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ヤンソンスによるシューベルト交響曲第8(9)番「グレート」(2018年ライブ)

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マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団。 2018年2月1〜2日のライブ録音。 ヤンソンスは、1943年にラトビアで生まれ2019年に亡くなった指揮者。 2003年から亡くなるまで、このオーケストラの首席指揮者の地位にあった。 バイエルン放送交響楽団も、またヤンソンスが2004〜2015年にかけて常任指揮者を務めたロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団も、彼の在任中に自主レーベルを立ち上げた。 たまたまなのか、ヤンソンスが推進役だったのか知らないが、この音源はそんな中の一枚。   *-*-*-*-*-*-*-*-*-* ヤンソンスは、その特徴を言葉にしにくい指揮者。 わたしが知る範囲のヤンソンスは、自分の個性をひけらかさず、もっばら楽曲とオーケストラの持ち味を引き出すことで耳を楽しませる指揮者。 個性が薄いということではないけれど、譲れない確たる美意識があって、共演者をその世界に引き込んでしまうというタイプではない。 こういうアプローチで、世界のトップに居続けられたというのは、基本的な能力がすこぶる高いのだろう。   *-*-*-*-*-*-*-*-*-*    ヤンソンスの平明な造形感が、楽曲の古典的に側面とマッチしていることもあって、模範的かつ爽快な仕上がりになっている。 足取りは軽快だけど、恰幅の良いサウンドバランスのせいで、腰の軽さは感じられない。 オーケストラの機能性と明るくて柔らかいサウンドが十分に引き出されて、本場っぽいテイストも随分と醸し出されている。厚みを感じさせるけれど、重厚さより豊かさが勝っている。 本場風を気取っている感じもオーケストラに譲る感じもなく、ともに演奏することを満喫しているような自然体。 亡くなる前年とは思えないくらい推進力とか力感があるけれど、むちろん強引さはない。    *-*-*-*-*-*-*-*-*-*   完成度の高い魅力的な演奏だけど、好みを言わせてもらえば、この曲ではもっと締まりのある響きで、個々のパートを鮮度高く聴かせてほしい。 とくに木管パートの音色の色彩感をもっと楽しませてほしかった。そのあたりもこの曲の聴きどころと思っているので。

サロネンによるベートーヴェン交響曲第3番『英雄』(2018年ライブ)

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好感度 ■■■■■ エサ=ペッカ・サロネン指揮シンフォニア・グランジュ・オ・ラック。 2018年ライブ録音。 サロネン1958年生まれの、フィンランドの作曲家・指揮者。 録音当時はフィルハーモニア管弦楽団の首席指揮者。 ちなみに、フィルハーモニア管弦楽団との契約は2021年までで、その後はサンフランシスコ交響楽団の音楽監督が予定されているらしい。 一方のシンフォニア・グランジュ・オ・ラックは、毎夏フランスで開催される音楽祭「ランコントル・ミュジカル・デヴィアン」専用オーケストラのようだ。 この音源は、それの結成記念コンサートとのこと。 -+-+-+-+-+-+-+-+-+-+- 響きの良いホールの中での、編成の小さなオーケストラによる演奏。そのことが、本質的な影響を及ぼしているようだ。 サロネンらしい軽快で颯爽とした演奏スタイルだけど、ロス・フィルやフィルハーモニア管との録音とは、印象が異なる。 ロス・フィルやフィルハーモニア管との録音を聞くと、サロネンはオーケストラから、端整で機能的なアンサンブルを引き出していたようだが、推察されるだけで、実感として感じ取りにくかった。 というのは、この指揮者は、機能美と同じくらい、彼は力感とかボリューム感も重視するので、しばしばディテールが糊塗されてしまうから。 個人的に、精細さと力感とのバランスの難しさを、この指揮者の演奏スタイルから感じていた。 それが、演奏空間とオーケストラが小さくなったことで、この音源では解消されている。 -+-+-+-+-+-+-+-+-+-+- オーケストラが小さくなったために、音響の圧力が弱くなる。それを埋めるように、表現の振幅を強めている。 第一楽章では、もともとスポーティなくらい颯爽とした歩調だったが、展開部の頂点に差し掛かると、さらにテンポを追い込む。 第二楽章は緩急の幅が大きく、場面に応じて個々のパートを浮き上がらせる。 ベースがスッキリ爽やか路線なので、濃厚風味にはならないが、かなり雄弁にやっている。 第四楽章でも、変奏ごとのタッチの違いを明確に描き分ける。 -+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-  この指揮者の演奏は、そこそこ好んでいたけれど、なんとなく「指揮界のイケメン枠...

ネルソンスによるベートーヴェン交響曲第7番

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アンドリス・ネルソンス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。 2017年ライブ録音。 2020年はベートーヴェン生誕250年に当たるそうだ。それに向けて制作された全集からの一枚。 ネルソンスは、1978年ラトビア出身の指揮者。ということは、この録音の頃は30代終盤。 この若さで、現在ボストン交響楽団の音楽監督とライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長(カペルマイスター)を務めている。 しかも、 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とも良好な関係を築いているようだ。     これは期待を上回る好演。 ネルソンスという指揮者の“らしさ”はあって、本場の味わいそのまんまではないけれど、正攻法のアプローチで、過不足なく楽曲の持ち味を引き出している。  これまで、彼のショスタコーヴィチとか(ボストン交響楽団)、ブルックナーとか(ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団)を聴いたときは、上手さに感銘したけれど、心を動かされることはなかった。  まっとうで丁寧な音楽をやる人だけど、サウンドとかアンサンブルに対する意識の強さが剥き出しで、生気とか色彩が乏しい印象だった。 でも、バイロイトでのライブ録音(ローエングリン)は、もっと好ましかった。ベースの部分はネルソンス流だけど、神経質にならないで、音楽の自然な勢いを引き出していた。 歴史ある音楽祭という状況が何か影響していたかもしれない。   このベートーヴェンは、端整な弦の動きとかほのかに清涼感を帯びたサウンドあたりにネルソンスらしさを感じさせるけれど、自然な勢いや流れとか、伝統的な楽曲イメージなとじも十分に尊重されている。  たとえば、第二楽章あたりでは、コクとか粘りより、涼やかな繊細感が勝っていて、ヨーロッパの寒い国の香りがする。 しかし、後半2楽章になると、オーケストラのコクと厚みを活かしつつ、沸き立つような爽快な演奏に仕上がっている。キレの良さはネルソンスの持ち味だろうが、それも含めてとにかく良いバランス。 そして、精度と勢いや力感とを両立させるネルソンス手綱捌きは素晴らしい。 指揮者としてのキャラの表出は控えめだけど、控えめながら彼らしさは隅々にまで浸透していて、アンサンブルを掌握している。少なくとも、オーケスト...

