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11月, 2017の投稿を表示しています

Ubuntu MATEをThinkpad X201に、インストール。ついでにSSD化

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wattOS R9を載せていたThinkpad X201だが、現状ではUbuntu MATEに変更している。 そうなるまでの顛末を振り返る。 《wattOSを後回しに》 2017年6月頃に、Ubuntu 16.04 LTSベースの軽量Linuxディストリビューションに乗り換えたくなった。wattOSを気に入っていたので、R10にバージョンを上げるべく、wattOSのサイトへ。 そうしたら、R11がComing Soonとなっていたので、待つことに。 そして、待っている間に、他のLinuxディストリビューションを試すことにした。 ちなみに、半年経過後の現在も、R11はComing Soonのまま。 《Ubuntu MATEに落ち着く》 試したのが、以下の4つ。 Linux Mint 18.2 Xubuntu 16.04.3 LTS Lubuntu 16.04.3 LTS Ubuntu MATE 16.04.3 LTS Linux Mintは、見た目は気に入ったものの、マイナーなトラブルがちらほらと発生。面倒になって消した。 Xubuntuは、デスクトップ環境のXfceが好みに合っていた。軽量なわりに貧相に見えないギリギリをうまくついているというか。 しかし、ディスプレイ・ドライバが不安定なので消した。 Lubuntuは、もと使っていたwattOSにもっとも近いので、期待した。しかし、ロゴとか見た目とか野暮ったい印象を受けたので、間もなく消した。 その後、Ubuntu MATEに落ち着いた。初期設定の外観は好みじゃなかったが、ちょっと手を加えると好みに近くなった。 そして、動作はこれまでのところ安定している。 また、軽量とは言い難い容量だけど、起動や終了にかかる時間が短い(体感での印象)。 Thinkpad X201は、確かに古い機種だけど、事務作業をやっていて支障を感じることはなく、こちらとしてはまだまだ現役という感覚で使っている。 しかし、今回いくつか試して、予想以上にマイナートラブルがあった。 ちなみに、インストールそのものは、どれもスムーズだった。 《独自設定はガンマ調整くらい》 wattOS R9のときは、インストール後に、いくつかカスタマイズしていた。 Ubuntu MATEは、起動...

プレートルによるサン=サーンス交響曲第3番『オルガン付』(1990)

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ジョルジュ・プレートル指揮、ウィーン交響楽団。 1990年録音の交響曲全集より。  プレートルは、1963年に、同曲をパリ音楽院管弦楽団とセッション録音している。 1963年盤は、精悍でドラマティックな表現と、パリ音楽院管弦楽団の持ち味が特徴的な音源だった。 一方、この音源は、65歳という円熟期の録音。オーケストラやオルガン奏者(アラン)、レーベルも変わって、印象はかなり異なる。 :::::::::: 大きな構えの、堂々とした演奏。 安定した歩みだけど、ギッチリ引き締めるのではなく、多少ゆとり(緩み)を残した造形。 一定の範囲の中で、息遣いを変化させる。駆り立てることはないけれど、ちょいちょい浸ったりタメたりする。 各パートは、明解に鳴らしわけられていて、作品の書法が分かりやすい。響きの透明度を上げることによる明解さではなく、音の輪郭をしっかり鳴らした上での明解さ。 そして、個々のパートに、活き活きとした表情を施している。 厚みのあるサウンドイメージだけど、見通しが良いせいか、もたれることはない。 ::::::::::  磨かれた音響とか、合奏の整然とした美しさみたいなものは乏しい。  整えられているけれど、磨かれているというほどではない、くらいの質感。 このあたりは、プレートルの限界ともとれるし、見方によっては、洗練より生命感を重んじる演奏姿勢の反映ともとれる。

