投稿

12月, 2017の投稿を表示しています

ナガノのサン=サーンス交響曲第3番『オルガン付』

イメージ
ケント・ナガノ指揮モントリオール交響楽団。 2014年のライブ録音。 ナガノは2006年から、同オーケストラの音楽監督を務めている。 前音楽監督デュトワは、1982年に、このオーケストラと同曲をセッション録音。 指揮者も体制も違うし、30年を超える隔たりもあるし、ナガノ盤に、デュトワ盤を偲ばせる要素はない。 :::::::::: 明解に、端正に、精緻に。これらを合言葉に、実直に作り上げられている。 弦を雄弁に歌わせて、表情にメリハリをつける、というタイプではない。すべてのパートが均等に近い目の細かさで編み上げられている。 全体的にお堅い演奏スタイルだけど、サービス精神だってある。第二部後半は壮麗に盛り上げて、特に終盤でのティンパニの瞬発力は痛快。他の音源と比べても、記憶に残るほど効果的。 :::::::::: ところで、ナガノの演奏スタイルは、すべてのパートをクリアに、均質に響かせることを志向しているようだけど、だとしたら、それ自体は不徹底に感じられる。 サウンドは緻密風だけど、実際には埋没しているフレーズとか、少なからずある。肌理は細かくても、精緻とまでは言えない。 生演奏ゆえに割り切ったところがあるのかもしれない。生なら「終わり良ければ総て良し」でも、こうして記録として鑑賞すると、割り切れないものが残る。

チョン・ミョンフンによるサン=サーンス交響曲第3番『オルガン付』(2016)

イメージ
チョン・ミョンフン指揮、ソウル・フィルハーモニー管弦楽団。 2016年のライブ録音。大型クラシック専用公演場"ロッテコンサートホール"の、開館記念公演を収録。 彼は、同オーケストラの音楽監督を、2005~2015年にかけて務めた。 後味の悪い辞め方をしたようだけど・・・ なお、チョン・ミョンフンは、1991年にパリ・バスティーユ管弦楽団と同曲を録音している。 ちなみに、演奏時間を比べると、第二楽章後半はほとんど同じで、それ以外は新録音の方が短くなっている。 :::::::::: 演奏のスタンスは、パリ・バスティーユ管弦楽団との音源に近いけれど、残念ながらそれより聴き劣りする。 新旧録音ともに、ホールの響きをふんだんに取り入れた録音だけど、旧録音の方は、アンサンブル自体にキレが感じられたし、明るい色彩感が気持ち良かった。 新録音の方は、オーケストラの持ち味なのか、ホールの特性なのか、艶とか色彩感が乏しく、キレもいま一つ。 よく言えばウォームな響きだけど、輪郭のあいまいな単彩なサウンドに終始している。 フレーズの処理も、旧録音の方が呼吸感があって、すんなりと入ってくる。それに比べて、新録音は淡白。 :::::::::: というように、新しいライブ録音の方は、旧録音と比べると、心ひかれる要素は少ない。 ただ、チョン・ミョンフンの名を損なうような出来かというと、そんなことはなく、生で聴いたらそれなりに満喫できただろう。オーケストラも危なげない。 そもそもこの音源は、イベントの記録であって、チョン・ミョンフンが新たに作品像を世に問う、みたいな位置づけではないのだろうし。

ジュリーニによるブルックナー交響曲第9番(1976)

イメージ
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮、シカゴ交響楽団。 1976年のセッション録音。 ジュリーニは、1969年~1973年までの間、シカゴ響の首席客演指揮者に就いていた。当時の同オーケストラの音楽監督はショルティ。 ジュリーニは、1988年に、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と、セッション録音をおこなっている。 このほか、ライブ録音がいくつかある。 :::::::::: 作品の味わいと演奏者の音楽性とか、整ったフォルムと彫りの深い感情表現とかのバランスが絶妙。 この演奏が、ブルックナーの頭の中にあった音楽そのままとは思わないけれど、楽曲の構成とか書法を、至って明解に、歪みなく、曇りなく表している。 それでいて、指揮者やオーケストラの魅力も、隅々まで行き渡っている。 後年の音源に比べると、指揮者の個性は控えめに聴こえる。しかし、後の演奏が濃すぎるだけ。 この演奏には、ジュリーニの確固とした音楽性が映し込まれている。すっかり円熟している。 :::::::::: ジュリーニはまた、シカゴ交響楽団から、艶やかで厚みある響きを引き出している。 オーケストラから望むトーンの響きを引き出して、場面に合わせて鮮明な表情を作り出すジュリーニの手腕は冴えわたっている。 もっとも、あいまいさを排した色使いの明瞭な響きを、ブルックナーらしくないと感じる人もいるだろう。