低スペックの旧式ノートPCを、MX Linuxで高音質化④

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JACKをインストールしたものの、ちゃんと動かない。 地道に調べたら解決できたかもだが、パソコンのスペックに弱みを感じているせいか、根気が湧かず、早々にJACKを放棄。 かわりに、 PulseAudioのリアルタイム化 に方向転換した。 - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - やったことは、以下の3つ。 やり方をネットで調べたが、それぞれ共通する部分はあるものの、少しずつ違っていて、自信はない。 (1) /etc/pulse/daemon.conf 以下の項目の、行頭の;を外して、以下のように値を変更する(変更しないのもある)。 high-priority = yes nice-level = ○ realtime-scheduling = yes realtime-priority = ○ rlimit-nice = 39 rlimit-rtprio = 99 default-fragments= ○ default-fragment-size-msec= ○ ○の部分に数字が入る。 nice-levelの初期値は-11。 ネットで調べると、小さい数になるほど効きが強くなって、-20〜19の範囲で指定できるようだが、-19〜20としているものもある。 realtime-priorityの初期値は5。 0〜99の範囲で設定できるようだ。数値が大きいほど、優先度は上がるらしい。 ちなみに、手元のASUSのノーパソでは、nice-levelを小さくしすぎると高音がきつくなるし、rlimit-rtprioを大きくしすぎると、厚みは増すが響きが濁る。 詰めの段階では、音を確認しながら1単位で調整すると、高音の張りとか響きの厚みをある程度追い込める。 default-fragments=とdefault-fragment-size-msec=の数値は、 archlinux PulseAudio/トラブルシューティング によると、ちゃんとした計算方法があるようだ。数値の設定に迷うなら、とりあえずここから始めると良いかも。 わたしの環境では、できるだけ(ノイズ等が出ない限度で)小さくした方がクリアな印象だけど、そういうことにこだわるより、音質を...

低スペックの旧式ノートPCを、MX Linuxで高音質化①

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外で音楽を聴くときは、こんなものを使っています。ipod 5.5世代というやつです。 2006年発売なので、古いです。ハイレゾとか無理です。 しかし、手持ちのイヤホンもハイレゾに対応してません。わたしの耳もハイレゾに対応していないので(年齢なりに老化)、気になりません。 今は、ロスレス・圧縮なし、つまりwavかaiffの音源のみ聴いています。その限りでは、悪くない音だと思います。 響きの肌理みたいなものまでは再現できませんが、癖は少ないです。というか、癖が無いことを重んじているような味付けです。 ロスレス圧縮(FLAC)でもいい音で鳴るとうれしいですが、この種の機器にそこまでは期待していないので、使い続けています。 ところで、これとは別に、携帯できるミニノートパソコンを、Linuxを使ってデジタルオーディオプレーヤー化できないか?と、思いつきました。 :::::::::: まずはミニノートパソコンを入手しました。 といっても、旧式の安価なミニノートです。なにしろ、企画倒れになる公算が大きいので、出費は最小限に。 なぜ企画倒れの公算が大きいかと言うと、ミニノートパソコンでも、1kg前後の重量があります。サイズもそれなりで、ビジネスバックには入るけど、当然胸ポケットは無理です。 多少良い音が出るようになっても、この実用面でのハンディを克服できる可能性は・・・かなり低いです。 というわけで、ヤフオクで旧型のミニノートを落札。ASUSのX102BAというのを手に入れました。 2014年頃に発売のモデルです。 これを狙ったわけではなく、出品されていた品物の中で、条件に合いそうなものを選んだら、これになりました。 CPUがAMDのA4-1200で、メモリは2GB固定(素人は交換できない)。発売当時ですら遅いと評判だったようですが、音楽再生に特化させるので、何とかなるのではないかと。 もっとも、Linuxとの相性自体は未知数です。あんまり売れなかったのか、ネット上の使いこなし情報は少ないです。 :::::::::: ところが、実際に入手してみると、想像以上にやっかい。スペックだけでなく、相性問題がかなりシビア。 Linuxを受け付けないわけではないものの...

MX Linuxを旧型ThinkPadに導入

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現在、持ち運び用のノートパソコンは、ThinkPad T410sという、古いモデルを使っています。 2010年発売のモデルです。CPUはi5-540Mです。 これをあえて使っている理由は、いくつかありますが、14.1 インチで解像度1440x900のディプレイです。 ThinkPadのT4○○シリーズは、この次のT420から、14.0インチで解像度最大1600x900に改定されてしまいました。 ディスプレイのサイズが微妙に小さくなって。横長に。 表示性能は上がっているのでしょうけれど、作業効率とか眼の負担を考えると、14.1 インチで1440x900の方が、しっくりきます。 個人的には、もっと正方形に近づいてほしいですが、無いものねだりです。 ただ、旧式であることとは別に、T410sにははっきりとした欠点が複数あるので、人様にはお勧めできません。 :::::::::: このT410sをLinuxで動かしたかったのですが、予想外に難航しました。このたびようやくMX Linuxに落ち着きそうだという、わりとどうでもよい話題です。 最後まで引っかかったのは、次の3点でした。 xgammmaコマンドが効く。 ハードウェアの明るさ調整が効く。 ストレスのない処理速度。 初めに、Linux Mint Cinnamon19.2を試しました。Cinnamonは重いと聞いていましたが、SSDなので何とかなるかと。 標準でインストールしたところ、xgammaコマンドもハードウェアの明るさ調整も効きません。 ガンマと明るさを調節できるアプレットがあることを知り、これをインストールしました。これは動作しましたが効きが悪い。望むような表示になりません。 はたと気がついて、nVidiaのドライバーをインストール。T410sには古いGPUが組み込まれているので。 nVidiaドライバはインストールできて、自動的にnouveauを無効化してくれました。 それで、ハードウェアの明るさ調整は使用可能に。 ただ、xgammaコマンドの方は、相変わらず効きません。 それと、Linux Mint Cinnamonには、もう一つ困ったことが。 全体的に動作速度はスムーズでしたが、ブラウザでの文字入力のときに、...

ズヴェーデンによるワーグナー楽劇『ワルキューレ』

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ヤープ・ファン・ズヴェーデン指揮香港フィルハーモニー管弦楽団ほか。 2016年のライブ録音(演奏会形式)。 2015〜2018年にかけて毎年1作ずつ録音された、ニーベルングの指環全曲録音の第2弾。 ズヴェーデンは、2012年よりこのオーケストラの音楽監督を務めている。 :::::::::: ゆったりとした量感をベースにしつつ、端整でスッキリとしたアンサンブルが繰り広げられている。 ゆとりのあるテンポ設定で、旋律線をキレイに丁寧に浮かび上がらせる。音楽がよく整理されていてわかりやすい。 スケール感はあるが、馬力とかダイナミズムは乏しいし、彫りが浅くて陰影は薄い。 そのために、管弦楽パートに関しては、情感もドラマ性も極控えめ。当たりの柔らかいおとぎ話のようなタッチ。 ただし、音楽の息遣いはしっかりと活かされていて、集中と解放とか、沈潜と高揚とかの、呼吸の切り替えは的確。 よって、柔和なタッチとか明るいサウンドとかに抵抗を感じなければ、スムーズに同調できる。 :::::::::: わたしは詳しくないけれど、歌手たちの顔ぶれは豪華らしい。 管弦楽は、歌手たちを紳士的にエスコートしている。丁寧かつ安定しており、かつ自然な呼吸感なので、歌いやすそう。 高まる場面でも、歌唱と管弦楽とが対峙することない。終始協調的。 そういうこともあってか、歌手たちはのびのびと歌っている印象で、不満はほとんど感じなかった。 :::::::::: ズヴェーデンの他の音源を聴いても、量感たっぷりのサウンドと端整かつ細やかなアンサンブルの取り合わせを聴くことができる。 ただし、欧米のオーケストラとの音源の方が、より厚みを感じさせる。 それらに比べると、このワルキューレの管弦楽はカロリー控えめ。そこがこのオーケストラの、今のところの限界なのかもしれない。 仮にそうだとしても、それが弱点と聴こえないような演奏スタイルが選択されている。