レヴァインによるサン=サーンス交響曲第3番『オルガン付』

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ジェイムズ・レヴァイン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。 1986年のセッション録音。 :::::::::: 剛腕指揮者が、抜群にうまいオーケストラのポテンシャルを引き出して、たくましくて恰幅の良い音楽を繰り広げている。 激しい場面では、合奏の精度を保ちながら、ここまで激しくエネルギッシュできるのだと、そのドライブ力を見せつける。 一方、第一楽章後半では、彫りの深い落ち着いた表現を、堂々と聴かせる。 レヴァインのビシッとした統率に、オーケストラの合奏力と腰の強いサウンドがあいまって、迫力満点。 第一楽章前半での、対位法的な秩序を保ったまま荒れ狂うような、整然としたうねりは圧巻。 :::::::::: 大柄なたくましさが前面に出ており、圧迫感が強い。 サウンドは、張りと艶があって、均質にそろっているけれど、透明感とか、抜けるような開放感は乏しい。 一級のオーケストラを、屈託なく豪快に搔き鳴らすので、この交響曲が、派手な演奏効果の塊のように聴こえる。 大筋ではそういう曲だと思うけれど、ここまであっけらかんとやられると、単純化され過ぎているようにも聴こえる。 聴き手の作品像に、すんなりフィットするとは限らないような気がする。 :::::::::: とは言え、これらのことは、好みの問題だろう。 指揮者もオーケストラも、ある面では、開いた口が塞がらないくらい高い水準に達している。

小澤征爾によるサン=サーンス交響曲第3番『オルガン付』

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小澤征爾指揮、フランス国立管弦楽団。 1985~86年のセッション録音。 オルガンは別録りしたものを、合成したらしい。 :::::::::: 結論から言うと、期待外れ。 とりあえず録音のクォリティが残念。大浴場のような音響。 同時期に、他のメジャー・レーベルが、この交響曲の好録音を世に送り出していたことを考えると、演奏者に同情したくなるような出来栄え。  唯一のとりえは、フォーカスが甘いせいで、オーケストラとオルガンの合成の痕跡がマスクされている点かと。 :::::::::: 量感はほどほどだけど、広がりのあるサウンド。柔らかく広がる響きの中で、軽快かつキレのあるアンサンブルが繰り広げられている。 しなやかで機能的。粘り気とか歪みを感じさせない、清潔なフレージング。 弦の音量を絞り気味にして、細かな音の動きまで、浮かび上がらせようとしている。  第二楽章前半などは、他の演奏では聴き流してしまいそうな、細かな音が印象的に浮き彫りにされていて、指揮者の確かなハンドリングを感じる。 ただ、録音がそれらをとらえきれていない。こちらが耳をそばだてないと、演奏者の芸が伝わってこない。 この曲を楽しむために、何気なく聴くなら、それなりに楽しめるかもしれない。 しかし、録音時期の近い競合盤の存在を考えると、失望が大きい。 :::::::::: オーケストラ、演奏会場、オルガンとその奏者と、指揮者以外はフランス尽くしの音源。本場の味わいを記録することに、軸足が置かれていたのかもしれない。 小澤の清潔感(?)のある演奏スタイルは、それ自体がフランス風とは感じないけれど、もろもろのテイストを引き出すのに適している。 ただ、小澤自体の存在感は薄まってしまった。

デ・ワールトによるサン=サーンス交響曲第3番『オルガン付』

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エド・デ・ワールト指揮サンフランシスコ交響楽団。1984年のセッション録音。 デ・ワールトは、1941年生まれのオランダの指揮者。 1977年~1985年の間、同オーケストラの音楽監督を務めた。この音源は、音楽監督時代終盤のもの。 この音源で、とりあえず好ましいのが録音。広々とした空間の中に、程良いブレンド感のサウンドが浮かび上がる。 :::::::::: 端整で引き締まった造形。響きの量感は控えめで、各パートが整然とバランスよく響く。  サウンドに特徴的なトーンは無くて、清潔感のある無色の響き。 スケール感とか音色の色彩感は乏しい。 けっこう鍛えられている感じのアンサンブルは、覇気があって緊密。また、響きは均質に整っている。上質感がある。 キビキビとした進行と筋肉質な造形とがあいまって、スポーティと言ってもいいくらい。 ただし、体育会系一辺倒ではなく、端整で程良くブレンド感のある響きは、耳に心地よい。 :::::::::: デ・ワールトは、自己主張めいた演出は、良くも悪くもやっていない。演奏効果よりも、合奏の節度とか品位みたいなものに価値を見出しているようなアプローチ。 エンターティナー的な面での訴求力は弱い演奏だけど、上質なアンサンブルを堪能する満足感はある。 この曲を知るために聴く演奏としては、いささか禁欲的。ただし、濃くキャラ付けされた演奏の後に聴くと、どこか清々しい。

