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コンヴィチュニーによるブルックナー交響曲第5番

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フランツ・ コンヴィチュニー 指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。 1961年のセッション録音。演奏空間を感じさせる鮮明なステレオ録音。 コンヴィチュニー (1901~1962年)は、旧東独で活躍した、チェコ出身の指揮者。1949~1962の間、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長を務めた。 :::::::::: 画然とした造形と、明晰なアンサンブルを基調としている。 楽曲の構造とか書法が、あいまいさなく、すみずみまで余すところなく描き出されていて、指揮者とオーケストラの非凡な力量をうかがわせる。 着実に拍を刻むので、堂々として恰幅が良い。ただし、低音部を厚く鳴らすバランスではなく、重々しさはない。 音符の点や線はくっきりしていて、アーティキュレーションの微妙なニュアンスまで掌握・制御している。 たとえば第二楽章の、伸びやかに歌いながら精緻に制御されたアンサンブルは聞き物。 ただ、良くも悪くも、全体通してお堅い空気があって、愉悦のような成分は乏しい。 :::::::::: 上にあげたような作法を踏まえつつ、この指揮者としては、ドラマティックな表現を狙っているようだ。 テンポを動かすし、揺らしもしている。ただ、曲の推移に即したもので、節度がある。 それによって、着実な足取りや明晰さが乱されることはない。 金管が全体に強め。と言っても、ほとんどは自然に感じられる枠内だけど、終楽章のコーダは例外。 思い切って勝負に出たかのような金管群の強烈さは、いささかうるさくて、極端に聴こえる。少なくとも、繰り返し鑑賞する音源向きではないと思う。

カラヤンによるブルックナー交響曲第5番(1954)

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ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ウィーン交響楽団。1954年のライブ録音。 カラヤンは、1948年から1960年にかけて、このオーケストラを率いていた。その時期の演奏。 :::::::::: 焦らず急がずの、堂々として安定した足取り。当時カラヤンは40代半ばだけど、若々しく颯爽とした感じではなく、大柄でカッチリとした造形を志向している様子。 とは言え、老巨匠の重厚感とは別種の感触。正確なコントロールと、流麗なフォルムとか透明度の高い響き故か。 各パートは軽い音の出し方。透明度が高くてしなやか。個々のパートの輪郭は、金管以外はあいまい。個々のパートを浮き彫りにするより、一体感のある響きを優先している。 程良くボリューム感があって、流麗な流れを形作っている。 :::::::::: 演奏スタイルとしての洗練度は高い。 ただし、このやり方だと、響きとしては綺麗だけど、表情の彫は浅くなるし、陰影も乏しくなる。音楽の全体的な流れはわかりやすいけれど、瞬間瞬間の密度は薄くなる。 サウンドの感覚的な美しさや耳当たりの良さで、長時間集中できる聴き手なら楽しめるかもしれないが、個人的には単調さを覚える。 これで、目くるめくような小気味よい推進力があれば別だろうけど、あいにくの落ち着いたテンポ。 おまけに、古いモノラル録音のために、サウンドの美しさは大きく減殺されているし。

ヨッフムによるブルックナー交響曲第5番(1958)

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オイゲン・ヨッフム指揮、バイエルン放送交響楽団。 1958年のセッション録音。 空間の広がりは乏しいけれど、鮮明で厚みのある音質。 ヨッフム(1902~1987年)は、1949~1960年の間、バイエルン放送交響楽団の首席指揮者を務めた。その在任期間中の録音。 この指揮者による、この交響曲の録音は多数あって、全貌を把握できていない。 :::::::::: ヨッフムの耳の良さと、オーケストラから多彩でくっきりした表情を引き出す能力には、常々感心している。この方面で、ヨッフムと肩を並べられるドイツ系指揮者は、そんなにはいないと思う。 この音源でも、そのあたりは発揮されている。 低音厚めのサウンドバランスで、華やかというのではないけれど、全体通して、明朗で、張りと厚みがあるサウンド。 耳を傾けると、個々のパートの表情は明瞭で冴え冴えとしている。それらによるアンサンブルも、精妙と言える水準でコントロールされている。 力強い場面から繊細な場面に至るまで、音楽の表情はバッチリ決まっていて、うまみがある。 :::::::::: ただし、これはわたしだけかもしれないが、テンポ感がしっくりこない。 この演奏では、大きくテンポが動くことはないけれど、聴かせどころでときどき作品書法を際立たせるかのようにテンポを落とす。 テンポを落とすこと自体に抵抗感はないけれど、単に歩幅を広くしただけで、息遣いの変化が感じられない。深く大きな息遣いがもたらす気宇の広がり、みたいな効果は感じられない。 そのあたりは、あんまり上手ではないように感じた。

