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マタチッチによるチャイコフスキー交響曲第5番(1960)

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ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団。1960年のセッション録音。 マタチッチ(1899-1985)はクロアチア出身の指揮者。 NHK交響楽団との録音が複数リリースされている。日本と縁のあった指揮者のようだが、個人的には、そんなに聴いていない。 :::::::::: 引き締まって、推進力のある、辛口の演奏。 オーケストラの持ち味もあるだろうけど、響きの厚みはそんなになくて、内声部が明瞭に聴こえる。木管部がなかなか雄弁。 録音の品質は良くないけれど、細かい音は良く聴こえるし、その一つ一つに意欲的に表情が付けられている。指揮者の統率振りはよく伝わってくる。 ただし、各声部のバランスとか連動のさせ方とかは、ぶっきらぼうな感じ。そのため、サウンドイメージがあいまいで、響きの色合いの変化は乏しい。 :::::::::: 終楽章は、金管を心持強めに出して、切れ味とか迫力を演出している。チェコ・フィルの金管奏者たちはうまい。 展開部で極端にテンポを落とす場面がある。ここでテンポを落とすのは、他でも聴いたことがあるけど、ここまでのブレーキは珍しいような気がする。 :::::::::: 悪い演奏ではないけれど、録音の音質が思わしくなく、それを我慢して聴くほどのものではないかもしれない。

マタチッチによるブルックナー交響曲第5番(1967)

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ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団。1967年のセッション録音。 とりあえず、この演奏には、楽譜の改変とか版の問題がある。 ブルックナーの改訂版に関心が無くても、というか、むしろ関心がないほど、聴きなれないものに、単純に違和感を感じてしまう。 :::::::::: マタチッチの深い呼吸は、ブルックナーに似つかわしく感じる。大きな構え、深い息遣いで、一つ一つのフレーズにニュアンスを込め、響きの綾を存分に引き出す。 この交響曲から引き出しうる演奏効果を、じっくり吟味された跡が随所に感じられる。そういう意味で、練られた表現を満喫できる。 :::::::::: 第5交響曲は、堅固な構成美を前面に出すアプローチも可能だと思うし、個人的には、そうする方が、作曲者の構想に近いような気がする。 ただ、敬虔な雰囲気とか、息の長いフレーズとかがふんだんにある作品なので、後期の交響曲のように演奏しても、それはそれで演奏効果が上がるし、実際そういうアプローチの演奏は多い。 マタチッチもそっち系で、幻想性とかロマン性を引き出す方向で聴かせる。 :::::::::: チェコ・フィルハーモニー管弦楽団は、金管が軽くて伸びやか。低弦は広がりはあるけれど、実体感薄めでうねらない。木管には湿り気があって、抒情的な風合いが強い。 要するに、透明感、繊細感、抒情美が際立つ。スケール感はあるけれど、聴き手を圧倒したり包み込むような質なサウンドではない。 マタチッチは、そういうオーケストラの持ち味を肯定的に活かしていて、そのことが演奏全体の色調に大きく影響している。

ナッシュ・アンサンブルによるブラームスの弦楽五重奏曲第2番

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ナッシュ・アンサンブルの演奏。2008年のセッション録音。 ナッシュ・アンサンブルは、ロンドンにあるウィグモア・ホールを活動拠点とする、室内楽アンサンブルらしい。メンバーは11人(この記事作成時点)で、ピアニストやハープ奏者なんかも含まれている。 もちろん、この録音に参加しているのは、弦のメンバーだけ。 :::::::::: 線の一つ一つを明確にして、それらが親密に絡み合う。サウンドバランスは、低音やや浅めのスッキリ系。混濁感の無いクリアな響きのためのバランスなのだろう。 精度の高いアンサンブルだけど、静的に演奏して、隙なく仕上げていくという方向性ではない。各奏者が積極的に表現しながら、まとまりを作っていく感じで、好ましい。 アンサンブル全体として、呼吸感があって、リズムには生気がある。精度を一定以上に保ちつつ、生き生きとして、スケール豊かな表現を展開している。 静と動の変化を入念に際立たせて、それぞれの楽章を彫りの深く描き上げている。こちらの曲に対するイメージより、各楽章が立派で格調高く響くような気がする。 :::::::::: ただ、第一楽章はもう一息だろうか。 これだけのポテンシャルがある団体なので、もう少しテンションを下げて安全運転をしたら、完成度はさらに上がったと思う。 しかし、ここでのナッシュ・アンサンブルは、活気と流動感を前面に出す道を選んでいる。作品の解釈としては、賛辞を贈りたいけれど、勢いの反面、細やかなコンビネーションの妙味は後退している。 そういうところが、この曲では大事なので、残念なところ。 第二楽章以降は、洗練されたスマートな質感に違和感を感じる向きがあるかもしれない。ただ、晩年のブラームスの書法がいかに洗練されたものであるかを、実感できる。