スヴェトラーノフによるサン=サーンス交響曲第3番『オルガン付』

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エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮ソ連国立交響楽団。 1982年のセッション録音。 スヴェトラーノフの同曲の録音としては、スウェーデン放送交響楽団との1998年のライブ録音があるようだ。 残響過多な録音。オーケストラのやっていることは聞き取れるから、鑑賞にはさしつかえないけれど。 :::::::::: とりあえず、終始音響の濁りがある。 録音の影響はありそうだけど、演奏にも原因がありそう。 オーケストラの各パートのバランスは整っているけれど、全体としての響きの質感は制御されていない感じ。そういう点で、演奏のクォリティとして、一段落ちる印象。 この曲のような、巨大な音響をもたらす音楽では、気になってしまう。 :::::::::: オーケストラの音の出し方は軽くて、各パートの細かな動きが浮き彫りになっている。 ただし、対位法的な立体感とか奥行き感とかは無い。それぞれのパートが、平面的に並置されているイメージ。 音響としての量感はあるから、平板には聴こえないけれど、作品書法が他の演奏より武骨に聴こえる。 各パートを並置してそれぞれを浮き彫りにしつつ、たっぷりと響かせているから、テンポは全体的に遅くなり、雄大な仕上がりになっている。 この演奏なりに、意味のあるテンポであり、スケール感ではある。 作品書法の捉え方が、根本的なところで他と違っているので、まったく個性的。 :::::::::: 第二楽章後半の、木管が美しくたなびくところで、ハープを加筆している(たぶん)。気持ちはわかるけれど、どこか泥臭い。 スヴェトラーノフの感性が、サン=サーンスの洗練と融和しているようには聴こえない。 しかし、スヴェトラーノフがこの曲に愛着をもって演奏しているらしいことは伝わってくる。

デュトワによるサン=サーンス交響曲第3番『オルガン付』

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シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団。 1982年のセッション録音。 デュトワは、同オーケストラの音楽監督に1977年に就任。 1980年代に入って、DECCAから次々と音盤をリリース。 その中では、わりと初期の頃の録音。 :::::::::: このコンビの一連の録音は、その一部しか聴いていないけれど、デュトワの、響きに関する鋭敏な感性と、アンサンブルへの美意識が、インパクトとして強い。  おまけに、録音も優秀でセンスが良い。 オーケストラは、軽い音の出し方で、しっとりとした質感のサウンド。色彩的だけど、華やかというのではなく、落ち着いた上品な色調。 アンサンブルは、肌理がそろっていて、軽快かつ反応が良い。 力感とかスケール感は控えめだけど、そっちを向いた演奏でないことは明白。 軽やかで洗練された所作と、上品で耳のあたりが良い響きが、何よりも優先されている。 これだけ徹底的かつ見事にやっているのだから、無いものねだりは野暮というもの。 :::::::::: もともと洗練度の高いサン=サーンスの書法を、デュトワのセンスと技でいっそう磨き上げて、聴かせる。 そういう意味で、作品の持ち味を引き出しているけれど、だからと言って、その持ち味のすべてに光を当てているわけではない。他の演奏にあって、この演奏にないものは、少なからずあるから。 やっていることについては、他を寄せ付けないレベルに洗練されているけれど、楽曲を自分の型にはめ込んでいる。そして、その型のキャパは、そんなに大きくないようだ。

