしにこの操作感(すべてをコマンドでやる)はつらいので、馴染んでいるcmusをインストール。 sudo apt install cmus ちなみに、cmusは音の好みで使っているだけで、おすすめするつもりはない。操作性とかは好きではない、というか、わたしの使い方ならもっとシンプルな方がよい。 ファイルマネージャーをインストール 音楽再生に直接関係しないけれど、ファイルマネージャーはほしい。 使い慣れたMidnight Commanderをインストール。 sudo apt install mc 困ったときのために、Ubuntuもインストール 同じパソコンに、Ubuntuもインストールしている。 Ubuntuを立ち上げて、Thunarとかのファイルマネージャーをルート権限で起動すると、SparkyLinuxのディレクトリを覗けるし、ファイルの編集もでる。 複雑なことをやるときGUIを使いたい人にはおすすめ。 ただし、これをやることで、新たなトラブルを抱え込むリスクがある。 経験の範囲内で言うと、grub関連のトラブルがとくに心配。 ちなみに、こちらの環境では、SparkyLinuxとUbuntuとの相性問題は、今のところない。 ALSAの設定 SparkyLinux導入と言うか、CLI環境を整えるときに、一番手こずったのがこれ。 最近のバージョンのDebian、Ubuntu系のGUI環境では、もうPulseAudioが不可欠なものとなっています。 その分、使い勝手も良くなっているし、いろいろと自動で設定してくれる。 SparkyLinuxのCLI版...

音楽再生専用のOSをSparkyLinuxに

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音楽再生専用に使っているノートパソコンは、ほぼMX Linuxのテキストモードで使っていた。 起動に少し時間がかかること以外不満はなかったが、DebianをCLIで使えばいじゃないか、となるのは自然な流れ。 そのほうがよりマシン負荷が低くなり、音に良さそう。 あと、使わないソフトウェアが少ないほうが、容量を節約できるし、ソフトウェア更新頻度も下げられるし、動作が軽くなる。 現状で、求める機能は以下のようなもの。 リアルタイムカーネルが使える。 cmusが使える。 ネットにつながる(わたしのスキルで)。 USBで外部記憶を読める。 音質向上のためのシステムファイルの書き換えが、わたしのスキルで可能。 DebianをCLIモードで再インストール DebianにCLIモードというのがあるわけではなく、デスクトップ環境をインストールしなければ、自ずとCLIで使うことになる。 というわけで、Debianの10.4.0をインストール。 Debianのインストールでは、毎回必ずwifiでひっかかり、しかもバージョンによってひっかかり方が微妙に違っているけれど(そんな気がする)、毎回結果的にクリアできている。 今回も同様だった。インストールにかかる時間そのものは短いけれど、なんだかんだで半日近くが潰れてしまう。 一休みしてから、音楽再生環境を整えようとしたけれど、ちょっと無理っぽい。 プレインストールされていないものが多過ぎて、手に負えそうにない。 というか、1週間くらいかけて、ネットで調べながら試行錯誤すればたぶんできるのだろうが、それだけの根気はない。 そこで、CLI環境を作りやすい、Debianベースのディストリビューションを探すことにした。 CLIで使うということは、日本語化を前提としていないので(文字化けする)、探せば見つかるはず。 SparkyLinuxをインストール CLIにこだわると、意外と選択肢はせまくて、諸条件を充たし、かつわたしのスキルで対応できそうなのはSparkyLinuxだけだった(見つけられなかっただけかも)。 多様な版が提供されていて、そのうちの一つ、MinimalCLI版をインストールした。 バージョン5.12で547MBと軽量。 インストールは意外と普通にできたが、念のため引っかかりそうなところを整理しておく。 ISOデータをダウンロードし...