ズヴェーデンによるブルックナー交響曲第6番

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好感度 ■■■ ■■ ヤープ・ファン・ズヴェーデン指揮、オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団。 2012年のセッション録音。 この指揮者は、2006~2013年にかけて、ブルックナーの交響曲全集を録音している。 ズヴェーデンは、1960年生まれのオランダ出身の指揮者。 2005~2012年の間、オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めた。 :::::::::: 堂々とした足取り。 厚みのある低音をベースとしつつ、流暢で機能的なアンサンブルが繰り広げられる。 全体を包み込むような柔らかい低音だけ聴くと、素朴なタッチのブルックナーかと思わされるが、そんなことはない。 洗練された機能美を聴かせるアンサンブル。 特定のパートが露出することなく、マスゲーム的な整然とした秩序がある。 ただし、静的な表現ではなく、楽章のテイストの違いをハッキリと意識させる。 たとえば、第二楽章でじっくりと歌わせた後の、スリリングな第三楽章とか。 スリリングと言っても、安定した歩調を保ちつつ、キレのある表現で盛り上げる。 厚めのサウンドなので、見通しの良さを維持するために、テンポを煽る感じはない。 :::::::::: 個々のパートの表情とか、複数パートの掛け合いとかにハッとさせられることは少ない。 スムーズな機能美の副作用だろうか。 ただし、この交響曲の荒々しさや奔放さに抵抗のある人には、この整然としたタッチは好ましいかもしれない。 いずれにしても、指揮者はオーケストラを掌握して、望むイメージを高いレベルで具現化できている。 そういう意味での聴き応えはある。

サヴァリッシュによるワーグナー歌劇『ローエングリン』

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好感度 ■■■■■ ウォルフガング・サヴァリッシュ指揮、バイロイト祝祭管弦楽団その他の演奏。 1962年のライブ録音。 サヴァリッシュ(1923年生 - 2013年没)38歳頃の録音。 彼は1957年〜1962年にかけてバイロイト音楽祭に出演。『オランダ人』『タンホイザー』『ローエングリン』『トリスタンとイゾルデ』を指揮した。 :::::::::: サヴァリッシュは好んで聴く指揮者ではないけれど、これは数少ない例外。 この指揮者らしい、楽曲の構造や書法を明晰に聴かせるアプローチだけど、後年のスタイルに比べると、もっと飾り気がない。素材の質感をそのままにしている。耳あたりを良くするための加工を施していない。 まだクナッパーツブッシュが出演していた時代だから、この方がサヴァリッシュのキャラはより鮮烈に映ったかもしれない。「ありのままの音楽をやっています」感が強い。 この飾り気のなさが、この音源ではとりわけ新鮮に響く。 それに加えて、多彩と勢いの絶妙のバランス。 颯爽として推進力が優勢だけど、各場面の情景はきっちり描き出されている。あっさりだけど、味付けはしっかりしている。 もっとも、耽美を求めるなら他を当たったほうが良いだろう。 サヴァリッシュは、そういう色の付いた作品像とは一線を引いて、指揮をしている。 :::::::::: サヴァリッシュは、自分のスタイルの核心部分をオーケストラに徹底するけれど、細かく統制すのではなく、程よく解放し、ときに煽るような統率ぶり。 伝統ある音楽祭の中の若手指揮者という状況が、そういうやり方を彼に強いたのかもしれないが、この音源では、すべてが良い方向に向いている印象。 “分析的”なタッチをベースにしつつ、そこに熱気とか勢いとかが違和感なく相乗している。 明解さと熱気が噛み合って、何度聴いても爽快に仕上がっている。

ティーレマンによるブラームス交響曲第3番

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好感度 ■■ ■ ■ ■ クリスティアン・ティーレマン指揮、シュターツカペレ・ドレスデンの演奏。 2012年10月のライブ録音。 なお、2012〜2013年にかけて、交響曲全集を完成させている。 ティーレマンは2012年よりこのオーケストラの首席指揮者を務めている。 :::::::::: 名門シュターツカペレ・ドレスデンの演奏であることを考慮しても、艷やかに磨き上げられたサウンドは魅力的。毎度のことながら、サウンドへの鋭敏さと統率力は凄いものだ。 ティーレマンがサウンドの美しさを特に重視しているのはあきらかで、盛り上がる場面であっても、その純度は保たれている。妥協がない。 だからと言って、線の細い弱々しい表現ということではない。 オーケストラを煽って高ぶらせるようなマネはしないけれど、音量とか量感をコントロールして、大きさや力強さの演出も手抜かりはない。 圧倒的な高揚を期待すると、スカされることになるだろうが、ティーレマンとしては、やることをやりきっている。 :::::::::: テンポの楽想に合わせて自在に変化する。 第一楽章の冒頭なら、一節一節のニュアンスの変化にもれなく反応している。 ただ、両端楽章は、入念な演奏として楽しめる範囲にとどまっている。 それに対して、中間の2つの楽章では、彼の癖が立ち込める。ときには、途切れる寸前くらいまでテンポを落として、繊細の限りを尽くす。 ここまでやられると、曲想の変化を捉えているというより、それを逸脱して己の趣味に走っている感が濃厚。好き嫌いは分かれそう。 ティーレマンその人の芸を堪能するために聴くには向いていかもだが、楽曲を味わうつもりで聴くと、かえって冷めてしまうかも? もっとも、これだけの磨かれた響きをオーケストラから引き出せる人は、同じ時代にそう多くはいない。