カラヤンによるサン=サーンス交響曲第3番『オルガン付』

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ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。 1981年のセッション録音。同曲の、カラヤン唯一の録音盤。 なお、オルガンはパリのノートル=ダム大寺院にて別録音したものを、合成しているらしい。  :::::::::: 安定したリズムの上に音楽を構築していく手並みに、独墺系の演奏っぽさを漂わせるものの、豊麗で透明度の高いサウンドが、すっかり中和している。 結果的には、堂々としたスケール大きな演奏、という手ごたえ。 広々とした空間に、量感たっぷりに響かせながら、そのニュアンスとか色調を、完全にコントロールしている。 各パートは、ソフトフォーカス気味にたっぷりと鳴らされるけど、それぞれの輪郭とか純度は保たれていて、場面場面の表情を、わかりやすく決めてくる。  かつ、それらが一体となって、豊麗なサウンドを生み出されていく。 オーケストラを響かせることについての、この指揮者の屈指の力量を見せつけられる気がする。 :::::::::: カラヤンは、楽曲の構造とか書法を、いたって素直に扱っている。 場面によっては、パート間のバランスに工夫を感じるけれど、特異なことはやっていない。 それと対照的に、音響へのこだわりを強烈に感じさせる。 良くも悪くもカラヤンの美学が徹底され、磨き上げられている。 その結果生み出される、終始たっぷりとしている響きや、粘りのあるリズムと歌い回しが、濃厚な味わいをもたらしており、いささかしつこくはある。

バーンスタインによるサン=サーンス交響曲第3番『オルガン付』

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レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏。1976年のセッション録音。 ハーンスタインは、1958~1969年の間、同オーケストラの音楽監督を務めた。 これは退任後の、バーンスタインが欧州での活動を活発化させていた頃の録音。 ちなみに、この時期の音楽監督はブーレーズ。 :::::::::: 体感上のテンポも、演奏時間からしても、ゆっくりとした足取り。 ハーンスタインは、すべてのパートを個別に際立たせて、それぞれに生々しく粘っこい表現を要求している。 パート間の主従関係を明確にして、場面ごとに明確なトーンをもたらす指揮に比べると、作品書法の多様性が、密度高く描き出される。 特に、ここでは入念な手つきなので、濃密に感じられる。ゆっくりした足取りは、彼の流儀を徹底した結果の、自然の成り行きだろう。 いずれにしても、この交響曲の表現としては、異色な味わい。 :::::::::: バーンスタインのやり方のデメリットは鈍色のサウンド。個々のパートの響きが常にむき出しで、オーケストラ全体としての色調の変化は乏しい。 演奏技術の拙さによるものではなく(むしろ、この演奏の技術レベルは高い)、バーンスタインの演奏スタイルの副作用だろう。  いずれにしろ、音楽の展開を、響きのトーンの遷移として描き分けられないのは、辛いところ。 たとえば、静謐感が漂うはず(?)の第一楽章後半でも、濁りと息苦しさが 終始付きまとっている。 第二楽章の前半から後半への移行部でも、光明が差し込んでくるような気分を味わえない。

オーマンディによるサン=サーンス交響曲第3番『オルガン付』(1962)

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ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団。1962年のセッション録音。 このコンビで、同曲を3回セッション録音しており、この音源はその最初のもの。 1960年前後のオーマンディの音源は、ドライで高音キツメで、空間の広がりを感じにくいものが多い。この音源はその典型。 細かいところはよく聴こえるけれど、自然な音響とは言いがたい。 :::::::::: この交響曲のレコーディングの中でも、たぶん、かなり個性的な演奏。 まず、オーケストラの編成が小さいのか、この曲らしい壮大な音響は聴かれない。 ありがちな、広々として空間に、量感たっぷりオーケストラを響かせるアプローチとは真逆で、個々のパートの線が重視されている。 内声部がとても雄弁。 木管は、弦と対等とまでは言えないけれど、存在感は大きい。 ヴァイオリンは対向配置になっており、左右の掛け合いを通して、表情を作り出している。 金管パートも、派手な振る舞いはなく、分をわきまえている。 演奏の精度は高いものの、中低音をふくよかに響かせて、神経質な印象を与えない。ただ、全般的に明るくて乾いた響きに統一されており、色彩感めいたものは乏しい。オーケストラの持ち味なのか、録音の特性なのか・・・ :::::::::: こじんまりとしているけれど、線の細い弱々しいアンサンブルではない。リズムやフレージングには、キレとか張りがあってエネルギッシュ。 盛り上がる場面では、音塊としての圧力はないけれど、畳みかける迫力はある。 :::::::::: 指揮者とオーケストラは、やりたいこと、やるべきことをやり上げている。ただ、この曲の一般的なイメージからは距離があるかもしれない。 この指揮者の音楽性は興味深いけれど、聴き手の側では好みが分かれそう。