エッシェンバッハによるサン=サーンス交響曲第3番『オルガン付』

イメージ
クリストフ・エッシェンバッハ指揮、フィラデルフィア管弦楽団。 2006年ライブ録音。 エッシェンバッハは、1987年にバンベルク交響楽団と、この交響曲を録音している。未聴だけど。 :::::::::: 全体的に、ゆとりあるテンポだけど、第一楽章後半は浸るようにゆっくりと進めるかと思えば、第二楽章前半はキビキビと駆け足でという具合に、けっこう切り換えてくる。 ただし、堂々として、ドラマティックな表現かというと、そういう印象ではない。サウンドが、かなり淡白だから。 低音をたっぷりと量感豊かに響かせながら、中高音パートは、軽い音出しと粘り気の無いフレーズで、繊細かつ軽快。 低音たっぷりでも、音が濁らないようにコントロールされていて、透明度は高い。 繊細さと豊かなスケール感が両立していて、芸風としてはなかなかのものだけど、艶もコクも煌めきもない。味の薄いサウンドに仕上がっている。 :::::::::: 指揮者の統率力にしろ、オーケストラの力量にしろ、この交響曲を味わうために必要なレベルを余裕で凌駕している。 しかし、淡白なサウンドと、大きめの煽りとが、なんだかちぐはぐに聴こえる。 クリアな音楽を狙っているとしたら、テンポの変化とかは少々作為的に感じられる。 逆に、壮大な音のドラマを狙っているなら、淡白なサウンドゆえに消化不良。 かと言って、これまでに聴いたことのない、新しいものが結実しているようにも聴こえない。

ネゼ=セガンによるサン=サーンスの交響曲第3番『オルガン付』(2005)

イメージ
ヤニック・ネゼ=セガン指揮、グラン・モントリオール・メトロポリタン管弦楽団。 2005年のセッション録音。 ネゼ=セガンは1975年カナダ出身。この録音当時は30歳。 2000~2015年の間、同オーケストラの首席指揮者を務めた。 なお、彼は、この交響曲を、2014年にロンドン・フィルハーモニー管弦楽団と再録音している。 :::::::::: テンポは中庸。音楽の起伏を自然に聴かせる。 特徴的なのがサウンド。 オーケストラの音の出し方は軽くて細やか。特に、繊細でほのかに艶がかっている弦や木管は心地よい。そして、演奏会場の豊かな響きを活かして(録音もそういう方向)、量感とか恰幅を生み出している。 一つ一つの楽器の音をむき出しにせず、響きで包み込んで、当たりの柔らかいサウンドをもたらしている。 こういうやり方自体は珍しいものではないけれど、色彩感と柔らかさが絶妙で、この指揮者のセンスの良さ、耳の良さ、統率力の高さを感じさせる。 :::::::::: もっとも、昂揚する場面での金管とか打楽器は、野太くて少々興ざめ。盛り上げるためにやっているのだろうけど、響きは盛大に濁るし、第二楽章後半あたりは大味に感じられる。 音響を磨くなら、大きな音、荒い音を出さないで、盛り上げる技を聴かせ欲しい。 もしかしたら、オーケストラの表現力に壁があるのかもしれない。