ubuntuを高音質化 ~ あれから4ヵ月

余ったThinkPad T530i(レノボのノートパソコン)に、KLUEを入れて音楽再生専用パソコン(ただし、ウェブ閲覧くらいはやる)として利用していた。 初めは満足して使っていたが、だんだん欲が出てきて、今年の4月からubuntuをベースに、高音質化の取り組みをやっていた。 始めてから2ヵ月くらいは熱心にあれこれ手を入れていたが、その後はもっぱら聴いてばかりになっている。 少し飽きたのもあるが、(自分の好み基準で)KLUEより良い音になったので、満足したのもある。 さっきKLUEの「最高音質」と聴き比べたけど、自家製のほうがいわゆるベールがはがれたようなサウンド。 その分響きが豊かになり、空間が広がったような気がする。 ヘッドホンでも、ニアフィールドリスニングでも、同じような印象。 実は、自分の好みとしては、もう少しだけ落ち着いた色調にしたい。 微調整なので、Pulseaudioのdaemon.confあたりで対処できないかと思っている。 ただ、まだCPUとかメモリとかI/Oとかの設定に手を入れているところなので、そこまでにはもう少し段階を踏む必要がありそう。 自分ちのサウンドがKLUEより上だなどと、声高にアピールするつもりはない。自分ちのサウンドを、第三者に聴いてもらう手段はないわけだし。 ただ、既製品に物足りなさを感じている人で、多少の好奇心と心得があるなら、お勧めしたいとは思う。 ことに、最近のKLUEは音質向上と引き換えに、さらに使いにくくなっているようなので。 【自家製は無理がきく】 ちょっと前に、勉強させてもらおうと思って、KLUEのスクリプトの中身を読んだ。残念なことに、理解できたのは体感で2割くらいだった。 わたしのスキルはその程度。 ただ、こちらは、不特定多数向けのOSを開発しているわけではない。 やっていることは、自分のためだけに、ubuntuのパラメータを設定変更しているだけ。 そのために不便になっても、自分が納得できれば問題ない。 また、他人のことはおかまいなしの、自分の環境に特化した設定ができる。 ubuntuやシステムについてのスキルが低くても、ときどき作業するだけでも、それなりのサウンドを手に入れることは可能だった。 【PCオーディオでも、音の基準は人それぞれ】 ...

アンドリス・ネルソンスによるブルックナー交響曲第4番『ロマンティック』

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好感度 ■ ■ ■■■ アンドリス・ネルソンス指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。 2017年のライブ録音。 ワーグナーの『ローエングリン』第1幕への前奏曲も併録。 アンドリス・ネルソンスは、1978年ラトビア出身の指揮者。 この録音時点で30代終盤。 2017年からライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長(カペルマイスター)に就任している。 :::::::::: ゆとりのあるテンポ。特に叙情的な場面ではテンポを緩めて入念に磨く。 サウンドはコンサートホールに広々と展開されるけれど、厚みや量感は控えめ。むしろ繊細感が際立つ。ときに神経質なくらい。 盛り上がる場面では、それなりに迫力を増すけれど、響きの質感を優先した抑制的な表現が目立つ。 ややくすんだ色調の響きだけど、響が均質で鮮明。この長い伝統誇るオーケストラから連想それるローカルな色調とは違う。 ネルソンスは、自分の響きを持っている指揮者で、このオーケストラからも、彼らしい質感のサウンドを引き出している。 抜きん出た耳の良さと統率力を感じさせる。 逆に言うと、若き才能と名門オーケストラとの出会いがもたらす新鮮な驚き、みたいな要素はない。 ネルソンスの流儀が支配的。 :::::::::: 落ち着いたペースとか、広がりを感じさせるサウンドとかは、ブルックナーの作風に合っているかもしれない。 ただし、響の厚みの乏しさとか、際立つ繊細感をどう聴くかで、評価が分かれそう。 それと、全曲を、緊張感とか入念さに由来する一定のトーンが貫いていて、生き生きとした多彩さみたいなものは乏しい。

グリュミオーによるブルッフのヴァイオリン協奏曲(1962年)

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好感度 ■ ■■■■ アルテュール・グリュミオーのヴァイオリン独奏、ベルナルド・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団。 1962年のセッション録音。 グリュミオーは1921年生1986年没のベルギーのヴァイオリニスト。 この録音の頃は40歳過ぎ。 この曲の正規録音は3つあるようだ。 これ以外は1956年録音(レスコヴィチ指揮ウィーン交響楽団)と1973年録音(ワルベルク指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団)。 一方のハイティンクは、1961年に同オーケストラの首席指揮者に就任したばかり(1964年まではヨッフムが補佐した)。 :::::::::: 第一楽章は、あちこちで見栄を切らなければならないけれど、グリュミオーは線の細い美音を保ったまま、もっぱら引き締まった息遣いで、緊張感を演出する。 気合は感じられるけれど、なよっとした質感が残っていて、迫ってくるほどではない。 それが印象を中途半端にしているかも。 この人なら、こういうやり方になるかと納得だけど、今ひとつ様になっていない。 これがフラームスの協奏曲なら、叙情サイドに振っても音楽として成立するだけの奥向きが、楽曲に備わっている。 しかし、ブルッフの協奏曲はもっと軽薄な曲なので、ストレートに力を込めてくれたほうが、わかりやすい。 伴奏のハイティンクは、ソロがメインの場面では伴奏に徹するけれど、オケが前に出る場面では、量感があって力強い。 立派だし曲の劇的なイメージには合っているけれど、ソリストの方向性とはズレがある。 グリュミオーに合わせるなら、70年代初頭のシェリングとの協演盤のように、柔らかくジェントルにやってほしかった。 第二楽章は、グリュミオーの良さが感じられる。 肩肘張ってダイナミックに演奏されるとスカスカに陥りやすい楽曲を、等身大で伸びやかに歌わせている。 :::::::::: グリュミオーは、持ち味がはっきりしている奏者だけど、持ち味にピッタリとは思えない楽曲でも、それなりに聴かせる懐の広さを持っていると思う。 ただ、このブルッフは、そうでもなかった。

フィリップ・ジョルダンによるベートーヴェン交響曲第5番(2017年)

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フィリップ・ジョルダン指揮ウィーン交響楽団。 2017年のライブ録音。 フィリップ・ジョルダンは1974年生まれのスイス出身の指揮者。父は指揮者のアルミン・ジョルダン(1932 - 2006)。  2014〜2020年にウィーン交響楽団の首席指揮者を務めた。 ちなみに、2020年からはウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任。 :::::::::: 軽快で、颯爽として、色彩豊かな演奏。若々しくてかっこいい。 推進力に富むけれど、流す感じは一切なく、個々のパートの動きや色合いが鮮明に聴き取れる。 各パートは軽い音の出し方で、艷やかで耳あたりが良い。 軽量級サウンドにしまった造形の組み合わせだけど、キツイ響きは皆無。終始、華やかで潤いがある。 楽譜に記された音符を、もれなくスムーズに心地よく表現することに重きを置いている分、音楽の表情に誇張とか歪みはほとんどない。描き出される作品像はオーソドックス。 :::::::::: ドラマ性とか、雄弁さとか、語り口の妙みたいなものを期待すると、物足りないかもしれない。 たぶん、もともとジョルダンはそういうことを狙っていない。そういう方面での思い入れは伝わってこない。 でもそれはいい。 この曲は、演奏者が仕掛けなくても、楽譜を誠実に掘り起こせば、自ずから効果が発揮されるように作られている。 ジョルダンのような曲との距離感は“あり”だと思う。 ただ、その一方で、快適さや耳あたりの良く演奏することには、きわめて能動的。意を注いでいるし、成果も上がっている。 この演奏から伝わる彼の姿勢は、ちょっと軟派に感じられなくもない。