バレンボイムによるサン=サーンス交響曲第3番『オルガン付』

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ダニエル・バレンボイム指揮シカゴ交響楽団。1975年のセッション録音。 ちなみに、バレンボイムは、1991~2006年にかけて、シカゴ交響楽団の音楽監督を務めた。 この音源は、それよりかなり前の、バレンポイム33歳のときの録音。 オーケストラとオルガンが、別の機会に、別の場所で録音されて、合成されている。 スピーカー越しに聴くと、合成のキズ痕は意識されないが、遠近に少し違和感を感じる。一方、ヘッドホンで聴くと、部分的に、音場の不自然さを意識させられる。 :::::::::: この音源の主役は、シカゴ交響楽団と、録音スタッフだろう。 軽い音の出し方、明るく色彩的な響き、畳みかけるテンポ感、切れ味抜群の精緻かつ機能的なアンサンブル。音楽監督ショルティ、首席客演指揮者ジュリーニという時代の、シカゴ交響楽団の圧倒的な性能を実感できる。 :::::::::: 一方、バレンボイムの存在感はそんなに大きくは感じられない。 軽い音出しやすっきりと明るい響き、流れるようなスムーズな進行は、バレンボイムの意志だと思われるけど、それ以上の踏み込みは感じ取れない。 大枠の方針を決めたら、後はオーケストラを統率し、制御することに専心している感じ。 そして、高いレベルでやり遂げているけれど、指揮者本人の曲への思い入れみたいなものは感じられない。 しかし、後年のバレンボイムの芸風にシンパシーがないので、残念なような、残念ではないような・・・ いずれにしても、もっぱら音響美・機能美を楽しむ演奏で、この交響曲の描き方としては"あり"だろう。 :::::::::: 第二楽章後半のような多様で目まぐるしく変化する音楽では、あっさり風味。曲自体の面白さより、オーケストラの性能の高さが先に立つ印象。 一方、第一楽章後半の、いい意味で混じりけの無い、澄み渡るような表現・響きは好ましい。  オーケストラの響きは、フォーカスがシャープな点で、本場フランス風とは言いにくいものの、明るく軽快なところは、曲想に合っていて好ましい。

マルティノンによるサン=サーンス交響曲第3番『オルガン付』(1975)

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ジャン・マルティノン指揮、フランス国立管弦楽団。1975年のセッション録音。 全集から。 マルティノンは、1970年にも同じオーケストラ(ただし名称はフランス国立放送管弦楽団)と正規録音している。ただし、オルガン奏者は異なる。 録音時期が5年しか空いていないので、どうしても比較してしまう。 同じ指揮者とオーケストラと知って聴けば、共通点は多い。でも、相違点もあるから、別のフランス人指揮者と言われたら、真に受けるかもしれない。そのくらいは違っている。 と言っても、大きい違いではないから、マルティノンの作品の捉え方が変わったというより、録音に臨む姿勢とか心境の差異という印象。 :::::::::: 1970年録音のERATO盤が自然体風だったのに対して、こちらの音源では、けっこう表現を作り込んでいる。 造形は堅牢で平明。堂々として厚みがある。クリアな響きを配慮しつつ、線がクッキリとした、張りのある音の出し方。 場面ごとの表情の付け方は、その推移を聴き手に意識させるように、メリハリが強い。 と言っても、楽曲を自分の色に染めるというより、己の表現力をフルに発揮して、作曲者の意図を表出し尽くそう、という感じ。奇抜なところはない。 いずれにしても、本場の指揮者とオーケストラに期待されるような、 特別な味わいは乏しい。かろうじて、明るめの開放的なサウンドくらいか。 あくまでも、交響曲としての構成とか書法を歪みなく明解に描き出すというのが、マルティノンの立ち位置のようだ。 :::::::::: マルティノンという指揮者の表現力を堪能する、という意味では、1970年のERATO盤より、 こちらの録音だろう。こだわりや工夫がすみずみまで行き渡っている。 そして、風格を感じさせるのもこちらの方。 ただし、ERATO盤のストレートさを、より好ましく感じるとしても、不思議ではない。