ハイティンクによるショスタコーヴィチ交響曲第7番『レニングラード』

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ベルナルト・ハイティンク指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団。 1977〜1984年にかけて録音された全集の一つ。7番は1979年の録音。 ハイティンクは、1929年オランダ出身の指揮者。2019年に引退。 1967年〜1979年にかけて、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めた。 私見では、1980〜1981年のどこかで、ハイティンクは巨匠的な風格を獲得した。 ショスタコーヴィチの交響曲全集は、ちょうどその時期をまたいで録音されており、この指揮者に関心がある人にとっては興味深いかも。 私見が正しいとしたら、この第7交響曲は、巨匠的になる直前の録音。 ではそれが残念かと言うと、むしろ反対で、熟れる直前ならではの魅力を堪能できる。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-* 特定のパートを強調せず、常にオーケストラ全体の響きを意識させるバランスの作り方。そして、明解で歪まない造形。 ドラマ性より、音響造形物として描きあげることに軸足を置いているけれど、全体に覇気がみなぎっている。 むき出しの覇気ではないけれど、第一楽章のクライマックスで聴き手の息を呑ませる程度の迫真性はまとっている。 ハイティンクは、肌理のハッキリしたサウンドを好むけれど、各パートを分解するように聴かせるタイプではない。 オーケストラを一体として豊かに響かせながら、肌理を丁寧に浮き立たせる。そのため、演奏としてはかなり精緻だけど、ディテールの情報量が際立っているわけではない。 そのかわり、ここぞという場面では、精度を保ったまま、マスの響きを沸き立たせ、スリリングにうねらせる。 この、編成の大きなオーケストラを整然とかき鳴らす手腕は、ハイティンクの際立った魅力だと思う。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-* ハイティンクその人は、激しい表現を好んで用いる指揮者ではなく、とくに1980年代以降のスタジオ録音では、そういう表現を聴かせる機会は多くない(と思う)。 この音源は、攻めに転じたときの、ハイティングのドライブ力を知らしめる音源の一つ。 そして、成熟に向かっていた時期の音源だけに、クォリティの面で不満ない。アンサンブルは上質だし、曲想の描き分けも的確。 ただ、ハイティングのような響きの作り方のデメリットとして、場面による色調の変化が控えめになりやすい。それを味気なく感じる人はいるかもし...

Linux Mintを19.3から20へ、自動アップグレード

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Linux Mintの新しい長期サポート版20"Ulyana"が6月27日にリリースされていた。 現在のメインパソコンをLinux Mint19.3 Xfceで動かしていたが、すぐにアップグレードするつもりはなかった。細かな設定まで含めるとまる一日潰れるので。 というか、Linux Mintに対する思い入れはさほどではないので、長期サポート版をアップグレードするなら、ubuntu系のどれかに乗り換えようかとも考えていた(ちなみに、Linux Mintの前は U buntu Mateを使っていた)。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-* ところが、確か7月10日頃に、19.3から20に自動アップグレードしませんか、という通知が来た。 自動アップグレードできると思っていなかったが、すんなりいけば短時間で終わりそうなので、やってみた。 操作について特記することはない。通常のアップグレードより時間はかかるけど、難易度は大差ない。 面倒なのは、Timeshiftによるバックアップが必須(ただし回避できるし、その方法もMIntのサイトで示されている)だったことくらいか。 わたしのパソコンでは、Timeshiftにはファイルエクスプローラ(Thunarのこと)との相性問題があって削除していた。 何らかのトラブルを予期していたが、スンナリ終わって拍子抜け。 もっとも、単体のパソコンにLinux Mintだけを走らせるというシンプルな使い方なので、もともと低リスクだったのかも。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-* アップグードから1週間超というところだが、自覚しているトラブルは、次の2つ。 Chromium Browserが消失。 GIMPが起動しなくなる。 この2つは対処済み。 Chromium の方は、正確にはトラブルではなく、7月10日時点で、Linux Mint20に対応版が未提供だったようだ。それで、Linux Mintの自動アップグレード中に消えてしまったようだ(たぶん)。 要するに、Chromiumは、Linux Mintの公式なアプリケーションではない、ということなのだろう。でも、近いうちに対応されることだろう。 ちなみに、代替策としてungoogled-chromiumをインストールした。ChromiumからGoogle依存性を徹底的に除去...