ワイセンベルクによるラフマニノフのピアノ協奏曲第3番

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アレクシス・ワイセンベルクのピアノ、ジョルジュ・プレートル指揮シカゴ交響楽団。1968年のセッション録音。 メジャーレーベルによる60年代後半の録音にしては音が悪い。ただ、ワイセンベルクがやっていることはクッキリと聴こえてくる。 ワイセンベルクは、1979年にこの曲を、バーンスタインと再録音している。 :::::::::: ワイセンベルクのピアノは、タッチのニュアンスは細やかだし、息遣いも伝わってくる。彼自身の感性を色濃く映し出しているし、楽曲の抒情性に光を当てている。 その一方、響きは硬質で輪郭がクッキリ。重い音でこそないけれど強固。 そして、高精度で強靭な指の動きやタッチのコントロールに圧倒される。 アクロバティックな指の動きだけど、軽やかさは感じない。一途で強靭。 この抒情性と強靭さが、調和しているというより、せめぎ合っている感じ。ときに抒情性が上回るけれど、次の瞬間には強靭さがそれを振り払う、みたいなせめぎ合いが繰り返される。 両端楽章はそういうところが面白くもあるけれど、第2楽章あたりは、抒情的な感性とメカニカルな強さ・キレが喧嘩しているようにも聴こえる。 どこか異形ではあるし、好んで聴くものではないけれど、この協奏曲の特別な演奏の一つ。 :::::::::: ピアノ重視の録音のせいだろうが、管弦楽は広がりが乏しく後方に聴こえる。露骨にピアノが主役の、音の録り方。 こういう扱いなので、プレートルの演奏について、とやかく言える感じではない。

ブレハッチによるショパンのピアノ協奏曲第1番

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ラファウ・ブレハッチのピアノ、イェジー・セムコフ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団。 2009年のライブ録音。 ブレハッチは1985年ポーランド出身のピアニスト。2005年にショパン国際ピアノコンクールで優勝。ツィマーマン以来30年ぶりのポーランド人優勝者だったらしい。 セムコフは、ポーランド出身のフランスの指揮者。1928年生まれなので、録音の時点で80歳を超える大ベテラン。 :::::::::: ブレハッチが聴かせる作品像自体はごく標準的。 情緒的な表現にあまり入り込まないで、繊細・精妙なタッチで、楽曲の書法を鮮やかに描き出す。 ニュアンスの彫りは深くて、音の粒立ちは良好。クリスタルな凛とした響きではなく、ちょっと湿り気を帯びた音で、耳のあたりは柔らかい。 聴いていて、気分が高まってくるようなところはないけれど、精妙でみずみずしい音楽が心地よい。 :::::::::: ピアノは、そんなに大きな音を出しているように聴こえないけれど、細かなニュアンスまで伝わってくる。 録音の加減もあるのだろうけど、節度ある伴奏も影響していそう。 柔らかな響きでピアノを包み込むよう。一歩引いているようだけど、かと言って不足を感じさせることもなく、心得た振る舞い。 これを聴いて、セムコフの他の演奏も聴いてみたいという気持ちにはならないけれど、ブレハッチの伴奏としては好ましい。

アルゲリッチによるラフマニノフのピアノ協奏曲第3番

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マルタ・アルゲリッチのピアノ、リッカルド・シャイー指揮ベルリン放送交響楽団の演奏。1982年のライブ録音。 :::::::::: アルゲリッチのピアノは、指の運動能力は凄まじいけれど、打鍵は中軽量級。 音の粒立ちを重視して、音のダブつきを排除しているせいもあるのだろうけど、響きの量感は薄い。 スリリングだけど、パワフルという印象ではない。 :::::::::: 畳みかけるテンポ感と多彩なニュアンスがあいまって、一つ一つのフレーズを、音の線的な連なりというより、響きの揺らぎとかきらめきのように表現している。 そのために、他の演奏とは違う曲のように聴こえる。ピアノを語るように演奏している。 超絶の指さばきが、音楽的な持ち味と不可分に結びついていて、演奏様式としての次元の高さを感じる。 :::::::::: ライブ録音とは言え、燃え上がるような演奏ではない。集中して的確に指先をコントロールして、自分の表現を着実に展開している。 こういう演奏様式だと、ミスタッチを恐れず、天衣無縫にやってくれた方が、より面白くなりそうだけど、難曲の正規録音だから、そうもいかないのだろうか。 全曲通して非凡ではあるけれど、アルゲリッチの持ち味をもっとも好ましく感じたのは第2楽章。 残る2つの楽章も見事だけど、打鍵の軽さのせいで、凄みのようなものは感じられない。 :::::::::: この協奏曲は管弦楽が厚め。わきまえない指揮者だと、アルゲリッチの細やかな表現を邪魔しないか心配になるけれど、シャイーは危なげない。 明朗でやや甘い響きは、アルゲリッチのピアノとは好対照。でも、ピアノをエスコートしつつ、マイルドで優美なトーンを加味していて、なかなかいい感じ。

