クレンペラーによるブルックナー交響曲第5番(1957)
オットー・クレンペラー指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団。
1957年のライブ録音。
1950年代後半のモノラル録音としても、鮮明とは言いにくい。また、第一楽章、第三楽章にはソースに瑕疵があるようで、部分的に聴き苦しい。
ただ、ノイズは少ないし、高音から低音までバランスよい音なので、聴きやすい。
テンポの設定は、全般的に速め。整然とかつ歯切れよく進行する。
歯切れ良い進行の中で、ディテールの表情が手際よく鮮やかに描き出される。洗練を感じさせる手並み。
各場面のニュアンスは適確に描き分けられているけれど、全曲通しての堅固な造形観を侵すことはない。
タメを作ったり、響きの余韻に浸ったり、クラスマックスで煽り立てるというような素振りはない。
頑なにインテンポだけど、リズムの調子とか、フレーズの歌いまわしとかは、明示的に切り替えられていて、音楽は刻々と表情を変えていく。単調さとは無縁。
オーケストラの洗練された捌きとか柔らかい響きが相乗して、品位を感じさせる。
1957年のライブ録音。
1950年代後半のモノラル録音としても、鮮明とは言いにくい。また、第一楽章、第三楽章にはソースに瑕疵があるようで、部分的に聴き苦しい。
ただ、ノイズは少ないし、高音から低音までバランスよい音なので、聴きやすい。
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テンポの設定は、全般的に速め。整然とかつ歯切れよく進行する。
歯切れ良い進行の中で、ディテールの表情が手際よく鮮やかに描き出される。洗練を感じさせる手並み。
各場面のニュアンスは適確に描き分けられているけれど、全曲通しての堅固な造形観を侵すことはない。
タメを作ったり、響きの余韻に浸ったり、クラスマックスで煽り立てるというような素振りはない。
頑なにインテンポだけど、リズムの調子とか、フレーズの歌いまわしとかは、明示的に切り替えられていて、音楽は刻々と表情を変えていく。単調さとは無縁。
オーケストラの洗練された捌きとか柔らかい響きが相乗して、品位を感じさせる。
ホール内を量感のある響きで充たすと言うより、確固とした造形から、響きが解放的に広がるようなサウンドイメージ。
クレンペラーの、造形美を堅固に保つ演奏スタイルは、終楽章のフーガ以降で威力を発揮する。
終楽章の演奏時間は22分少々なので、かなり速い。しかし、この指揮者独特の厚みを保ったまま切れよく刻まれるリズムとか、彫りの深いフレージングとかのおかげで、柄が大きくて押し寄せるように力強い。
フーガは静謐とともに始まるけれど、歯切れよく克明に増殖・拡大し、ついには豪壮なクライマックスに達する様は、この指揮者ならでは。壮快でありながら格調を感じさせる。
クレンペラーの同曲の録音としては、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団との1967年セッション録音、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との1968年のライブ録音がある。
作品の捉え方に変化はないけれど、聴いた印象はけっこう違う。
個人的な好みではこの音源をとるけれど、モノラル録音で、この指揮者の対位法処理の手並みを堪能するには限界がある。
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クレンペラーの、造形美を堅固に保つ演奏スタイルは、終楽章のフーガ以降で威力を発揮する。
終楽章の演奏時間は22分少々なので、かなり速い。しかし、この指揮者独特の厚みを保ったまま切れよく刻まれるリズムとか、彫りの深いフレージングとかのおかげで、柄が大きくて押し寄せるように力強い。
フーガは静謐とともに始まるけれど、歯切れよく克明に増殖・拡大し、ついには豪壮なクライマックスに達する様は、この指揮者ならでは。壮快でありながら格調を感じさせる。
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クレンペラーの同曲の録音としては、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団との1967年セッション録音、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との1968年のライブ録音がある。
作品の捉え方に変化はないけれど、聴いた印象はけっこう違う。
個人的な好みではこの音源をとるけれど、モノラル録音で、この指揮者の対位法処理の手並みを堪能するには限界がある。
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