フレモーによるサン=サーンス交響曲第3番『オルガン付』

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ルイ・フレモー指揮、バーミンガム市交響楽団。1972年のセッション録音。 フレモー(1921~2017年)はフランスの指揮者。1969年から1978年まで、バーミンガム市交響楽団の音楽監督を務めた。 :::::::::: スケールの大きな枠組みに、広々とした音響空間。その中で、繊細な表現が軽やかに繰り広げられる。 各パートの発音は軽くて線が細い。それらが、そよぐようにして、繊細感のあるアンサンブルを繰り広げる。 ただし、逸ることなく、気分や雰囲気に流れることもなく、確実な足取りなので、演奏全体から受ける印象に弱弱しさはない。 盛り上がる場面での手腕は聞き物で、そんなに大きな音を出していないけれど、歯切れよくボルテージを上げて、壮快に盛り上げる。 フレモーの周到な設計と、オーケストラを統率する力に、感心させられる。 :::::::::: オーケストラの演奏の質も高い。響き自体には湿り気があって、この曲にふさわしい華やかさはない。  しかし、フレモーの質の高い要求にしっかり応えている。 このオーケストラは、サイモン・ラトルの時代に名声を高めたけれど、フレモーのときから、レベルの高いアンサンブルをやっていたようだ。 :::::::::: 演奏のクォリティは秀でているけれど、この交響曲の表現としては、全体的に渋め。 サウンドのくすんだ質感の影響は大きいかも。 また、作品書法を明晰に聴かせることに意識を注いでいる反面、場面ごとの空気感とか気分の切りかえみたいなものは、弱まっているような。 それと、息遣いが生硬く感じられる箇所がいくつかあった。

マルティノンによるサン=サーンス交響曲第3番『オルガン付』(1970)

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ジャン・マルティノン指揮、フランス国立放送管弦楽団。 1970年のセッション録音。 マルティノンは、1975年に、交響曲全集の一環で、同じオーケストラと再録音している(オルガン奏者は変更)。 :::::::::: 交響曲らしくカッチリ構築しつつ、粗くならない程度にオーケストラをドライブして、盛り上げている。 アプローチとしては正攻法で、特に何かを強調することはないけれど、個々の表情はほどほどに雄弁。特筆すべき特徴は見当たらないけれど、楽曲のポテンシャルはしっかりと引き出して、退屈させない。 堂々としていながら、推進力や盛り上がりも必要十分。 等身大と感じられる、バランスの良い作品像。 :::::::::: 鮮明さを欠く録音は、おそらくこの音源最大のウィークポイント。ただし、音の抜けはそこそこある。 靄ついているけれど、柔らかさと開放感のある響きは、曲調ともオーケストラの持ち味とも合っているかも。 アンサンブルは、目鼻立ちはハッキリしているけれど、肌理がそろっているというほどではない、といったところ。気力は充実しているので、いい意味で生っぽく聴こえる。 レコーディングだからと表現を作り込むのではなく、自然体で演奏しているような雰囲気。 :::::::::: 演奏の品質を項目別に採点するとしたら、抜きんでたところは見当たらない。 だけど、楽曲の持ち味を五体満足に堪能したい、という目的なら、 けっこう上位に来そうな音源。