ジュリーニによるブルックナー交響曲第9番(1988ライブ)
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。1988年のライブ録音。
別記事でアップしているセッション録音と近い時期の、生演奏(1988年6月11日)の記録。たぶん非正規録音。
セッション録音に関しては、非凡ではあるけれど、息苦しい怪演という印象をぬぐえなかった。
このライブ音源を聴して、ジュリーニのやっていることに、得心がいった。
と言っても、演奏の方向性は同じ。違っているのは、ジュリーニとかオーケストラのスタンスだろう。
この音源では、ジュリーニの"語り口"が前面に出ている。特に第三楽章は、曲調のせいもあって、楽曲にのめり込むようにして、自在な深い息遣いで歌い上げている。
一歩引いて聴くとけっこう息苦しい音楽だけど、指揮者が場の空気を完全に支配していて、並外れたカリスマを見せつける。
セッション録音も、楽曲の捉え方に違いはないし、緊張感もあったけれど、演奏者の意識は、磨き上げること、整えることに、より強く向かっていた。
ライブ録音ではパフォーマンス性が強いのに対して、セッション録音の方は、演奏そのものを"作品"と呼べる域に高めようとする意志を感じる。
だから、それぞれに優れた点があって、優劣はつけがたい。
ただ、ジュリーニの狙っているところが良く伝わってきて、かつ納得できたのは、こちらのライブ音源。
別記事でアップしているセッション録音と近い時期の、生演奏(1988年6月11日)の記録。たぶん非正規録音。
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セッション録音に関しては、非凡ではあるけれど、息苦しい怪演という印象をぬぐえなかった。
このライブ音源を聴して、ジュリーニのやっていることに、得心がいった。
と言っても、演奏の方向性は同じ。違っているのは、ジュリーニとかオーケストラのスタンスだろう。
この音源では、ジュリーニの"語り口"が前面に出ている。特に第三楽章は、曲調のせいもあって、楽曲にのめり込むようにして、自在な深い息遣いで歌い上げている。
一歩引いて聴くとけっこう息苦しい音楽だけど、指揮者が場の空気を完全に支配していて、並外れたカリスマを見せつける。
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セッション録音も、楽曲の捉え方に違いはないし、緊張感もあったけれど、演奏者の意識は、磨き上げること、整えることに、より強く向かっていた。
ライブ録音ではパフォーマンス性が強いのに対して、セッション録音の方は、演奏そのものを"作品"と呼べる域に高めようとする意志を感じる。
だから、それぞれに優れた点があって、優劣はつけがたい。
ただ、ジュリーニの狙っているところが良く伝わってきて、かつ納得できたのは、こちらのライブ音源。
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