ベイヌムによるブルックナー交響曲第5番

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エドゥアルト・ヴァン・ベイヌム指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団。 1959年のライブ録音(放送用音源)。良好なモノラル録音。  ベイヌム (1901~1959年) はオランダの指揮者。1945年から亡くなる1959年まで、同オーケストラの音楽監督を務めた。 この録音の1ヵ月後に、心臓発作で亡くなったらしい。 :::::::::: 亡くなる直前の演奏ではあるけれど、引き締まっていて、力強い。ビシッととしたたずな裁き。第一楽章の序盤から、気合がほとばしる。 テンポは速めの設定。テンポ自体は曲調の変化に合わせて切り換えられるけれど、全体通して、歯切れが良くて推進力に富む。 特に第三楽章は、コンセルトヘボウ管弦楽団の強靭なアンサンブルが際立つ。 サウンドは引き締まっている。低音控えめで、個々のパートはむき出しのように生々しく響く。重量感は控えめで、やや細身の筋肉質。 雄渾に演奏されることの多い終楽章あたりは、軽量級に聴こえる。ただ、フレージングの彫りが深いので、軽薄さ平板さはない。 :::::::::: 切り詰めたサウンドなので、豊かさを感じにくい。 また、弦や木管のパートは随所でしなやかかつ軽やかな表情を聴かせるものの、硬質で乾いた質感が一貫していて、潤い成分はほとんど無い。 それらのせいで、全体通して硬派でストイックな質感が支配的。逆に言うと、音楽の表情は多彩とは言いにくい。

クレンペラーによるブルックナー交響曲第5番(1957)

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オットー・クレンペラー指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団。 1957年のライブ録音。 1950年代後半のモノラル録音としても、鮮明とは言いにくい。また、第一楽章、第三楽章にはソースに瑕疵があるようで、部分的に聴き苦しい。 ただ、ノイズは少ないし、高音から低音までバランスよい音なので、聴きやすい。 :::::::::: テンポの設定は、全般的に速め。整然とかつ歯切れよく進行する。 歯切れ良い進行の中で、ディテールの表情が手際よく鮮やかに描き出される。洗練を感じさせる手並み。 各場面のニュアンスは適確に描き分けられているけれど、全曲通しての堅固な造形観を侵すことはない。 タメを作ったり、響きの余韻に浸ったり、クラスマックスで煽り立てるというような素振りはない。 頑なにインテンポだけど、リズムの調子とか、フレーズの歌いまわしとかは、明示的に切り替えられていて、音楽は刻々と表情を変えていく。単調さとは無縁。 オーケストラの洗練された捌きとか柔らかい響きが相乗して、品位を感じさせる。 ホール内を量感のある響きで充たすと言うより、確固とした造形から、響きが解放的に広がるようなサウンドイメージ。 :::::::::: クレンペラーの、造形美を堅固に保つ演奏スタイルは、終楽章のフーガ以降で威力を発揮する。 終楽章の演奏時間は22分少々なので、かなり速い。しかし、この指揮者独特の厚みを保ったまま切れよく刻まれるリズムとか、彫りの深いフレージングとかのおかげで、柄が大きくて押し寄せるように力強い。 フーガは静謐とともに始まるけれど、歯切れよく克明に増殖・拡大し、ついには豪壮なクライマックスに達する様は、この指揮者ならでは。壮快でありながら格調を感じさせる。 :::::::::: クレンペラーの同曲の録音としては、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団との1967年セッション録音、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との1968年のライブ録音がある。 作品の捉え方に変化はないけれど、聴いた印象はけっこう違う。 個人的な好みではこの音源をとるけれど、モノラル録音で、この指揮者の対位法処理の手並みを堪能するには限界がある。

ロスバウトによるブルックナー交響曲第5番

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ハンス・ロスバウト指揮、南西ドイツ放送交響楽団。 1953年のセッション録音。古いモノラルだけど、放送局の音源だけあって、とても鮮明。 ロスバウト(1895~1962年)はオーストリア出身の指揮者。1948~1962年にかけて、同オーケストラの音楽監督を務めた。 :::::::::: 軽くて柔らかい音の出し方。各パートの輪郭は明瞭だけど、それを損なわない程度のブレンド感がある。 明るめの均質な響き。かたよらないサウンドバランス。 楽曲の書法に込められたニュアンスを、鋭敏に明瞭に響かせるための、軽くて柔らかい音の出し方。 極端な強音・弱音は無い。音響効果や雰囲気に走ることなく、音の刻みや線的な動きを浮き上がらせ、それらのニュアンスとか、重なりとか、連動とかの加減で、表情を作り出していく。 軽快ではあるけれど、腰の軽い演奏ではない。 オーケストラは、質の高いアンサンブルで、過不足なく指揮者の要求に応えている。派手さはないけれど、そのことがむしろプラスに作用している。 :::::::::: 楽曲の書法を歪みなく、濁りなく表現することに軸足を置いている。 そのうえで、伸びやかかつしなやかなフレージングとか、ブレントされた音響美を堪能させてくれる。 というか、ロスバウトとしては、味付けとしてやっているのではなく、それらもブルックナーの狙いの一部と解釈しているのかもしれない。 陶酔したり、浸ったりというような風情は皆無。作曲の意図した効果に目配りするけれど、簡潔に提示するだけ。良くも悪くも、さっぱりした後味。 豪壮な終楽章のコーダですら、あっさりとして落ち着いている。