マゼールによるサン=サーンス交響曲第3番『オルガン付』

イメージ
ロリン・マゼール指揮ピッツバーグ交響楽団。 1993~96年のセッション録音。 ちなみに、オーケストラの演奏は1993年に録音され、オルガンのパートのみ1996年に録音されている。 マゼールは、同オーケストラの音楽監督を、1988~96年に勤めた。その時期の録音。 なお、マゼールは、かつてヴァイオリン奏者としてこのオーケストラに在籍したことがあるらしい。 :::::::::: 作品の描き方としては、最後の最後で音を長く引っぱる以外は素直。 ゆとりあるテンポ。オーケストラの音の出し方は軽くて、カラッと明るい。重量感とか艶とか陰影めいたものは乏しいけれど、気持ちよく広がって、スケール感はそれなりにある。 アンサンブルは細やかでクリア。肌理が細かく流暢。スムーズだけど、適度にディテールがきらめいて、心地良い。 ホールの音響は豊かだけど、そういうことを踏まえてコントロールされているから、サウンドイメージは明瞭。 この指揮者のセンスの良さ、うまさ、統率力の高さが表れている。 また、オーケストラは、固有の味わいみたいなものは乏しいけれど、十分にうまい。 :::::::::: 機能美とか音響としての心地よさはあるけれど、音のドラマとしての手ごたえは薄い。 オーケストラのカラッとしたトーンも影響しているだろうけど、最大の要因はマゼールにありそう。 マゼールのフレーズの扱いは、滑らかさとか明瞭さをことのほか重視し、その反面、"歌"を感じさせない。いわゆる感情表現のようなものは希薄。 この交響曲は、そんなに込み入った感情表現を要求する曲ではないけれど、陰から陽へという仕掛けはある。 良くも悪くも、この演奏は、そういったものを意識させない。音によるドラマみたいなものを期待すると、すかされてしまう。

ジュリーニによるブルックナー交響曲第9番(1988ライブ)

イメージ
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。1988年のライブ録音。 別記事でアップしているセッション録音と近い時期の、生演奏(1988年6月11日)の記録。たぶん非正規録音。 :::::::::: セッション録音に関しては、非凡ではあるけれど、息苦しい怪演という印象をぬぐえなかった。 このライブ音源を聴して、ジュリーニのやっていることに、得心がいった。 と言っても、演奏の方向性は同じ。違っているのは、ジュリーニとかオーケストラのスタンスだろう。 この音源では、ジュリーニの"語り口"が前面に出ている。特に第三楽章は、曲調のせいもあって、楽曲にのめり込むようにして、自在な深い息遣いで歌い上げている。 一歩引いて聴くとけっこう息苦しい音楽だけど、指揮者が場の空気を完全に支配していて、並外れたカリスマを見せつける。 :::::::::: セッション録音も、楽曲の捉え方に違いはないし、緊張感もあったけれど、演奏者の意識は、磨き上げること、整えることに、より強く向かっていた。 ライブ録音ではパフォーマンス性が強いのに対して、セッション録音の方は、演奏そのものを"作品"と呼べる域に高めようとする意志を感じる。 だから、それぞれに優れた点があって、優劣はつけがたい。 ただ、ジュリーニの狙っているところが良く伝わってきて、かつ納得できたのは、こちらのライブ音源。

ジュリーニによるブルックナー交響曲第9番(1988)

イメージ
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。 1988年のセッション録音。 知る範囲で、この曲のジュリーニの正規録音は4つある。この音源以外に、シカゴ交響楽団(1976)、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1978)、シュトゥットガルト放送交響楽団(1996)。他に、海賊盤が1つ。 :::::::::: オーケストラ全体の音響をデザインするというより、フレーズの一つ一つを自身の美意識で磨いて、それらを束ねるような音楽の作り方。 フレーズの一つ一つに艶と粘りがあって、じっくりと入念に歌い上げられる。 張りと艶のある弦の歌い回しが一貫していて、全体の趣を支配している。 それらの総体としてのアンサンブルは、骨太で大柄。 徹底的にジュリーニ風味に料理された演奏で、揺るぎのない押し出しの良さは、巨匠の風格。 ジュリーニの到達した境地に感銘する。 :::::::::: 個々のフレーズは表情豊かに歌われているけれど、演奏全体が醸し出す調子は一定している。 楽曲の推移や展開より、ジュリーニの美学の方がより強く出ている。 張りと艶を終始欠かさない歌い回しのせいで、全体に陰影が乏しい。 また、ひたすら入念に磨くので、音楽の息遣いも変化が乏しい。 偏向の強い、怪異な演奏と言えるかも。 どの場面を聴いても同じようなトーンが支配しているので、聴き手との相性はシビアになりそう。