ゲルギエフによるショスタコーヴィチ交響曲第7番『レニングラード』(2001年)

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ワレリー・ゲルギエフ指揮、管弦楽はキーロフ歌劇場管弦楽団とロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーによる混成オーケストラ。 2001年の録音(ライブからの編集)。 ゲルギエフは、1953年ロシア出身の指揮者。 彼は1988年からキーロフ歌劇場管弦楽団(現マリインスキー劇場管弦楽団)を率いている。 また、1995〜2008年の間、ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めた。 なお、2012年に、マリインスキー劇場管弦楽団とこの曲を再録音している。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-* 磨かれた音響美と壮麗なサウンドイメージが、とにかく印象的。 ロシア出身の指揮者にとって、シリアスに描きたいタイプの楽曲ではないかと思うのだけど、良くも悪くも、しがらみ的なものは断ち切られていて、純粋に音楽的な造形物として作り込んでいる。 そして、ゲルギエフの手腕は驚異的。明確なイメージがあって、それを的確にオーケストラから引き出している感じ。 混成オーケストラによる演奏だそうだが、音楽性のブレみたいなものは感じられない。 しっとり系の響きに磨かれたアンサンブル。この曲をシリアスなドラマとして聴きたい人には、不謹慎と感じられるかもしれないほど色彩的でソフトな耳障り。 そして、曲想に合った壮麗なサウンドイメージも見事。 第一楽章の怒涛のクライマックスでも、各パートの音量を制御して、ディテールの表現を明確に色づかせる。威嚇的な音や響きの混濁は徹底排除されている。 それでいて、音楽は決して薄くも小さくもならない。 編成の大きなーケストラの量感ある響きをベースに、多様で立体的なアンサンブルが展開される。のけぞるような迫力は感じないが、要所要所でキレのある一撃やリズムの変化などが繰り出されるので、十分に盛り上がる。 終楽章のエンディングでも、この演奏の特徴が顕著に表れている。 もちろん盛り上がるけど、勝利の雄叫びと言うより、古の戦記物語のクライマックスのようなタッチ。 生々しさを感じさせない弦の歌わせ方・響かせ方、伸びやかでけたたましくない金管。 ただし、最後の最後でティンパニがドドドドと畳み掛ける。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-* ヘルベルト・フォン・カラヤンの最大の功績は、本場出身の指揮者でありながら、独墺系のレパートリーをローカルな価値観から解き放ったことにあ...

ヤンソンスによるショスタコーヴィチ交響曲第7番『レニングラード』(1988年)

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マリス・ヤンソンス指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 1988年の録音。最後に拍手が入っているけど、一発録りのライブではなさそう。 ヤンソンスは1943年ラトビア出身の指揮者。2019年に亡くなった。 プロデビューはレニングラード・フィルで、1973年からは副指揮者としてムラヴィンスキーをサポートしていたとのこと。 ヤンソンスによるこの曲の正規録音は他に、2006年のロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団との音源、2016年のバイエルン放送交響楽団との音源がある。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-* 録音された1988年には、師匠とも言えるムラヴィンスキーが亡くなっている。 そういうことが、演奏者の心理にどういう影響を与えたかはわからないが、演奏自体に湿っぽさはない。 テンポは中庸だが、いきいきとしたリズムでスムーズに進行される。個々のパートが明解に浮かび上がり、しなやかな合奏が繰り広げられる。 そうした若々しい表現に、ヴァイオリンパートのしっとり感や、低音パートの厚みなど、ロシア風味がほどほど加味されている。 ヤンソンスは、オーケストラを自分の色に染め上げるのではなく、その持ち味を積極的に活かそうとするタイプだと思うが(染め上げられないだけかもしれないが・・・)、ここでもそんな感じ。 少なくとも、本場の名オーケストラを起用した意義は感じられる。 いずれにしても、若々しい活気と、よく練られたアンサンブルの取り合わせが気持ちいい。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-* 山あり谷ありのこの曲に対し、場面に即して調子を切り替えており、聴いていて一本調子と感じることはない。 とは言え、他の演奏と比べると、軽快なリズム感が特徴的。そのため、この曲の演奏としては、重苦しさや深刻さが控えめになって、活気が強まっている。 良く言えば聴き通しやすく仕上がっているが、たとえば第一楽章の怒涛のクライマックスあたりは、気持ち良く盛り上がりはするけれど、破壊力は控えめ。 終楽章のエンディングでも、必要以上に大きな身振りはなく、自然な流れの中ですんなり幕を引く。 第三楽章は、粘らず快適なペース。彫りの深い表現とは言い難いが、かと言って素っ気なくはない。内省的とか静けさみたいな気分もちゃんと感じ取らせてくれる。 ここにこの交響曲のすべてがあるとは思わないが、(わたしのように)この曲に...