フィリップ・ジョルダンによるシューベルト交響曲第9番

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フィリップ・ジョルダン指揮ウィーン交響楽団。 2015年のセッション録音。 フィリップ・ジョルダンは1974年生まれのスイス出身の指揮者。父は指揮者のアルミン・ジョルダン(1932 - 2006)。 2014年からウィーン交響楽団の首席指揮者。 :::::::::: なんとも軽快で爽やか。 テンポ設定は標準〜やや速めくらい。快適な足取り。 スッキリとしたクリアな響きに、個々のパートの軽やかで瑞々しい表情。 各パートの線の動きが鮮明で、色彩豊か。 こんなにキレイな音を出すオーケストラだったろうか? 考えてみたら、聴いたことがある中でもっとも最近なのは、プレートル時代の録音。いつの間にか変貌していたのか、それともジョルダンの功績か? 全体の造形は整っているけれど、引き締めるような硬質さとか息苦しさは皆無。 正攻法で奇抜なことをやっていないけれど、フレッシュに聴こえる。 :::::::::: 心地よく、聴きやすい演奏だけど、気宇の壮大さみたいなものを期待すると、物足りないかもしれない。 この曲特有の執拗なリズムが軽く流れていくので、バイタリティみたいなものにはつながっていない。

ズヴェーデンによるベートーヴェン交響曲第5番(2015年ライブ)

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好感度 ■■■ ■■ ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック。 2015年ライブ録音。併録の第7交響曲は、この前年のライブ録音。  ヤープ・ヴァン・ズヴェーデンは、1960年生まれのオランダの指揮者。 2018年からニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督に就任した。 ちなみに、この音源にはベートーヴェン第5・7交響曲が収録されているが、彼は、同じ組み合わせで2007年にダラス交響楽団とライブ録音している。 また、2002〜2003年に、ハーグ・レジデンティ管弦楽団と交響曲全集を完成している。 :::::::::: 併録の第7交響曲と録音の音質傾向は似ているが、比較すると、こちらの方が低音がいくぶん締まっている。 その分、聴き応えは高まっている。 個々のパートは、軽くて敏捷。それぞれの連携が良く互いを引き立て合う。 場面場面の表情が決まっていて、それがしなやかに移り変わっていく。 暗から明へのドラマ性より、アンサンブルの洗練と精度、そこからくる爽快さ・小気味良さを前面に打ち出している。 厚みのある低音が、それらの土台となり、また柔らかく包み込む。 そのおかげで、音の出し方は軽いけれど、量感のあるサウンドに仕上がっている。 :::::::::: この低音のボリーム感が独特で、普通に考えると過剰気味。精密なアンサンブルをやりながら、包み込む量感のためにサウンドの色彩感は弱められ、表情の彫りは浅く聴こえる。 しかし、それを欠点としてではなく個性と感じさせる。 上で触れた録音もそうした印象に寄与している。 :::::::::: たとえば、第四楽章の輝かしい冒頭部分は、そこそこ厚く響くけれど、熱気や高揚感は皆無。 しかし、盛り上がらないかというと、そんなことはなく、軽快で切れのあるアンサンブルが、次々と表情を決め、目まぐるしく変転し、楽しませてくれる。

ズヴェーデンによるベートーヴェン交響曲第7番(2014年ライブ)

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好感度 ■■ ■■■ ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック。 2014年ライブ録音。 ヤープ・ヴァン・ズヴェーデンは、1960年生まれのオランダの指揮者。 2018年からニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督に就任した。 ちなみに、この音源にはベートーヴェン第5・7交響曲が収録されているが、彼は、同じ組み合わせで2007年にダラス交響楽団とライブ録音している。 また、2002〜2003年に、ハーグ・レジデンティ管弦楽団と交響曲全集を完成している。 今どき、10年弱の期間にこれだけ録音数があるということは、得意なレパートリーなのだろう。 :::::::::: ズヴェーデンの音源は、これまでほとんど聴いていない。交響曲で聴いたことがあるのは、ブルックナーの6番と8番と、ショスタコーヴィチの5番くらい。 ブルックナーではたっぷりとした響と弦楽器主体の表現が印象に残った。 このベートーヴェンの録音も近い印象。ブルックナーだからあんなふうにやっていたのではないようだ。 :::::::::: 誰がやっても響が厚くなるブルックナーと違って、ベートーヴェンだからこそ、低弦部の厚みが余計に際立つ。 厚いだけでなく、広がってオーケストラ全体を柔らかく包む。 それが他のパートの動きを塗り込めることはないけれど、やや靄がかかって、鮮度は落ちる。 聴き手の好き嫌いは分かれそうだが、これがズヴェーデンの好みの響きなのだろう。 ブルックナーのときと違って、ヴァイオリンがぶっちぎりに優位ということはない。どのパートも音の出し方は歯切れよく軽快。 厚い響にくるまれているせいで目立たないけれど、アンサンブルの精度はかなり高い。オーケストラの高性能ぶりがうかがえる。 ただうまいだけでなく、拍単位で表情が適確にコントロールされている。ズヴェーデンが、明確なサウンドイメージを持ち、かつ優れた統率者であることを納得させられる。 トータルで言うと、厚みのある土台の上で、軽快かつ歯切れのよいアンサンブルが展開されているイメージ。 厚めのサウンドゆえに、力強い場面ではそこそこドスが効いているけれど、マスの圧力で押し切ることはない。 :::::::::: 4つの楽章の中では、第三楽章がもっとも楽しめた...

ハイティンクによるブルックナー交響曲第6番(2003年ライブ)

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好感度 ■■ ■■■ ベルナルト・ハイティンク指揮シュターツカペレ・ドレスデン。 2003年11月3日のライブ音源。 ハイティンクは、2002〜2004年にかけて、このオーケストラの首席指揮者を務めた。その頃の録音。当時74歳。 他に、交響曲全集の一環として1970年にコンセルトヘボウ管弦楽団とのセッション録音、2017年にバイエルン放送交響楽団とのライブ録音がある。 録音時期の隔たりはあれど、個人的に好感度トップ3のオーケストラとこの交響曲を録音していることに感心したり。 :::::::::: この交響曲の演奏はけっこう難しいのではないかと思う。技術的ということではなく、魅力的な音楽として成立させることが。 独特のリズムを息づかせながら、ときに荒々しくときに叙情豊かな曲想を過不足なく描き出すのは、難しい気がする。 聴いていて、今ひとつ乗り切れなく感じることが少なくない。 :::::::::: この音源にも、そういうところが無きにしもあらず。 まだ枯れてはいないけれど、リズムの活力は緩めで、もっぱら柔らかく豊かに、そして広々と描き出している。 もたれないギリギリの範囲で、悠々とした足取り。オーケストラのしなやかなアンサンブルもあって、作品書法が香ばしく歌い上げられる。 荒々しくやりすぎて下品になるのは嫌だけど、この演奏は耳のあたりが柔らかすぎるかもしれない。 推進力とか歯切れとかがまるめられているため、この曲の持ち味のすべてをもれなく実感できるような仕上がりではない。 少々偏向しいるけれど、洗練と余裕を感じさせる巨匠の芸をご堪能あれ、みたいな感じ。 :::::::::: ハイティンクは、1970年代までは、ちょっと青臭いときがあるけれど、もっと素直にやっていた。 1980年代以降、巨匠的な風格を身に着け、たぶん声望は高まったけれど、クセの強い音楽をやるようになった。 彼のクセ=芸は柔和で耳あたりが良いけれど、偏向の度合いはけっこう大きい。