チェリビダッケによるフランク交響曲

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チェリビダッケ指揮スウェーデン放送交響楽団。1967年のライブ録音。 チェリビダッケの、サウンドの趣味と望む響きをオーケストラから引き出す手腕には、信頼を置いている。 しかし、自分の美意識とインスピレーションで、楽曲を再創造したいとでもいうような、彼の衝動はときに疎ましい。かなり作為的で、安っぽく感じられることが多いから。 そして、そんな再創造への衝動は、晩年になるほど濃くなったような・・・ その意味で、60~70年代の音源は聴けるものが多い、という印象だったけど、このフランクの交響曲は、ハズレだった。 :::::::::: 透明度が高いスッキリ系のサウンドと、粘りまくる語り口の組み合わせが、この音源の面白さというところか。 これだけ粘らせるなら、うねりを感じさせるような重層的な響きが欲しいところだけど、それにしてはオーケストラのサウンドが薄い。 たぶん、チェリビダッケのやりたいことに完全に音にするには、クリアな響きとパワーを兼ね備えたオーケストラが必要。 この音源では、オーケストラのポテンシャルが、指揮者のやりたいことに追い付けていないのかもしれない。 :::::::::: とは言え、オーケストラの響きに軸足を置いて聴く限り、チェリビダッケが引き出している響きは傑出している。 この曲の渋いオーケストレーションを、生演奏で、こんなにも晴朗に響かせられることに感心。 単純に、オーケストラの持ち味とかホールの音響特性とかではないだろう。この指揮者は、異なるオーケストラから、自分の望むサウンドを引き出せる耳の良さと統率力を持っている、と思う。

フルニエ、シェルヘンによるドヴォルザークのチェロ協奏曲

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ピエール・フルニエのチェロ独奏、ヘルマン・シェルヘン指揮スイス・イタリア語放送管弦楽団。1962年のライブ録音。 モノラルだけど、明瞭で聴きやすい。。 ちなみにフルニエは、この1年前に、セル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と、同曲をセッション録音している。 :::::::::: フルニエの独奏に限ると、聴いたことのある彼の録音の中では(たぶん4つくらい)、もっとも好印象。 この人は、"チェロの貴公子"と呼ばれたくらい、品の良い演奏スタイルだけど、かと言って情緒的な要素を削いでしまうことはない。 フレージングとかリズムの刻みとかは、端正だけど、響きの作り方はけっこう多彩で、味がある。 おそろく、そうしたバランス感覚の絶妙さが、この人の魅力だと思う。 この音源では、フルニエのそういう良さを満喫できる。生演奏とは言え、技巧は安定しているし、程良い熱気が加味されている。 そして、シェルヘンとの組み合わせが奏功している。 :::::::::: チェロという楽器は、音色は渋いし音量も控えめ。オーケストラと協演すると、とかく埋もれがち。 フルニエの音源に限らず、あるいは最新の音源であっても、厚ぼったい管弦楽にストレスを覚えることがしばしばある。 その点、シェルヘンの伴奏は、程良い。 乾いた張りのある響きで、力感みなぎる管弦楽だけど、弦のボリュームを薄くして、内声部を際立たせるサウンドバランス。 管弦楽の全体の響きは薄くなるけれど、その分フルニエのやっていることは明瞭に聴こえる。 オーケストラの響きは薄目だけど、音楽としてはけっこう雄弁。盛り上がる箇所では、金管を前に出して刺激的な表情を作るけれど、押すときと引くタイミングを心得ていて、ソリストが活躍する場面では、しっかりとサポート。 オーケストラの各パートを、ソリストに巧みに絡ませる手並みに、うまさを感じる。 個人的に、シェルヘンの作り出す乾いたサウンドは、好みではないけれど、うるおい成分はフルニエのチェロが補っていて、協演として好ましく聴いた。

カルミニョーラによる、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第4番(1997年)