スヴェトラーノフによるショスタコーヴィチ交響曲第7番『レニングラード』(1968年)

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エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮ソビエト国立交響楽団。 1968年のセッション録音。 スヴェトラーノフは、1928年ロシア出身の指揮者。2002年没。 1965〜2000年の長きに渡って、ソビエト国立交響楽団(のちにロシア国立交響楽団 )の音楽監督を務めた。 この音源は、その初期のもの。 スヴェトラーノフによるこの曲の音源は他に、この音源と同じ組み合わせによる1978年ライブ録音と、1993年のスウェーデン放送交響楽団とのライブがあるようだ。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-* 最大の聴きどころは、第一楽章だと思う。 この楽章は、盛り上げることに徹したらどうなるのか?という期待をもたせるタイプの音楽だけど、そういう聴き手の期待に応えてくれる演奏。 低音パートが増強された分厚いサウンドを響き渡らせながら、直線的に剛直に駆け上がっていく。 ただし、穏やかな場面では、叙情的なしっとりとした質感を表出しており、力で押すだけの演奏ではない。 とは言え、脳筋ぽいやり方だし、アンサルブルの仕上がりは粗くザラついている。破綻するところまではいっていないけれど、B級感はぬぐえない。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-* 4つの楽章の中で、第三楽章の表現には固さを感じる。 ウェットな響きは似つかわしいけれど、歌い回しとか呼吸感とかに無骨さがある。 前半の2つの楽章での、束の間の静かな場面では、質朴な味として聴けるけれど、 第三楽章のように、全編歌う楽章だと、ぎこちなくも感じられる。

ネゼ=セガンによるマーラー交響曲第8番『千人の交響曲』

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ヤニック・ネゼ=セガン指揮フィラデルフィア管弦楽団他の演奏。 2016年3月10〜13日のライブから編集。 ネゼ=セガンは、1975年カナダ出身の指揮者。 彼は、フィラデルフィア管弦楽団が破産した直後の2012年に音楽監督に就任。再建を託された形だが、その関係は今(2020年)も続いている。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-* 今では当たり前になった手法だが、複数の生演奏を編集している。実録ライブではない。 それでも、あえて盛大な拍手を収録している。制作のコンセプトとして、ライブっぽさを意識しているのだと思う。 そのことは、第一部を聴いても感じられる。 とくに独唱者たちは全般的にテンションが高い。第一部の3声以上の重唱はただでさえ合わせるのが難しそうだけど、けっこうカオスになっている。 歌唱陣が暴走しているわけではなくて、指揮者が意図して煽っている感じ。強引さは感じないが、けっこう畳み掛けるし、エンディングの追い込みは凄まじい(羽目をはずし気味?)。 ちなみに、合唱に聞き苦しさはないけれど、それでも整えることより熱気を優先している感じはする。 ただ、管弦楽だけを聴いていると、そこまでホットではない。キレと張りはあるけれど、指揮者はしっかりと手綱を握っていて、一定レベルの端正さは保たれている。 一見若武者風の熱気だけど、ネゼ=セガン自身は冷静に手綱をさばきながら煽っている感じがする。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-* 第二部は、長大かつ多彩だから、勢いでは乗り切れない。 もちろん、ネゼ=セガンも勢いの勝負には出ていないし、それどころか抜群のバランス感覚を見せつける。 楽曲の多様な変化に余裕を持って対応しつつ、しかし造形的なまとまりは一貫しているし、流れが淀んだり滞る感じが一切しない。 こういう曲なので、感情表現の巧拙みたいなものは見極められないが、それを除くと、あらゆることに目配りできていて、無理なく並び立たせている感じ。気持ちよく聴ける。 色彩的ではないけれど、明るく艶のあるサウンドで、細部まで磨かれたアンサンブル(オーケストラの持ち味か?)。 しかし、楽曲の美しさに浸るとか、細部を肥大させるような振る舞いはなく、節度をもって進行される。 そのせいか、オラトリオっぽくならないで、あくまで交響曲として聴ける。もっとも、オラトリオっぽいのもそれはそれで良いの...