ubuntuを高音質化 ~ 迷走がデフォルト

ubuntuを高音質化は、現在もダラダラと続けている。 「こうすれば誰でも高音質が手に入る」みたいなシンプルな作業ではない。 BIOSやubuntuとかのたくさんの設定がバランスして、パソコンのサウンドが出来上がっている。設定をいじることは、そのバランスを崩すことで、吉と出るか凶と出るかは、やってみないとわからない。迷走がデフォルト。 たとえば、PulseAudioの設定ファイルの一つにdaemon.confがある。ここでは数十個のパラメータを指定できる。そのうちの一つに、log-levelというのがある。 名称のとおり、ログをどの程度詳細に書き出すかを指定できる。 log-levelは、初期値がnoticeになっていて、他にdebug, info, warning, errorを指定できる。 思いっきりサウンドに縁遠そうな項目だけど、指定を変更すると、サウンドはしっかり変化する。 PulseAudioやALSA関連にとどまらず、ubuntuの一般的なチューニング(高速化とか、省電力化とか、安定化とか)で引き合いに出される設定ファイルのいくつかにも手を出しているが、音を聴いてハッとすることが珍しくない。 なぜそうなるかはわからないが、確かに音が変わる、ということはよく起こる。 さらに、確かに音は変わったが、良くなったのか悪くなったのか一概に言えない、というのもしょっちゅう。 そうした細かな設定が積もり積もって、出力されるサウンドが出来上がっているわけで、素人に近いわたしが、2ヶ月程度の片手間作業で形を残せるような、簡単なことではないようだ。 高音質化のためにチューニングする行為自体を楽しめる人でないと、続けられないかもしれない。 1週間位前に、ようやくいい感じのサウンドになってきた。でも、まだ特有の響がまとわりついている。何とかこれを剥ぎ取れないものか・・・

ubuntuを高音質化

迷走しているが、DebianベースのMX Linuxをインストールしていたパソコンは、現在KLUE3.0とubuntu(Kubuntu)のデュアルブートになっている。 MX Linuxに大きな不満はなかったのだけど、再インストールしたい事情ができて、何となく上のようになった。 MX Linuxで試した高音質化の方策は、大半が流用できるので、そんなにムダはないし。 MX Linuxへの不満があったとしたら、起動時間が長いことくらいか。でも、切り替えたKubuntuもそこは速くないので、起動時間が変更理由ではない。 むしろ、MX Linuxからubuntuに移ったことで、今気がつく限りで、2つデメリットがあった。 標準のリポジトリから導入できるカーネルの選択肢が狭くなる。 テキスト・モードへの切り替え方法が、変わった。 MX Linuxだと、音楽再生に特化したLiquorixとRealTimeカーネルを、簡単に利用できた。 KubuntuのSynapticで漁ったところ、見つけられたのはLow ratencyカーネルが一つ。 テキスト・モードでの起動は、MX Linuxのときは、grub.cfgにtextと記述するだけだった。特定のカーネルだけテキストモードにできるところが便利だった。 Kubuntuの18.04では、textの指定は効かなかった。この方法は使えないようだ。 調べると、テキスト・モードで起動する方法はいくつかあるようだが、特定のカーネルだけ、というのは見つけられなかった。 また、しばらく使った印象では、Kubuntuはけっこうクセがあるので、他に乗り換えるかもしれない。 以下、手を加えたこと、試したことの項目一覧。 多くは途中経過。 BIOSで不要な機能を停止(CPUのハイパースレッディング、使わない端子等)。 スワップをさせない。 不要なサービスの停止。 不要なttyの削除。 Low ratencyカーネルの導入。 テキスト・モードでの再生。 カーネルのパラメータ(clocksourceとか)を変更。 CPUのクロック周波数を最低に固定。 割り込みの周波数を変更。 I/Oスケジューラのパラメータを最適化。 ALSAの設定ファイルを変更。 PulseAudioの設定ファイルを変更。...

MX Linuxで高音質化に取り組む

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MX Linuxで高音質化に取り組む Kona Linuxを入れていたThinkPadに、MX Linuxをインストールして、いくつか手を入れたところ、好感触だった。 KLUE3.0と比べて、パソコン直挿しヘッドホンではかなわないものの、外付け機器を通すと、MX Linux改の方が好ましかった。 というか、KLUE3.0の音は、今でも手が届かないくらい精妙に作り込まれたサウンドだけど、音楽の生気とか余韻みたいなものは、ある程度削ぎ落とされている印象。 それに対して、MX Linux改の音は荒削りだけど、外付けの機器につないだときに、スピーカーから音が伸びやかに広がる。 わたしが聴くジャンルは、9割以上クラシック。独奏だろうと歌劇であろうと、演奏空間の気配を聴き取りたい。 小音量でも、この気配があれば、それらしく聴こえる。いかに細部がクリアに響いても、この気配がなければ、作り物っぽく映ってしまう。 屁理屈を書くと、クラシックの実演って、解像度はそんなに高くない。 開発者のおっしゃるとおり、Kona linux 4.0 blackjackと比べたときのKLUE3.0の特徴は、「厚みと奥行きがある」「響きが豊かでふくよか」「柔らかい音」だろう。 とは言え、KLUE3.0の音質も、私の感覚で言わせてもらうと、端正で解像度が高いかわりに、平坦で薄めということになる。 外付け機器とつないだときに、そのことが一層意識される。 こう書くとKLUE3.0を否定しているように読めるかもだが、だとしたら言葉のチョイスを失敗しているかも。 あくまでも、音に対する嗜好の方向性の違いを言っているつもり。 趣味のことなので、クォリティの高低だけで割れきれないときもある。 せっかくMX Linuxという取っ掛かりを得たので、素人のDIY作業だけど、MX Linuxの音を磨くことにした。 MX Linuxをベースにした理由 当初、MX Linuxを採用したことに、大した理由はない。 これまで触ったことがあるLinuxは、Puppy以外は、Debian系列かubuntu系列だったので、その中からプレインストールされているアプリが少ないものを探していたら、MX Linuxを見つけた。 LubuntuとかXubuntuでも良かったけれど、過去に使った...