プラッソンによるサン=サーンス交響曲第3番『オルガン付』

イメージ
ミシェル・プラッソン指揮、トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団。 1995年のセッション録音。 プラッソンは1933年生まれのフランスの指揮者。1968~2003年に、同オーケストラの音楽監督を務めた。その時期の録音。 :::::::::: 演奏の志向としても、録音の傾向としても、ホールのたっぷりと豊かな響きをひっくるめて曲想が描き出されている。 楽器の音の出し方は軽くて繊細だけど、包み込む豊かな響きのおかげで、か細さとか神経質さを感じさせない。 楽曲の構造自体は、恰幅の良くカッチリと造形されている。だから、ソフトフォーカス気味のサウンドだけど、気分に流れる感じはなく、堂々と安定している。 当たりはソフトだけど、各楽章の盛り上がる場面では、必要十分な高まりを形作る。 :::::::::: どこか鄙びたところのある、艶消しされたふくよかな音響は独特。 第一楽章後半あたりは、曲調にしっくりとはまって、吸い込まれそうな感覚にとらわれた。 しかし、他の部分では、もっと明晰にやった方が、サン=サーンスの洗練された書法の真価が、鮮やかに表れるように感じられた(好みの範疇だろうけど)。 サウンドの嗜好は特徴的だけど、それ以外については説得力を感じる。 たとえば、第二楽章後半で、堂々たる進行の中に、柔軟かつしなやかなアンサンブルが展開される様は、気持ち良いし聴き応えがある。 オーケストラは、第一楽章の冒頭あたりでは不安を感じたものの、全体としては十分に高いレベルだし、とりわけキレのある金管は爽快。

ヤンソンスによるサン=サーンス交響曲第3番『オルガン付』

イメージ
マリス・ヤンソンス指揮、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団。 1994年のセッション録音。  ヤンソンスは、1979年から2002年もの長きにわたって、同オーケストラの音楽監督を務めた。 その時期の、後期の録音。 個人的に、ヤンソンスは、どこかわからないところがある指揮者。そのわからなさは、その音源にも潜んている。 :::::::::: 楽曲に向かう基本姿勢は正攻法。作品の構造を端正に浮き上がらせつつ、音の動きの一つ一つに確実に表情を付けて明確に描き出す。作品の実像から逸れることのない、着実なアプローチ。 中低音がほどほどに豊かな響きが、カッチリした造形を包み込んで、むき出しにしない。 ヤンソンスの音響に対する嗜好なのだろうけれど、この曲には合っていないような。 豊かさが加わる反面、濁りとか粘りにもつながっている。響きがくすみがちで、色彩感の心地よさは乏しい。 :::::::::: 正攻法で質の高い音楽をやれる指揮者だけど、それだけでは終われないらしい。 仕上げの段階でそれぞれの楽章に、キャラ付け強めに施している。 第一楽章前半の厳しい佇まいに対して、後半はじっくりと歌い上げる。続く第二楽章前半は活発に。 ここまでは順当だけど、第二楽章後半は賛否が分かれそう。 豪快な味付けだけど、あえて羽目を外している。目につくところをあげると、冒頭での過剰なまでに豪壮なオルガンとか、エンディングでの音の長すぎる引き伸ばしとか。 少なくともわたしには、半端でわざとらしく聴こえた。 ヤンソンスのは、まじめな優等生が、意図的にやんちゃをやっているみたいな、割り切れていない調子が付きまとう。 わたしたちはすでに、フルトヴェングラーやムラヴィンスキーのような、とことんやってしまう存在を知っているわけで・・・

チョン・ミュンフンによるサン=サーンス交響曲第3番『オルガン付』(1991)

イメージ
チョン・ミュンフン指揮、パリ・バスティーユ管弦楽団。 1991年のセッション録音。 彼は1989~1994年に、パリ・オペラ座(バスティーユ歌劇場)音楽監督を務めたが、その頃の録音。 :::::::::: 個々のパートの線の動きを際立たせるより、それらをブレンドして、一つの大きな流れを生み出していく。 その流れを自在に色づかせ、しならせて、壮快な音楽を作り上げている。 この曲の描き方としては、構築性めいたものは乏しい代わりに、感覚的な要素が強く出ていて、柔らかく豊かに広がるサウンドが心地よい。 しかし、甘口なだけの表現ではない。ソフトな響きの内側に、活気とか反射神経の良さが感じられる。 第二楽章後半あたりは、はつらつとした開放感が気持ち良い。今聴いてもフレッシュ。 :::::::::: 個々のフレーズは、交響曲を構成する柱というより、豊かな響きの彩として扱われている。 逆に言うと、ポリフォニックな作品書法の楽しさ(立体的に音が交錯するようなイメージ)は乏しい。録音も、そうした感触を助長する。 そういう意味で、この交響曲のある部分、そこそこ重要な部分が切り捨てられているような印象。 もっとも、この演奏自体に、強い自己顕示とか灰汁を感じない。己の感性に忠実に、伸びやかに表現している。