チェリビダッケによるフランク交響曲

チェリビダッケの、サウンドの趣味と望む響きをオーケストラから引き出す手腕には、信頼を置いている。
しかし、自分の美意識とインスピレーションで、楽曲を再創造したいとでもいうような、彼の衝動はときに疎ましい。かなり作為的で、安っぽく感じられることが多いから。
そして、そんな再創造への衝動は、晩年になるほど濃くなったような・・・
その意味で、60~70年代の音源は聴けるものが多い、という印象だったけど、このフランクの交響曲は、ハズレだった。
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透明度が高いスッキリ系のサウンドと、粘りまくる語り口の組み合わせが、この音源の面白さというところか。
これだけ粘らせるなら、うねりを感じさせるような重層的な響きが欲しいところだけど、それにしてはオーケストラのサウンドが薄い。
たぶん、チェリビダッケのやりたいことに完全に音にするには、クリアな響きとパワーを兼ね備えたオーケストラが必要。
この音源では、オーケストラのポテンシャルが、指揮者のやりたいことに追い付けていないのかもしれない。
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とは言え、オーケストラの響きに軸足を置いて聴く限り、チェリビダッケが引き出している響きは傑出している。
この曲の渋いオーケストレーションを、生演奏で、こんなにも晴朗に響かせられることに感心。
単純に、オーケストラの持ち味とかホールの音響特性とかではないだろう。この指揮者は、異なるオーケストラから、自分の望むサウンドを引き出せる耳の良さと統率力を持っている、と思う。
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