Audiophile Linux v4を試す

Audiophile Linux V4.0 KLUE3.0との相性(?)が今一つで、音楽再生用をクビになったThinkPad T530だが、放置しておくのはもったいないので、別の音楽専用Linux OSを入れてみた。 KLUEやKonaLinuxで苦しめられた、高音の特定の帯域がきつくなる現象が、パソコン固有の問題なのか、あるいはOSとの組み合わせで解消できるものなのか、探りたくなった。 Audiophile Linuxは、古いバージョンはLinux Mintをベースにしていたらしいが、最新版はArch Linuxをベースにしている。 Arch Linuxというのが、心理的な障害になっていたが、この機会に試すことにした。 ちなみに、最新版のAudiophile Linux V4.0は、2017年4月のリリース。少し古い。 クリーンインストールは意外とスムーズだったけど・・・ インストール方法は、 公式サイト に具体的に説明されている。 英語だが、入力例が段階的に記載されているので、その割に分かりやすい。 とは言え、インストールはGUIではなく、ひたすらコマンド入力。敷居は高いが、音質への期待は高まる。 GRUBの設定で1回しくじったけれど、2周目でISOイメージのインストールは終了。 ここまでは想定よりスムーズだったけど、ここからハマった。 クリーンインストールした後、ネットにつないで、システムを更新する。 WIFIの設定に不安はあったが、サイトの説明通りにやると、あっけなくつながった。 しかし、その後の更新が上手くいかない。  困り果てて、Audiophile Linuxのサイトの、コメント欄に目を通すと、詳しい人が、更新でのトラブル回避方法を書き込んでいた。 そこで、書き込みに従ってやり直したが、重要なサーバーの一つに接続できないというエラーメッセージを、嫌と言うほど吐き出して終わり。 結局、最新版としてのインストールをあきらめた。 それでも、どんな音かを確かめたいので(というより、それが主たる目的)、ISOイメージを再度インストールして、初期状態のままで音楽を再生した。 設定はもっぱらコマンドだけど、CantataとかMPDがプレインストールされているので、音楽再生はGUIが使える。...

カイルベルトによるブルックナー交響曲第6番

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好感度 ■■■ ■ ■ ヨーゼフ・カイルベルト指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。 1963年のセッション録音。 カイルベルト(1908 - 1968年)はドイツの指揮者。 録音当時は50代半ば。 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の運営にかかわったことはないようだけど、セッション録音はいくつか残っている。 :::::::::: 速くも遅くもない安定した足取りの上で、各パートをくっきり表出させながら、バランスよく全体の響きをまとめていく。 最近ありがちな音響美を優先したアプローチではなく、楽曲の書法を読み込んで、荒々しい場面は荒々しく、優美な場面は優美に、というように素朴できっちりとした仕事。 場面ごとの味わいを丁寧に表出しながらも、そこには節度があって、テクスチュアは常に明解。 重厚ではないが、各パートの線の動きには芯があって、押し出しが強いサウンド。そのかわり、響きの色彩感は乏しい。 :::::::::: 大げさな身振りはないけれど、場面に合わせてテンポとか、歌いまわしとか、リズムの刻みとかが的確に切り替えられていく。 最高レベルに明解で的確な演奏ぶりだけど、それだけではない。 第二楽章あたりは、表現力の豊かさと、オーケストラをコントロールする手腕に感銘させられる。雄弁で彫りの深い表現に引き込みまれる。 この指揮者の力量が、どれほどの高みにあったかを、思い知らされる。 ただ、芸達者さとか、色気みたいなものは感じられない。 音楽に対して生真面目で、質実剛健。

ザンデルリンクによるブルックナー交響曲第4番「ロマンティック」(1994ライブ録音)

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好感度 ■■ ■■■ クルト・ザンデルリンク指揮バイエルン放送交響楽団。1994年のライブ録音。 ザンデルリンク(1912~2011年)はドイツの指揮者。 ザンデルリンクによるこの交響曲の正規の音源は、これだけかもしれない。海賊盤は複数あるようだ。 バイエルン放送交響楽団の運営にかかわる立場にいたことはないようだけど、レコーディングの点数は多く、それなりに気心の知れた関係だったと思われる。 :::::::::: よく言えば、巨匠風の、肩の力が抜けた演奏。枯れてはいないけれど、かと言って、聴いていて身が引き締まるような場面はない。 テンポの変動幅はそこそこ大きい。ただ、速くなることはない。標準~遅いの範囲で、自在に切り替わる。テンポの動かし方は自然で違和感はない。 そして、緩やかな場面では、ニュアンス豊かな歌い回しが披露される。 ただ、ザンデルリンクの姿勢に、陶酔とか没入のようなものは感じられない。作品の解釈として、あるいは演出として、着実にさばいている感じ。 練られた表現に感心するけれど、引き込まれるほどではない。 表現者というよりは、オーケストラをコントロールする一流職人の仕事ぶり。 :::::::::: バイエルン放送交響楽団だけに、アンサンブルのレベルは高いけれど、サウンドの質感は武骨。 塊としての厚みを効かせつつ、個々のパートの表現を埋没させない、という点は徹底している。 いかに美しく響かせるかという視点ではなく、楽曲の書法を着実に音に置き換えることを優先していて、このあたりは昔かたぎな感じだろうか。

小澤によるマーラー交響曲第8番

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好感度 ■■ ■■■ 小澤征爾指揮、ボストン交響楽団。 1980年のセッション録音。 1973年から2002年にかけてボストン交響楽団の音楽監督を務めた。 小澤は1980~1993年にかけて、マーラーの交響曲全集を録音している。 この音源はその第一弾だが、もともとはボストン交響楽団創立100周年の記念として、単発で制作された音源とのこと。 :::::::::: この当時、小澤は40代半ばだけど、血気に逸ることなく、大人数を安定してコントロールしながら、己の美意識を隅々まで行き渡らせている。豊かで清潔な質感。 落ち着きのある足取りに、構えの大きな造形。盛り上がる場面でも、荒ぶることなく、冷静沈着。 たとえば、終盤の山場でも、ティンパニの連打に圧力を感じないし、全奏の当たりはソフト。 見事な手綱さばきに感心しつつ、もう少し攻めて欲しい気持ちも抑えられない。 :::::::::: 癖を感じさせない滑らかなフレージング。流暢であるかわりに、表情の彫は浅く、陰影に乏しい。 表面的な演奏ではないけれど、慎みとして楽想に深く立ち入らない感じがある。一人の日本人として、楽曲との距離の置き方に何となく共感するけれど、もどかしくもある。抑制的というか淡彩。 そのせいか、長大な第二部は、いささか変化の乏しさを感じる。楽曲自体にそういう面があるけれど。

プレートルによるベルリオーズ幻想交響曲(1985年)