アーベントロートによるブルックナー交響曲第5番

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ヘルマン・アーベントロート指揮、ライプツィヒ放送交響楽団。 1949年録音モノラル。 アーベントロート(1883~1956年)は、ヨーロッパで活躍したドイツの指揮者。 1949年から1956年まで、ライプツィヒ放送交響楽団を率いていた。 :::::::::: 大柄でガッチリとした枠組みの中で、毅然とした、気骨のある音楽を展開している。 節目節目で、曲想の変化に合わせて、テンポ、リズムの刻み、節回し、力加減を自在に変化させる。 とは言え、変化の幅は一定の範囲にとどまっていて、全体としては揺るぎなく安定している印象。 :::::::::: 楽曲の捉え方はロマンティックだけど、口調は断定的で力強い。芯のある強めの線で作品書法を明解に描き出している。 表現の幅はそれなりに広く感じられるけれど、いかつさとか厳しさとかが支配的。金管群はしばしば威嚇的に響く。 もっとも、録音のせいでそのように聴こえてしまうのかも。 古いモノラル録音なので、音響に関しては類推になってしまうが、本来のバランスからすると、低音がやや弱いような印象。 ただし、演奏の方向性から察するに、分厚く響かせることより、しまりのある強靭な響きを狙っているように思われる。

フルトヴェングラーによるブルックナー交響曲第5番(1942)

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ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。 1942年のライブ録音。 フルトヴェングラーの同曲の録音としては、他にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのライブ録音(1951年)がある。 :::::::::: 力がみなぎった、豪胆な演奏。 もっとも、力押しではない。全体通して、しなやかで抑揚の豊かなヴァイオリンの歌いっぷりは心地よく、硬軟織り交ぜている。 それぞれの楽章の中で、テンポの伸縮の幅が大きい。とは言え、テンポの基本設定のようなものはある。第3楽章はわりと速い。その他の3つの楽章は、速からず遅からず。 大胆な加減速だけど、楽曲の展開を踏まえているので、違和感はない。また、指揮者の計算とオーケストラとの共通認識の上での大胆なふるまいのようで、危なげない。 加速は畳みかけるようだけど、減速はさほど極端ではなく、全体としては引き締まって聴こえる。 ただし、終楽章は、他の楽章より腰を据えて、曲の多様な表情をじっくりと浮かび上がらせている。 クライマックスでは激しい追い込みを聴かせる。特に、コーダに突入する直前の急加速や、しめくくりでのティンパニの轟音は、この指揮者らしいケレン。 :::::::::: フルトヴェングラーのライブ録音にありがちな、特有の"誇張芸"が発揮されている。 計算されたテンポの加減速も一種の誇張だし、落ち着いた場面は弦群が主導し、盛り上がってくると大きな音を出すパートを前面に出す音響バランスの操作も誇張。 楽曲の生理を踏まえた誇張なので、違和感はないし、曲の展開はわかりやすくなっている。そういう意味ではよくできた芸風。 とは言え、しばしば内声部が覆われてしまい、響きのニュアンスから立体感とか多彩さが喪われ、音楽が直線的になる。 単調というほどではないものの、ある程度この曲を知っていて、曲の書法を味わいたい聴き手には、どこか大味に聴こえてしまいそう。

クナッパーツブッシュによるブルックナー交響曲第5番(1956)

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ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。 1956年のセッション録音。古いけれど、ちゃんとしたステレオ。 シャルク改訂版による演奏。終楽章を中心に、他の版との違いが大きい。シャルク改訂版に対して、拒否反応が出る危険あり。 :::::::::: テンポの設定は、やや速め~標準くらいで、安定した足取り。浅くもなく深くもない呼吸感。 アンサンブルをコントロールして、作品書法を明解に聴かせようとする意識が強い。没入とか陶酔とか燃焼とかとは縁遠い感触。ドラマティックでも濃厚でもない。 各パートが明瞭に分離していて、それぞれの動きや絡み合いがくっきりと聴こえてくる。 アンサンブルは端整で明解だけど、整った美しさを追求しているわけではない。個々のパートの歌は陰影豊か。それらが集積されて、ロマンティックな絵巻物に仕上がっている。 そして、オーケストラの奏者たちのコクのある歌が、大いにプラスに作用している。何かしら、美意識を共有しているオーケストラとでないと、こういう演奏は難しそう。 :::::::::: テクニカルな精度とか完成度はほどほどなので、スタイリッシュな意味での洗練度は、そこそこの水準。 クナッパーツブッシュは、スタイリッシュ系指揮者がやりがちな、安易な表現のパターン化をやらない。あちこちに出てくる金管のファンファーレにしても、その一つ一つのニュアンスが細かく描き分けている。 そういう意味の密度が、この演奏の聴き所。 全曲締めくくりでは、オーケストラを開放的に響かせながら、多声の複雑な交錯が明解に、スリリングに描き出されていて見事。この指揮者の、オーケストラを統率する力量を見せつけられる。