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ジュリアーノ・カルミニョーラのヴァイオリン独奏、伴奏はカルロ・デ・マルティーニ指揮のイル・クァルテットーネ。 1997年のセッション録音。全集から。  カルミニョーラは、10年後に、クラウディオ・アバドと組んで再録音している。別記事にて採り上げている。 :::::::::: カルミニョーラ中心に見ると、新録音より、こちらの方がしっくりくる。 ヴァイオリン・ソロの出来の違いではなく、伴奏との相性の違い。 カルミニョーラのソロは、いずれにしても、線が細くて、流暢で、軽やかで、細やかだけど陰影は薄い。バロック期に量産された、イタリアの作曲家たちによる合奏協奏曲あたりを連想させるテイスト。 アバドはそういうのに付き合っていなかったけれど、こちらの音源のマルティーニ指揮イル・クァルテットーネの方は、カルミニョーラと同じ方向性。 型にはまったテイストなので、刺激的な要素は乏しいけれど、演奏様式としての納得感は高い。 カルミニョーラを味わうなら、アバドとの協演ではなく、こちらだろう。 :::::::::: 良くも悪くも流暢にスイスイと流れる演奏で、モーツァルト演奏としては好みが分かれそう。 伝統的な名演奏と比べると、浅薄に聴こえなくもない。 しかし、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲が、この演奏で聴けるような側面を持っていないとは言い切れない。

サカリ・オラモによるシベリウス交響曲第7番

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サカリ・オラモ指揮バーミンガム市管弦楽団。2003年のセッション録音。 このコンビで2000~2003年に交響曲全集を完成している。 オラモは1965年生まれのフィンランド出身の指揮者で、ラトルの後を継いで、1998-2008年の間、このオーケストラの音楽監督を務めたようだ。 この録音は、ちょうど真ん中の時期にあたる。 :::::::::: アンサンブルは端整かつシャープだけど、しっとりとほのかに湿り気を帯びた、広がりのあるサウンドで、耳のあたりの心地よい。 湿り気を感じるのは、ごく主観的な受け止め方に過ぎないけれど、要はサウンドに明確な質感が表れている。 この指揮者は、オーケストラの響きを磨けるだけの、耳と腕の持ち主ということだ。 :::::::::: 整った造形をベースにして、調和がとれていて、色合いの変化がわかりやすい響かせ方をする。 尖がったところのない、まっとうな作品像が提示される。 明解さとか精度に重きが置かれている。 軽やかかつしなやかなアンサンブルとか、広がりのあるサウンドの作り方は、シベリウスの作風と親和性が高く聴こえる。 でも、ローカルな味わいで聴かせるアプローチではない。楽曲との一定の距離を保って、理知的に面している。 :::::::::: 呼吸を一定の調子に保つ傾向があって、そのぶん曲調の微妙な変化は際立たない。 "息遣い"のような感覚は弱く、基調としては淡々としている。 ただし、曲調の節目節目では、テンポとか呼吸の深さが切りかえられる。また、響きの色合いは細かく描き分けられている。 単調というのではない。 オラモの描き出すこの曲のイメージは、練られた独特の書法で書き上げられた、渋くてコンパクトな交響曲という、外形的な特徴そのまんま。 コンパクトな造形に、濃密で壮大なドラマが凝縮されている、みたいな感覚は乏しい。

ベームとロンドン交響楽団によるブラームス交響曲第2番

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カール・ベーム指揮ロンドン交響楽団。1973年、ザルツブルクでのライブ録音。 ベームは、正攻法で明解な質の音楽をやる人だと思う。音に対する鋭い感覚があって、素朴という形容はしっくりしないけれど、凝ったことをやる人ではない、という印象。 ただ、オーケストラの持ち味を引き出す技は長けていたように思う。というか、こねくり回さないスタイルだからこそ、オーケストラの持ち味を映し込みやすいのかもしれない。 彼は大量のレコーディングを残していて、ちゃんと数えたことはないけれど、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との協演が多いような気がする。 そのごく一部しか知らないけれど、積極的に名門オーケストラの持ち味を引き出すベームの演奏には、面白みを感じらない。 少なくとも、ベームの芸風が鮮明に表れているようには聴こえない。 そういう意味で、ロンドン交響楽団との組み合わせは興味深い。そこそこ縁のあるオーケストラのようだし。 ただ、1973年の演奏というのが気がかり。70年代のベームの演奏は、序盤のいくつかを除いて、好みではないから。 :::::::::: 演奏のスタイルとしては、1970年代のベームらしく、悠然としている。モタモタしたところ、緩んだところはないけれど、かと言って締まりのようなものも感じ取りにくい。 やはり好みからは少し外れるけれど、老巨匠風の演奏としては上級の仕上がり。自然体風で、刺激的な要素は乏しいけれど、「これまでいろいろ試してみたけれど、こうやるのが一番しっくりくるよね」的な妙味が全編にある。 ロンドン交響楽団に味わい的なものはないけれど、明解でありながら各パートが親密に連動するアンサンブルは気持ちいい。 むしろ、こういうオーケストラの持ち味だからこそ、ベームその人の芸が分かりやすく具現化されているような。