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好感度 ■ ■ ■■ ■ ジョルジュ・プレートル指揮ウィーン交響楽団。 1985年のセッション録音。 プレートル(1924~2017)はフランスの指揮者。 1986年から1991年までウィーン交響楽団の第一客員指揮者を務め、その後終身名誉指揮者となっている。 また彼は、同曲を1969年にボストン交響楽団とセッション録音している。 :::::::::: かなり自由にテンポを動かしながら、濃くて厚みのある音楽を繰り広げている。 とは言っても、基本のペースを逸脱しないので、造形感はまずまず安定している。 ドラマティックに進行させながら、しかし流れに身を任さずに、局面毎に、独特のインスピレーションを交えつつ、楽譜の音のひとつひとつを生々しく浮かび上がらせていく。 スマートで美しい幻想ではない。 個々のパートの表情は明解で、指揮者の耳の良さとか統率力は伝わってくる。でも、響きに雑味が混じっていて、洗練を感じさせるところまでは届いていない。 ヴァイオリンとか木管とかは、しなやかでそんなに粘らない。だから、一昔前のドイツ系の巨匠指揮者が聴かせたような、ゴツゴツとした感触ではない。 でも、響きの全体としては、少々重苦しい。 :::::::::: 第四楽章までは、プレートルのやりたいことが、ほぼ実践されているように聴いた。好むか好まないかは別として、狙い通りに仕上がっている感じ。 第五楽章も、全体としては悪くないけれど、不満が残った。 とりあえず、ヴァイオリンが急速に動く局面のたびにテンポを煽るのだけど、上滑りしている感じで具合が良くない。 楽章全体としては堂々として運びだけに、違和感がある。好みの範疇かもしれないが。 そして、楽章後半はやや腰砕け。 金管がドスを効かせて迫力を出しているけれど、それに比べて弦が弱い。各パートが激しく交錯する聴かせどころで、弦の腰が軽くて弱くて、めくるめく感じにならない。 全曲の中ではごく一部分に過ぎないけれど、オーケストラの実力が問われる勝負どころで弱さが出たのは残念。

デュトワによるベルリオーズ幻想交響曲

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好感度 ■■ ■■■ シャルル・デュトワ指揮、モントリオール交響楽団。 1984年のセッション録音。 デュトワは、1936年スイス出身の指揮者。 1977年にモントリオール交響楽団の音楽監督に就任し、1980年録音のラヴェルの『ダフニスとクロエ』全曲を皮切りに、数々の録音を世に送り出した。 ちなみに、デュトワには、2017年にセクハラ疑惑が持ち上がり(本人は否定)、活動を自粛している模様。 :::::::::: 指揮者の美意識がすみずみにまで行き渡っていて、よく磨き上げられている。 軽快でしなやか。そして、柔らかくて艶のあるサウンド。 力強い場面になると、軽やかさを保ったまま、キレの良さや瞬発力を聴かせる。 場面ごとの表情がクリアで、洗練された耳あたり。そういう方向で徹底的に磨かれている。 不気味さとか生々しさは乏しいので、後半の2つの楽章は薄味。弱々しくはないけれど。 オーケストラの自発性みたいなものは聴かれないかわりに、デュトワの楽器として、その美意識を体現している。必要十分に巧い。 というより、ここまで仕上げたデュトワの手腕を称えるべきか。 :::::::::: サウンドは明解なので、木管の動きもよく聞き取れるけれど、イニシャティブはヴァイオリン群を初めとした外声部にある。 ヴァイオリンや金管のような、音の大きなパートで表情の枠組みを作って、その他のパートはそれの肉付けとか彩りとして機能している。 音楽の表情はビシッと決まりやすいけれど、聴き進めるうちに、単純化された表現が物足りなくなってくる。もう少し、アンサンブルに密度感が欲しい。 ある程度長い曲に、こういうアプローチをすると、こうなるのは避けられない。 分かりやすいけれどコクは乏しいという、よくも悪くも初心者向けの音源だと思う。 わたしの耳はさほど優れていないけれど、初心者ではないので、ちょっと物足りない。

マーツァルによるマーラー交響曲第9番

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好感度 ■■ ■■■ ズデニェク・マーツァル指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団。 2007年のセッション録音。 マーツァルは、1936年チェコ出身。2003〜2007年にかけて、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めた。 この音源の録音時期は、退任直後にあたる。 :::::::::: 緩急とか強弱の振れ幅は最小限度に抑えられ、端整にきめ細かく作り込んでいく。 音の出し方は、どの場面でも、薄っすらと湿り気を帯びたような透明な響き。丁寧で細やかなアンサンブル。 低音パートは、柔らかく広がるように、全体を支える。 安定した足取りで、造形はそりなりに大きい。 緊張と弛緩、高揚と沈潜、集中と解放というような、コントラストは至って控え目。 たとえば暴力的に表現するように楽譜に指示されている場面でも、アンサンブルの美観を優先し、控えめな暴れ方。 また、ディテールの描写に重きが置かれていて、フレーズを連ねて大きな流れを作り出す、みたいな気配は乏しい。 目指すアンサンブルの佇まいを実現するために、いろいろ切り捨てているようにも聴こえる。意地悪な見方をすれば安全運転。 地道で丁寧なアプローチのようだけど、楽譜に書き込まれた作曲者の細かな指示より、自分の美意識を優先しており、こだわりは強そう。 :::::::::: いずれにしても、マーツァルは自分の欲するところを自覚し、それを高いレベルで具現化している。高品質の演奏。 名門オーケストラの、精緻でありながら、しっとりとしたアンサンブルも素晴らしい。 特に、第四楽章の独特の心地よさは印象的。 ただ、ドラマティックな要素はかなり薄まっているし、表現のコントラストが弱いから、長丁場を楽しめとは限らない。

ラインスドルフによるワーグナー楽劇『ワルキューレ』

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好感度 ■■ ■■■ エーリヒ・ラインスドルフ指揮ロンドン交響楽団。 1961年のセッション録音。 興味深いことに、ビルギット・ニルソンがブリュンヒルデを歌っている。 彼女は、翌年のショルティの同曲のセッション録音でもブリュンヒルデを演じている。 ちなみに、ジークムントをジョン・ヴィッカーズ、ヴォータンをジョージ・ロンドンが歌っている。 ラインスドルフは、1912年ウィーン出身で、後に米国に帰化。 メトロポリタン歌劇場でワーグナーを多く手がけたらしい(1940年の正規ライブ録音が残っている)。 :::::::::: 透明度と精度の高い管弦楽。重層感や厚みは控え目だけど、スケールは豊か。低音パートを厚ぼったくしないで、サウンドに広がりを与えるようにスッキリと響かせている。 端正な路線だけど、ケレン味が多少はあって、聴かせどころでメインのフレーズを際立たせたり、ヴァイオリン・パートをそこここで煌めかせたり、とかの芸を聴かせる。 効果的と感じるかは人それぞれだろうけれど、堂に入っていて、この大作を掌握している感じがある。 :::::::::: 精緻なアンサンブルだけど、それによってすべての音符のニュアンスを浮き彫りにする、というようなアプローチではない。 ヴァイオリン主体に表情を作り上げる一方、低音パートは量感として淡白に表現されていて、線の輪郭は淡いし、色合いの変化とかは希薄。 その分、音楽の密度が薄まって、コクとか陰影のようなものが乏しくなっている。 アンサンブルはクリアだけど、だからと言って情報量が多いわけでもない・・・みたいな。伴奏と割り切って聴くにはちょうど良い具合だけど、それを超える要素は乏しいかも。 指揮者が自己顕示欲を全開にしている演奏よりは、好ましいかもしれない。 :::::::::: ビルギット・ニルソンの歌唱は、落ち着いている印象。管弦楽が端正なタッチなので、そっちに方向に引き寄せられたのか? 声の威力や熱気はさほど感じないが、普通に良い歌唱。 ジョージ・ロンドンもそんな感じだろうか・・・